Ⅴー8
「……佑月と二人で会っていたんですか?」
理央さんの声は微かに震えていた。
その通りだけれど、それは事情があってのことだ。今、この場でこれまでのことを話していいのか、わたしには判断が付かなかった。
「……怒ったりしません。正直に答えてください」
彼は真っ直ぐにわたしを見ている。
「何度か、先生と二人で会いました」
「そうですか……。帰り……ますね。急に来て、すみません。……少し驚いてしまって。……冷静になってから、また連絡します」
理央さんは明らかに動揺していた。
そのまま、わたしに背を向け、去ろうとする。
「理央さん!!」
わたしは、必死に理央さんの腕を掴んだ。彼の傘が落ちる。
「行かないでください。理央さんを傷つけるようなこと、先生もわたしもしていません!! ちゃんと話したいです!!」
理央さんは、驚いた顔でわたしを見る。
それから一瞬考えるような仕草をしたけれど、黙って頷いた。わたしは落ちた傘を拾って理央さんに渡す。
「僕の家でいいですか?」
今度はわたしが頷く。
理央さんのマンションまで移動した。
部屋に入ると、理央さんはわたしにタオルを差し出した。でも、わたしより理央さんの方が濡れている。
理央さんはいつものように眼鏡やマスクを外したけれど、何故か右手にタオルを持ったまま、自分を拭こうとはしない。
ただわたしを見ている。
「風邪ひいちゃいますよ」
わたしは理央さんの手からタオルを奪って、彼の肩を拭いた。
「すみ……ません……」
理央さんはその場に座って俯く。わたしに身を任せる理央さんが、子供のように思えた。
「先生は隣に居ますか?」
「多分……」
「呼んできます」
「どうして?」
理央さんが急に顔を上げ、叫んだ。
「……すみません」
わたしを驚かせてしまったと思ったのか、彼は謝る。俯いていた時は幼いと思ったけれど、濡れて漆黒に見える髪が伏せた目にかかり、今の彼は尋常じゃないくらい美しかった。
「事情を説明するには、先生に居てもらった方がいいと思います。わたし一人で上手く説明できるか……わかりません」
「……分かりました」
理央さんはそう言って、わたしから受け取ったタオルでそのまま自分の髪を拭いた。
玄関を開けた先生は、開口一番
「桐原さんと何かあったのか?」
と言った。
まだ何も言ってないのに、先生はとても疲れた顔をしている。
職場で何か問題があって訪れたとでも思ったのだろう。その前に、わたし一人でここまで来られるはずもない。マンションのエントランスキーをどうやって解除したのかという問題は、彼の頭から抜け落ちているようだ。
「いえ、それは大丈夫です。桐原さんには会っていないので。……そうじゃなくて、実は、あの……理央さんにばれてしまいました。先生と会っていたこと……」
「……何で?」
呆れる先生に、わたしは事情を説明する。
先生は「君も君だが、理央のやつもタイミングが悪い」と言い、ため息をついた。
「先生、一緒に来て説明してください。あの手紙も先生が持っていますよね? 一応解決しましたし、二人がこれから何か問題を起こすことはないと思います」
「まあ……仕方ない。理央に君の気持ちを疑われては元も子もないしな」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。それともこれから二股をかけるつもりか?」
どちらとも付き合うつもりがないのに、二股も何もない。わたしは先生を睨んだ。
彼は可笑しそうに口元を押さえている。こんなときにからかわないで欲しい。
先生と一緒に理央さんの部屋に戻り、全ての事情を話した。
彼は、最初に正直に話したら怒らないと言ったことなんて一切忘れてしまったのか、聞き終わった途端に怒りを露わにした。
「どうして佑月なんですか?」
理央さんは、わたしに詰め寄る。
「ふみさんを守るのは僕の役目です。ふみさんのためならどんなことだってします」
「だからだ。それじゃ困る」
先生が、冷めた目で理央さんを見て言った。
「佑月、どういうつもりなの? 余計なことばかりして」
「……お前、彼女が絡むと冷静さを欠くだろう? 自分がアイドルだってことすら忘れる」
「忘れたり……しない。僕だって冷静に対処できた」
「そうは思えない」
「何でそんなこと言うわけ?」
「今だって通常の理央じゃない」
「それは……」
一旦言葉が途切れる。
「情け……ない……」
そう言って額を押さえた理央さんは、怒りから沈んだ状態に逆戻りしそうだった。
「あの、違います。全然情けなくなんてないです。理央さんが頼りないとか、そういうことでは絶対にないです!! 先生が先に気付いたから頼ってしまって。ただそれだけです!!」
わたしはきっぱりと言った。理央さんも先生も驚いた顔でわたしを見ている。
「先生には迷惑かけて、申し訳ないって思っています。だけど、わたしも先生と同じで、理央さんに危ない目に合ってもらいたくなかったんです。理央さんのことを守りたかったんです」
「……気持ちは、とても嬉しいです。でも、こうして全て終わってから結果を聞かされるって、僕にとっては一番辛いことです。これからは何でも僕に言ってください。佑月じゃなくて僕に……。どんなに危なくても辛くても、ふみさんと二人で乗り越えたい」
理央さんから、優しいオレンジの光が射していた。今なら絶対に、理央さんと先生を間違えたりしない。
「部屋に戻る……」
先生が言った。
「もしかして、仕事の途中?」
理央さんが聞いた。
「……締切が近い」
小説の締切らしい。先生の小説が読める!! わたしの頭は単純で、こんな時なのに嬉しくなった。
「先生、すみませんでした。小説、頑張ってください」
「君の方が頑張るべきだろう……。いつまで無自覚でいるつもりだ」
先生はわたしにそう言うと、理央さんを一瞥したのち、部屋を出て行った。
スマホを見ると、もう二十一時を過ぎていた。着信履歴に気付く。お昼に数回、理央さんからだった。
そういえば、今日は自分の席を離れて清水さんとお菓子を食べていたから、全くスマホを見ていない。
「……電話、掛けてくれていたんですね。気づかなくてすみません」
「会えないか聞きたくて。……結局、勝手に会社に押しかけてしまいました。こちらこそすみませんでした」
「そうだったんですね」
電話で話せていたら、理央さんと先生を間違えることはなかっただろう。でも、もしかしたらこれで良かったのかもしれない。
理央さんに対して秘密を持つのは苦しい。
「すみません。こんな遅い時間まで。お腹……空きましたよね。何か作ります。オムライスでいいですか? 自分で言うのもなんですが、結構おいしいんですよ」
理央さんが言った。
「え? そんな……。あ、あの、もし良ければわたしが作ります。前はシチューをご馳走になってしまいましたし、いつもなにかしてもらうばっかりで申し訳ないので」
「じゃあ一緒に作りますか?」
理央さんは笑っていた。それはいつもの温かい笑顔で、気持ちまで温かくなった。
思いの外美味しくできたオムライスを(略、理央さんのおかげだけど)食べた後、彼に送ってもらい、二十三時過ぎに家に着いた。
お風呂に入り、一息つく。
一か月近く、バタバタしていて本をゆっくり読む暇もなかった。
気づけば二月になろうとしている。ホラーなんてもう、うんざりだった。




