Ⅳー8
二日後の二十一時過ぎ、スマホが鳴った。
「すみません。やっぱり遅くなってしまいました。これから向かいますけど、大丈夫ですか?」
理央さんは心配そうな声で聞いた。
事前に約束していたのだから、確認する必要もないのに、律儀だなぁと思う。
「はい。勿論大丈夫です。でも、わたしのアパート、狭いですよ?」
「え? 入れてもらえるなら嬉しいですけど……外でいいので」
理央さんは笑った。
なんだか積極的に誘ったみたいで恥ずかしい。
何等なくそわそわして、わたしは二階の窓から何度も下を除く。
理央さんが着いたのは、電話を貰って四十分後だった。
「寒いので車に乗ってください。すぐに帰りますから」
彼は言った。時間が遅いのを気にしてのことだろう。
わたしがいつものように助手席に近づくと、
「すみません。今日は後ろに座って貰えますか?」
と理央さんは言い、わざわざ車から降りて後ろのドアを開けてくれた。
「遅くなりました」
理央さんは振り向き、運転席から小さな箱をわたしに差し出す。
「え?」
意味が分からず、わたしは目の前の箱を凝視する。今日は何か話があって来たのだと勝手に思っていた。
「開けてみてください。気に入ってもらえるかわかりませんけど……」
わたしは言われるまま、綺麗にラッピングしてある小さな箱を開けた。
それは細かいシルバーの星に宝石が散りばめられたネックレスだった。
とても可愛らしい。
「ふみさんに似合うと思って」
「……わたし、貰えません。貰う理由がないので」
箱を閉じ、慌てて理央さんに返そうとした。
「受け取ってください。僕が嫌いじゃないなら」
彼が言った。そんな言い方は狡い。嫌いだなんて、そんなことは嘘でも言えない。
「……わかりました。ありがとうございます」
わたしは言った。
理央さんは綺麗な笑顔を向ける。
でも、当然わたしは、理央さんに何も用意していない。
「すみません。何も用意できなくて……」
理央さんは笑ったまま首を横に振る。
「理央さん、何か欲しいものはありますか?」
せめて、次に会う時まで準備しようと思い、わたしはそう聞いた。
「勿論いっぱいありますけど、本当に欲しいものは言っても手に入らないものです」
それから少し考えるような仕草をした。
「……嫌じゃなければ、ふみさんが普段使っているもの、何か貰えませんか?」
「使っているもの……ですか?」
そんなことを言われても、難しい。わたしが使っているもので、男の理央さんが使えるものなんて限られている。そもそも手ぶらで出てきたので、何も持っていない。
改めて自分の服装を見る。
……首に、マフラー。寒かったから咄嗟に巻いてきたものだ。割と新しく、色も緑で落ち着いた色だから、理央さんが使っても大丈夫だろう。ただ、今、首に巻いているものなんて、ものすごく失礼なような気がする。
でもわたしはマフラーを外し、思い切って理央さんに差し出した。
「あの、このマフラー、最近買ったばかりであまり使ってないので、どう……でしょうか?」
変に畏まった言い方になってしまった。
「……貰っていいんですか?」
理央さんはマフラーを受け取り、目を輝かせた。
マフラーに顔を埋める。
「ふみさんの良い匂いがします。すごく幸せです」
理央さんは言った。
急にそんなことされて吃驚する。
そして、なんて恥ずかしいことを言うのだろう……。
匂いと言われても、普段から香水のたぐいは何もつけていない。
ああ……そうだ。
理央さんは……。
彼が普通じゃないことを今更思い出す。
今こうして理央さんと一緒に居るのは、全て彼のその特異な遺伝子のせいではないか。
プレゼント交換なんてして、恋人気分を満喫している場合ではない。完全に流されている……。一瞬でも、忘れていた自分に呆れた。
「年末からのお休み、予定はありますか?」
理央さんが聞いた。
「え?」
「お休みです」
「ああ、すみません。……今年は、実家に帰ろうと思っています」
「……そうですか。できれば一緒に初詣にでも行ければと思っていたので残念です。でもなかなか会えないでしょうし、ご家族の皆さんとゆっくり過ごしてきてください」
「ありがとうございます」
そういえば、理央さんは映画が決まったと言っていた。初詣なんて呑気なこと言っていていいのだろうか。
「理央さん、映画の主演が決まったって聞きました」
「はい。映画は今回で五本目なんですけど、初主演でお世話になった監督さんから直接オファーを受けたので、どうしても断れなくて」
理央さんは困った顔で言った。
「え? 断りたかったんですか?」
「今回の映画の原作と台本を読ませてもらいましたが、ちょっと……」
「ちょっと?」
清水さんが難しい役と言っていたのを思い出した。わたしは首を傾げて、理央さんを見る。
「その……女性に暴力を振るうシーンがあるんですよね。役だとしても抵抗があって……」
理央さんはため息をつく。
ヒロインに暴力? 主演が?
「恋愛映画ではないんですか?」
「恋愛映画ですけど、僕が演じる役は二重人格で片方の人格が破綻しているというか、かなり猟奇的なんですよね」
それで、ジキルとハイド……。この間の舞台のソーマさんといい、理央さんが演じる役は難しいものが多い。
「……大丈夫ですか?」
「……格好悪いですね。受けたからには、全力で頑張ります」
理央さんは言った。格好悪いなんて思わない。彼は、本当に何にでも一生懸命だ。
理央さんは帰り際に「気を付けて帰ってくださいね」と言った。当然、今日のことではなく「実家へ」という意味だろう。
ずいぶん話し込んでいたようだ。
部屋に入り、時計を見ると、丁度二十三時になるところだった。
そういえば、ばたばたとしてあれから妹に連絡するのを忘れていた。
どうしても気になってしまい、すぐに電話をすると、妹は寝ていたのか寝惚けた声を出した。
真っ先に睡眠を妨害したことを謝る。それから大みそかに帰ることを伝えた。彼女は再び寝惚けた声のまま、嬉しそうに「駅まで迎えに行くからね」を繰り返した。
早いもので、もう明後日から年末年始の休みに入る。
クリスマスが終わってから、職場も一気に慌ただしい暮れの雰囲気へと変貌していた。
どこの部署も急ピッチで業務をこなすのに忙しない。
一息つこうと休憩時間にコーヒーを飲んでいたら、スマホが鳴った。
「叶だけど」
理央さんの声ではなかった。でも、その低く淡々とした声は何度も聞いている。
「加納先生? ……どうしたんですか?」
わたしは驚いてそう返す。
「何か最近、変わったことはないか?」
先生は言った。
「変わったこと?」
考えてみるけど、特に思いつかない。まさかひと月前の職場での謎の騒ぎの件(彼氏が居ることで、と言っても嘘の彼氏だけれど……変に注目を浴びた)ではないだろう。それにそのことだとしても、今は何事もなかったかのように元の状態に戻っている。
「特に何もないです……。あの、先生? 何かあったんですか?」
「……ないならいい。気にするな」
先生はそう言って、すぐに電話を切った。
気にするなと言われても、非常に気になる。先生がわたしに電話をかけてくるなんてよっぽどのことだ。
でも、こちらから電話をかけ直して追及するわけにもいかず、心に引っかかったまま、今年残りの数日は駆け足で過ぎて行った。




