Ⅳー6
「そういえば、ふみさんの会社の後輩の方たちには、なにか買っていかなくていいんですか?」
「買っていきたいですけど、誰と行ったのか絶対に突っ込まれると思うので迷います……」
でも、清水さんと桐原さんは理央さんのことを(理央さんだとは、ばれていないけれど)わたしの彼氏だと思っているのだから、もう彼氏と行ったということでなにも問題はない気がした。
改めて考えてみたら、哀しいことに、近頃は全てが嘘だらけだった。
わたしは、迷って二人に職場で使える可愛いクリップのセットを。自分の部署と人事部の駒井さんに(理由のわからないお菓子を貰ったお礼に)チョコレートのお菓子を買った。
「あ、理央さん。先生にも何か買っていきましょう?」
先生へのお土産を、すっかり忘れるところだった。
「そうですね。ありがとうございます。じゃあ、ふみさんが選んでください」
理央さんは嬉しそうに言った。
それから手を繋いだまま、更に色々なお店を見て回り、先生に相応しいお土産を探した。どれを選んでも、先生が喜ぶ姿は想像できない。
「適当でいいですよ。佑月なら、なんでも喜んでくれると思います」
理央さんは、わたしが考えていることと全く正反対のことを言った。
わたしは時間をかけて結局無難なボールペンのセット、それとお菓子を二種類選んだ。
筆記具ならマネージャーという仕事柄、使うことも多いだろう。無用のものではないはずだ。
理央さんが支払おうとするのを必死で断り、なんとか支払いを済ませた。
これまで先生には、二度も車で送ってもらった。それに、何しろあの素晴らしい小説を読ませて頂いているのだ。
一読者、一ファンとしてもささやかながら何かお土産……というよりは、お礼をしたかった。
帰りに和食屋さんで夕食を食べ、理央さんのマンションに寄ることにした。
「直接お土産を渡したほうが、佑月も喜びますよ」と誘われて。
わたしも、先生に会いたいと思っていた。
先生は理央さんとわたしの姿を確認してから、ゆっくり鍵を開けた。なんだか眠そうな顔をしている。
先生の真の姿(?)を見るのは二度目だけれど、理央さんが二人居るようで、やっぱり不思議な光景だ。
わたしは、早速お土産を渡す。
「僕じゃなくて、彼女からだから」と理央さんは言った。
「は? 俺の土産を彼女に買わせたのか?」
先生の問いに、理央さんは何も言わない。
「あの……ほんの気持ちです。先生には、いつもお世話になっているので」
わたしは言った。
そこでこのチャンスを逃したくないと思い、バックから先生の最新刊とサインペンを取り出した。
「先生、すみません。今日こそサインしてください!!」
わたしは勢いよくそう言った。
実は、いつチャンスがあるかわからないので、わたしはあれからずっと本を持ち歩いていた。あの購入した日からずっと……。
ストーカーかと、自分でも引いてしまう。
でも、もうこの際ストーカーと思われたって構わない。先生を心から尊敬している。
そんな必死の形相のわたしを、先生は呆れた顔で見ていた。
「先に戻ります。ふみさん、サイン……もらったら僕の部屋に寄ってください。部屋を暖めて、お茶の準備してますね」
理央さんはそう言って、玄関を出て行った。
「君、……無神経か?」
理央さんが居なくなった後、静かに先生が言った。
「え?」
「理央の前でよくそういうことが言えるな」
「……あの、理央さんはもうすでに、わたしが先生のファンだって知っていますので……」
「理央を傷つけるなと言っただろう?」
……刺されてしまった。思いもしないところから……。
先生は腕を組み、わたしをこれ以上ないくらい冷たい目で見ていた。
「すみ……ません」
吃驚して、ただ謝るのがやっとだった。
理央さんと全く同じ顔。でも理央さんがしない表情。それは、彼がわたしにするはずもない表情。
悪いのは、わたし……。
そう思ったけれど、そんな顔は見たくなかった。
「早かったですね。サインはもらえましたか?」
彼の部屋のリビングで、理央さんが言った。わたしは首を横に振る。
「一体、どうしたんですか?」
理央さんは驚いた顔でわたしを見つめる。
考えてみたら、先生が怒るのも無理はない。あの舞台を見に行った日、楽屋であれほど注意を受けていたのに。
人ときちんと向き合ってこなかったわたしは、きっと何か……配慮というものが欠けているのだろう。
先生の、冷たい表情。
泣きたくなんてないのに、涙が零れた。いい歳をしてみっともない。
でも、勝手に流れる涙をどうして止めていいのかわからない。
「ふみさん……?」
理央さんの綺麗な瞳は、これ以上ないくらい見開かれていた。
「わたしは、確かに先生のファンですが、男の人としてどうこうとかじゃなくて……上手く言えませんけど、理央さんを傷つけようなんて少しも思ってないです」
「本、貸してください」
そう言うと理央さんは、本を持って部屋を出て行った。
戻ってきた理央さんは、笑顔で開いた状態の本を差し出した。
わたしに、はっきりとサインが見えるように。
「もう、泣かないでください。僕は傷ついてないです。さっきは、そうですね。思ったとしたら……ふみさんのこと、すごく好きだなって、ただそれだけです。だから佑月に説教してきました」
「なんで……ですか? 怒られて当然だったんです。わたしが悪いです……」
「いえ、完全に佑月が悪いでしょ。ふみさんを泣かせるなんて」
理央さんは冷たい表情でそう言った。でも、さっきの先生とは全く違う。冷たいと言っても、理央さんからは負の感情を一切感じられない。
「わたし、先生にちゃんと謝ってきます」
「いいんですよ。放っておけば……。自業自得です」
「でも……」
わたしはどうしても、もう一度きちんと先生に謝りたかった。
本を持って隣に向かう。
インターフォンを押すと、先生はすぐに玄関に入れてくれた。
「先生、本当にすみませんでした。それと……サインありがとうございました。大切にします」
「ああ、もういい」
「いえ、良くはないです。わたし、自分のことばかりで……全然配慮が足りなくて……。理央さんに嫌な思いをさせてしまいました。反省しています」
「ホントにもういい。……君は、凄いな。理央があんなにまで怒るとは。この間も思ったが……本当に特別らしい。それも分かるが……」
先生はもう冷たい表情をしていなかった。今度は放心したかのように、どこか遠くを見つめていた。
「君には、感謝するべきなんだろうな」
「え?」
「いや。……そういえば礼を言ってなかった。土産、ありがとう」
刹那、先生はほんの少し笑った。その笑った顔は理央さんそのものだった。
嬉しくてほっとして、目頭がまた勝手にじんわりと滲んでくる。
わたしは、目一杯首を左右に振った。
今まで、自分がこんなに感情を押さえられない人間だなんて思っていなかった。




