Ⅳー7
「理央さん、先生もう怒ってませんでした。先生って……理央さんのことが本当に大好きなんですね」
理央さんの部屋に戻ったわたしは、そう言った。
「若干、行き過ぎてますけどね」
彼は困ったように返す。
わたしはソファーに座り、この間同様、理央さんが入れてくれた紅茶を飲んだ。
「そういえば、来週はもうクリスマスですね」
彼が言った。
「早いですね」
理央さんと出会っていない、去年の今頃のことを思い出す。
こんなに人と関わることになろうとは(しかも芸能人や憧れの先生となんて)、その頃のわたしに想像できるはずもなかった。
「ふみさん、すみません……。クリスマスなのに、来週はどうしても仕事が忙しくて会えないと思います。ファンサービスだとか言って、事務所がこの時季、毎年イベントを入れるんですよ」
申し訳なさそうに理央さんが言った。
人気アイドルなら当然だろう。寧ろ、忙しいのに普段からよく時間を作れるものだと思っていた。
それに大体、理央さんは彼氏ではないのだから、会えないからと言ってわたしに謝る必要なんてない。
ちなみにどういうイベントなのか聞いてみると、少し困ったような顔をしたのでそれ以上聞かなかった。
それからしばらくどうでもいい話をして、二十一時過ぎに車で送って貰った。
クリスマスはあっという間にやってきた。
「先輩、今日は勿論彼氏さんと一緒に過ごすんですよね?」
いつも通り、遅刻ギリギリで出社した清水さんがそう聞いてきた。
今日もまた、朝からテンションが高い。
「いえ。理……彼は仕事が忙しいみたいで」
「そうなんですか? 折角、素敵な彼氏さんがいるのに、寂しいですね。そういえば人事部の駒井さん、結局、営業部の穂村さんには振られたみたいです」
「そう……なんですか?」
先週、お土産のチョコレートを渡した時はいつも通りに見えた。
「仕方ないですよ。私が思うに、多分穂村さんは先輩に片思いしてたわけですから、どちらかというと落ち着いた女性がタイプなんだと思います。駒井さんは正反対ですし。……彼女、今日は一人でヤケ酒ですかね?」
穂村さんがわたしに片思いしていたというのは、思い違いだと思うけれど(わたしは穂村さんの印象が何もない)、駒井さんのことは気になった。いくらなんでも、クリスマス直前に失恋というのは、辛いものがあるのではないだろうか。
「先輩、今日彼氏さんと会わないなら、一緒にご飯でも行きますか?」
「いえ、多分どこに行っても混んでると思いますし、早く帰って家でゆっくりします。清水さんはお付き合いしている方、居ないんですか?」
こんなに明るくて可愛い清水さんだけど、これまでに彼氏の話を聞いたことがない。
「彼氏ですか? そんなもの要りません。私の心はいつだって理央様でいっぱいですから。先輩だって知ってるじゃないですか?」
彼女は笑ってそう返す。
「そう……ですよね」
さすがに動揺する。
「今日は理央様に直に会えるチャンスだったんですけど、残念ながら外れてしまいました」
「もしかして、クリスマスのイベント……ですか?」
「あ、先輩も知っていたんですね。私、毎年応募していて。でも抽選なので、やっぱり難しいです」
「あの、どういうイベントなんですか?」
「理央様にじゃんけんで勝ったら、ぎゅっとしてもらえるんです!! こう、ぎゅっと!!」
清水さんは、そう言いながらわたしをぎゅっと抱きしめた。
理央さんが困っていたのが分かった。
「そうそう、ファンサイトに書いてあったんですけど、毎年失神する人続出で、医療班まで用意されてるらしいです」
「失神……」
彼を知る前に聞かされたら、とても信じられなかっただろうけど、今なら分からなくもない。
「でも外れても仕方ないです。今年はコンサートに行けて、先輩のおかげで舞台をあんなに間近で見ることができて、しかも非売品のグッズまで貰って、もう全ての運を使い果たしました」
「……使い果たしてしまっていいんですか?」
「もう、先輩!! 一生分の、じゃないですよ? 今年の運です。来年になったらまた復活しますから、心配ご無用です」
彼女は、自信満々にそう言う。楽観的で羨ましい。
「それで、その理央様の最新情報なんですけど」
彼女はここで一旦言葉を止めた。
「なんと、映画の主演が決まりました!! 先輩、もしかしてその情報も知ってました?」
わたしは横に首を振る。
「……良かった。来年の夏公開で、原作は超話題の恋愛漫画なんです。相手役は可愛いだけじゃなく実力も認められている、あの平野曖美ですよ」
あの平野曖美と言われても、全く知らない名だった。
「そうなんですか」と、一応軽く相槌を打つ。
「理央様、今回はそうとう大変だと思います。原作知ってますけど、理央様の役って飴と鞭って感じでして……。現代版、ジキルとハイドですね。そこが魅力なんですが……心配です」
「どうしてですか?」
「難しい役なんですよ」
ジキルとハイドといえば、言わずと知れた二重人格者の話だ。
どうやら、ただのラブストーリーではなさそうだ。
定時に上がり、本を読みながら一人静かに過ごすつもりで、自分用にスーパーで小さなケーキとシャンパンを買って家に帰った。
ただ例年と違うのは、鳴らないスマホをほんの少しだけ気にしている……ということだった。
話題のファンタジー小説は七巻目の後半。全八巻なので、残すところ後一冊となっている。
七巻目を読み終えて、時計を見ると、二十三時を回っていた。
さすがにそろそろ寝ようと思い、ベッドに入った途端、スマホが鳴った。
「遅くにすみません……。寝ていましたか?」
理央さんだった。
意識しないようにと思いながらも、理央さんからの連絡を待っていたのだと嫌でも自覚してしまう。
「いえ、大丈夫です。起きていました」
「……起こしてしまわなくて良かった」
理央さんのほっとした声が、寒々とした一人の部屋に温かく響く。
「メリークリスマス。……どうしても、それだけは今日中に言いたくて」
「……メリークリスマス」
なんか恋人になったような気がして気恥ずかしかったけど、わたしも小さくそう返した。
「明後日、遅い時間になってしまうかもしれませんけど、少しだけ会えませんか?」
理央さんが言った。
「わかりました」
わたしはそう言い、更に続けた。
「あの……今日はお疲れ様でした」
「え?」
「クリスマスのイベントです。ファンサービスって大変ですよね」
「もしかして内容、知っちゃいましたか?」
「すみません。清水さん……後輩から聞いて」
「仕事ですから」
慌てた声で理央さんは言った。そんなフォローする必要はないのに。
「……大丈夫です。わかっています。えっと……もう寝ますね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ほっとしたような彼の声に思わず笑みがこぼれる。
そしてやっぱりその声は、とても温かかった。




