Ⅴー2
懐かしいホラー小説の文庫本を実家から何冊か持って、わたしは一月四日に東京のアパートに戻った。
理央さんや職場に買ったおみやげは、向こうを出発する直前に宅急便で送った。
翌日届いた荷物を受け取り、そういえば、しばらく郵便受けを確認していないことに気付いた。
このアパートの郵便受けは、一階の入り口に階ごとまとめて設置してある。
開けると、案の定、郵便物がごっそり入っていた。大量のチラシやダイレクトメール。少ないけれど年賀状もきている。
その中に、明らかに異質なものが交ざっていた。
あまりに驚いて、わたしはその一通を手に取った瞬間、全ての郵便物を落としてしまった。
他の郵便物と一緒に、恐る恐る拾い上げる。
それは、赤い封筒だった。
正確には、白い封筒を赤く染めあげた封筒。でも、所々元の白が見えていて、綺麗に染められていないのがより一層不気味だった。
一瞬、血だと思った。けれど本物の血液なら、もっとどす黒く変色しているはずだ。
表にはパソコンの文字で『茅野ふみさま」と書かれてある。切手も、差出人の名前もない。
わたしは、実家に帰る前に加納先生からかかってきた電話のことを思い出した。
あの時、先生は「何か最近変わったことはないか」と言った。もしかして、このことを予見してのことだったのだろうか……。
ここで突っ立って考えを巡らせていても仕方がない。わたしは手紙を持って、自分の部屋に戻った。
『叶理央から離れろ』
恐る恐る封筒から取り出した紙には、そう記されていた。宛名と同じで、その文字はパソコンで打たれている。
どうしようか考えた。本来なら、きっとこんな時は、真っ先に理央さんに相談するべきだろう。
でも、どうしてもあの時の先生の電話が気になる。先生は意味もなくわたしにそんなことを聞いてきたりしない。
わたしは、着信履歴から先生の携帯に電話をかけた。
「……どうした?」
出た瞬間、そう聞かれる。先生はわたしの番号を登録しているのだろう。
「今、話して大丈夫ですか?」
「……少し待て。かけ直す」
不安になっているせいか、いつもと同じはずの先生の声が、いつもよりずっと冷たく感じられた。
それから十分後、先生から電話があった。
「何かあったのか?」
先生は再びそう聞いた。
「あの、郵便受けに手紙が入っていたんですけど……それに理央さんから離れろと書かれていて……」
「そうか」
「先生は、何か知っているんですか?」
「君は今、自宅か?」
「はい」
「これから会えるか?」
「先生とですか?」
「他に誰が居るんだ?」
「……理央さんは?」
「撮影中だ。俺は今日別件で用事があって、理央には今、別のマネージャーが付いている」
「別のマネージャー?」
「俺がいつも付いていてやれるわけじゃない。心配しなくても、理央に関わる事務所の人間は男だけだ。色目を使われることはない」
「そんな心配はしていません」
そもそもわたしに心配をする資格はないのだけれど、反射的にそう答えてしまう。
わたしは先生と会うことを了承し、彼が車で迎えに来てくれることになった。
先生は、思ったよりも早くアパートに着いた。
わたしは例の手紙を持って、車の後部座席に乗り込む。
先生はスーツを着ていなかった。襟付きのシャツだがネクタイもせず、セーターにコート、黒のパンツ、とてもカジュアルだ。髪も理央さんと同じようにナチュラルで、相変わらずサングラスだけはしていたが、レンズの色が薄茶で綺麗な目が透けて見える。勿論、例の付け髭はなかった。
雰囲気だけが全く違っていたけれど、見た目はどこから見ても理央さんそのもの。黙っていれば見分けがつかない。
わたしは、例の手紙について、一刻も早く相談したかった。
「あの、先生……。手紙のことですけど」
「マンションに着いてからにしよう。見せたいものがある」
先生は言った。わたしは仕方なく黙って、手の中の赤い封筒をバックにしまった。
マンションに着き、先生の部屋にお邪魔する。中に入るのは二度目だ。
「そこに座れ」
先生はそう言ってサングラスを外した。
前に来た時と同じように、わたしは一人掛けのソファーに座る。
彼は黙って、わたしの前に一通の手紙を差し出した。
赤く染められた封筒。表に『叶理央さま』と印刷されている。それは宛名が違うだけで、わたしの郵便受けに入っていたものと全く同じだった。
「中を見ていいですか?」
わたしは緊張した声で聞いた。
先生は黙って頷く。
中の紙には『茅野ふみに近づくな』と、パソコンの文字で記されていた。
わたし宛には『近づくな』ではなく、『離れろ』とあった。同じ意味だけれどニュアンスが少し違う。
ささいなことだが、何か意味があるのだろうか?
ただ言えることは、誰かにわたしと理央さんが(差出人は勿論、芸能人の叶理央と認識している)会っていることを知られているということだ。
わたしに届いた手紙をバックから取り出し、先生に渡した。
彼は黙って手紙を眺めていた。
「なるほど」
一言呟き、わたしを見る。
「先生、理央さん宛の手紙にも切手がないですけど、どこに届いたんですか? このマンションですか?」
「去年、俺が君に電話をした日に、事務所のポストに入っていた」
「理央さんはこの手紙のこと、知っているんですか?」
「いや、理央には見せていない。俺が先に気付いたからな」
先生はそう言って、わたしの斜め前のソファーに座った。
「……この件は理央に伏せておこうと思う。余計な心配をかけたくない。全て、俺が責任を持って対処する。君のことは必ず守る」
重い空気と裏腹に、守るという言葉が静かな部屋に響いた。勿論、好意を持って言った言葉ではないのは分かっている。でも、普段感情をあまり見せない先生の真剣な表情に、わたしの鼓動は早くなる。
「あの、少し思ったんですけど……脅迫にしては、危害を加えるとか要求に応えないと何かするとか、具体的なことがないですよね? 確かに赤い封筒は、気持ち悪いとは思いますけど」
わたしはそう言った。
「宛名をひらがなでさま付けするあたり、あまり危険性を感じない要因の一つかもしれない」
先生も同意するように言った。
「でも、誰が……?」
「十中八九、理央のファンだとは思うが、君のフルネームや住所を知っているというのは、どうも解せないな」
先生は、考え込んでしまった。
急に恐怖は遠のき、それと同時に正体不明の敵に怒りが込み上げてきた。この手紙のせいで先生を悩ませ、時間をとらせてしまっている。それでなくても彼は作家とマネージャー、二足の草鞋でとても忙しいというのに。
先生のファンとしては、くだらないことに時間を費やさず、少しでも執筆を進めてほしいという勝手な思いがある。




