Ⅴー5
「どういうことですか?」
聞いた途端に、最初のお寿司が出された。
先生はすぐに食べて、
「早く食べろ」
とわたしを急かした。
白身のお魚だ。平目……だと思う。慌てて口に入れた途端、淡泊だけどしっとりとした甘みが広がる。
「おいしい……」
わたしは思わず口にした。
それから話をしようとするたびに、次々とお寿司が出された。
脂がのった旬の鰤、定番のイカ、鮪、いくら、穴子、ウニ、どれも想像以上に美味しい。
「酒でも呑むか?」
「……いえ。先生、呑んでください。あ、車でしたよね」
「車は代行でもいいが、そういう気分ではないな」
「あの……先生? わざとですか? 話が途中ですけど……。さっき、桐原さんを先生のマンションに連れて来るように言いましたよね?」
女性に興味がないはずの彼が、そんなことを言うなんておかしい。
でも、勝手に思っているだけで、彼の口から同性愛者だとはっきりと聞いたわけではなかった。
「桐原さんは、先生のタイプなんですか?」
わたしは率直に質問する。
「何を言っているんだ? 流れから分かるだろう。……彼女が、首謀者だ」
先生はそう言って、ゆっくりお茶を一口飲んだ。
「えっ!!」
わたしは大きな声を出してしまった。
「それは、つまり、あの、脅迫の手紙を出したのが桐原さんだということですか!?」
先生は頷いてから、
「……少し落ち着け。大将が吃驚している」と言った。
「今日は、三陸産の身のしまったいいホタテが手に入ったんですよ。これは、おすすめです」
大将さんがホタテを、カウンターに出しながら笑顔で言った。
「……すみません」
わたしは恥ずかしくなり、ゆっくり席に座り直した。それからおすすめのホタテに手を伸ばし、口に入れる。
呑気に食べてる場合ではないと思うのだけれど、とても美味しい。お寿司を飲み込んで、馬鹿の一つ覚えみたいに「美味しいです」と感想を言った。
わたしは気持ちを落ち着けて、会話に戻る。
「先生……どうして桐原さんが……?」
「さっき、彼女は俺を理央だと認識していた。理央のファンだろう?」
「そうですけど、ファンだって言うなら清水さんだってそうです」
「彼女の方は俺の正体に気付いていなかった」
「だからって、桐原さんだという根拠はなにもないじゃないですか?」
わたしは、あの異常な赤い封筒を彼女が出したなんて認めたくなかった。
「確か君は、彼女の代わりに理央のコンサートに来たんだろう? 気づかないのか? 彼女が君を見る視線に、強い嫉妬と憎悪が混じっていた」
わたしは左右に首を振る。そんなこと、やっぱり信じられない。
先生の言うことが事実なら、わたしは相当鈍いのだと思う。
さっきもこれまでも、本当に何も感じていなかった。
お店を出た後も、頭が混乱していた。
「ごちそうさまでした」
先生に対して発した自分の声が、機械的に聞こえる。彼は少し首を傾け、そんなわたしを心配そうな目で見ていた。
「やっぱり迎えに行く」
車の中で、先生は言った。
「……え?」
頭がぼーっとする。桐原さんが犯人だという事実を、どうしても受け入れられない。
「君に危害を加えたりはしないと思うが、二人きりにさせるのは良くないかもしれない。明日、会社まで迎えに行く。桐原さんを引き留めておいてほしい」
「……本当に、先生のマンションに連れていくつもりですか?」
「仕方がないだろう。人目のあるところでは話せない」
先生は言った。わたしは大きく息を吐く。
「大丈夫か?」
お寿司屋さんに入る前にもそう言われた。そのときは意味が分からなかったけど、すでに先生は彼女が首謀者だと気づいていたのだ。
どうやら、わたしがショックを受けることを見越しての発言だったらしい。
先生はわたしの家の前で、わざわざ車から降りた。
「そんなに悪い事態にはならないはずだ。心配するな」
先生は優しい……。
わたしは頷いて、彼と別れ、アパートに入った。
次の日出勤すると、既に桐原さんは自分のディスクに座っていた。今日も古杉さんの姿はない。
少しして、遅刻ギリギリの清水さんがやってきた。側からはいつもと変わらない日常に見える。
「先輩、おはようございます。昨日は、あれからどこに行ったんですか? なんか彼氏さん、最初に会った時と……雰囲気が違ってましたね」
清水さんが小声で言った。彼女はある意味鋭いが、致命的に鈍い。
わたしといい勝負だと思う。顔が隠れているといっても、あんなに間近で見たら、もう理央さんだと気付いてもいいはずだ。
定時。ようやく勤務時間が終わった。
わたしは意を決して、まだ仕事をしている桐原さんに声を掛けた。
「話があるので、少しいいですか?」
桐原さんは、無表情でわたしを見ている。
「一緒に来てもらえますか?」
更にそう続けると、わたしの緊迫した様子で気付いたのだろう。彼女はわたしを睨み、黙って頷いた。
見たことのない表情。
瞬間、はっきりとわかった。
先生の言う通り、彼女が首謀者だと。
「先に外で待っています」
わたしは言った。
更衣室で着替えて通路に出ると、気持ちが重くなる。彼女の敵意を初めて実感した。
寒空の下、いつもの場所に先生が立っていた。完全装備だけれど、今日は帽子の代わりにコートのフードを被っていた。
「彼女は?」
わたしに近づき、そう聞いた。
「すみません……。桐原さん、了承はしたので、逃げなければ一緒に来てくれると思います」
「上出来だ」
しばらくして、清水さんが出てきた。わたしと先生に気付き、軽く手を振り去っていく。
わたしが会社を出てから、もう二十分が経っていた。
「桐原さん、来ませんね。裏口から帰ったんでしょうか?」
「ここに俺が居ることは知らないんだろう?」
「はい。言ってません」
「まあ、逃げるわけはない。理央が好きならな」
「わたし、見てきますか?」
「いや、もう少し待とう」
それから十分後、桐原さんがようやく正面玄関から出てきた。
彼女は、迷うことなく真っ直ぐわたしたちに近づいてくる。実際にはわたしたちではなく、理央さんに扮した先生にだった。
「理央様?」
彼女は、眼鏡越しの目しか見えていない彼にそう聞いた。
「はい」
先生は答える。
「駐車場まで、一緒に来てください」
先生の言葉に、桐原さんは頷く。彼女はわたしを見ていなかった。




