Ⅲー1
月が替わり、十一月。
わたしはココアを飲みながら、古書店で買った四六判のSF短編集を読んでいた。
SF短編集は、海外の作家によるオムニバス。一冊に八話収録されている。
三話目を読み終え、マグカップのココアに手を伸ばした。
その時、長い間沈黙を守っていたスマホがしばらくぶりに鳴った。
見なくても、わたしに電話をかけてくる人なんて限られている。誰かは分かっていた。
「お久しぶりです」
「……はい、お久しぶりです」
なんだか変に緊張して、話し方が事務的になってしまう。
「……えっと、この間はありがとうございました。話をちゃんと聞いて、受け入れてくれて、本当に嬉しかったです」
十日ぶりに聞く理央さんの声は、いつもより少し低めで、疲れているように感じられた。
「……理央さん、お仕事忙しいんですか?」
「来週から舞台があって、ずっと稽古だったので……」
「舞台……。お芝居……ですよね? 理央さんは、本当に何でもできるんですね」
お芝居までしているなんて知らなかった……。考えてみたら、わたしは理央さんの仕事のことをほとんど何も知らない。
「さすがに、何でもは……できないですよ」
理央さんは緩く笑う。
「舞台、どういったストーリーなんですか?」
「近未来の話で、少し哀しい恋愛ロマンスです。僕はロボットの役なんですけど、魂を持たない完璧な執事という設定です」
「え? ロボットって……恋愛できるんですか?」
わたしは、無機質な冷たい金属を想像した。恋愛とは結びつかない。魂を持たないというのなら、尚更……。
「魂は無くても、恋愛感情と執事としての能力は完璧にプログラムされています。そうだ!! 良かったらチケットお渡しするので、舞台見に来てください」
驚いたけど、理央さんの申し出は素直に嬉しかった。
でも、わたしが気軽に行っていいのだろうか?
「本当は……あれからふみさんの声が聞きたくて、何度も電話しようとしたんです。ただ、覚えた台詞がどこかへいってしまいそうで……」
理央さんはしばらく間を置いた後、そう言った。
「話したら、僕の頭は貴方でいっぱいになってしまうので」
突然、とんでもないことを言ってくる。
声のトーンから、彼がどういう表情をしているのか見当がついた。
「……電話、切った方がいいですか?」
わたしは動揺して、スマホを耳元から少し遠ざける。
「待ってください!! 大丈夫です。台詞が飛んでしまっても……今日は、徹夜でまた覚える覚悟でかけたんです」
よくそんな恥ずかしいことが言える。躊躇なく、遠慮なく……。でも、決してそのセリフがお芝居なんかじゃないということは分かる。
電話でよかった。真っ直ぐに、面と向かってそんなこと言われたら、倒れてしまいそうだ。
「舞台、来てくれますよね? ふみさんが来てくれるなら、僕はもっと頑張れます」
「……分かりました」
「良かった……。チケットは会社に送りますね」
会社と言われて、咄嗟に後輩たちの顔が浮かんだ。
「あの、できれば三枚……欲しいです。会社の後輩がすごい理央さんのファンなので。……図々しくてすみません。チケット代、ちゃんと払います」
「……こっちが誘ってるんですよ? お金なんて受け取れるわけないでしょう? 勿論、職場の方の分も用意します。彼女たちが居なければ、僕はふみさんに出会えてなかったわけですし……」
彼はそう言った。
それから、柚木さんや後輩、この間の古書店巡りのことなど、他愛もないことをしばらく話して電話を切った。
チケットは翌々日に届いた。配慮してくれたのだと思うけど、公演日は会社が休みの土曜だった。三枚とも席の番号は一ケタだ。
「茅野先輩、このチケット最前列ですよ!! 理央様の事務所の方から貰ったって言ってましたけど、まさか代わりに先輩が嫌々芸能事務所に入るとか、とんでもない契約して貰ったわけじゃないですよね?」
清水さんは心配そうに聞いた。
わたしは、そこを突っ込まれる……ということまで考えていなかった。
それにしても、いつにも増して想像力がたくましい。どう返すべきか困ってしまう。
「ありえないです~。チケットは何十分かで即、完売してるんですよ。これって超プラチナじゃないですか~」
桐原さんまでそう言った。
「あーー、えっとですね。……ちょっといろいろあって、今回チケットをくれたんです」
「いろいろって?」
清水さんが言った。
「えっと……お詫びです」
パニックになりながら、適当なことを言ってしまう。
「え? お詫びって……。あの事務所の男の人、見た目と違って電話で話した時はすごく紳士的でしたけど……。先輩はあの時、嫌な思いをしていたんですか? 私、無理にでも一緒に居ればよかった。ホントにすみませんでした。その上浮かれてグッズまで貰って」
清水さんは申し訳なさそうな顔をしている。
事実と全然違う。でも、こうなったら柚木さんに悪者になってもらうしかない。
「そんな……嫌な思いってわけではないんです。えっと、逆にチケット、貰えて、運が良かった……ですよ」
明るく返したけれど、カタコトみたいな話し方になってしまう。
それでも、この場はなんとか二人に誤魔化せたようだ。
自分のディスクに座る。
ただ二人にチケットを渡したかっただけなのに、ものすごく疲れた。
改めて眺めたチケットの日付には見覚えがあった。偶然にも、楽しみにしている加納弓槻の新刊の発売日だ。
理央さんの舞台は午後二時からだから、朝一で本を買ってくれば午前は少し本が読めるだろう。
土曜、発売された加納弓槻の新刊を三分の一ほど読んだところで家を出る時間になった。しおりを挟み、読みかけの本をバックに入れる。
続きが気になりながらも、急いで劇場へ向かう。
清水さんたちとは、劇場前で待ち合わせをしていた。
「せんぱーい!!」
わたしより先に清水さんがわたしに気づき、手を振る。桐原さんも青空の下、控えめに手を振っている。
「ずいぶん早く来たんですね」
わたしは言った。
「理央様に会えるのが嬉しくて」
清水さんが嬉しそうにそう返す。
彼女は今日も、とても可愛らしい格好をしていた。格子柄のキュロットタイプのサロペット。裾からすらりとした美しい足が覗く。ただロングコートを羽織っているとはいえ、タイツではなく薄手のストッキングを履いているので寒そうではある。若いから寒さを我慢できるのだろうか?
「何と言っても今日は~、理央様が目の前で見られるんですもんね~」
そう言う桐原さんも、清水さんに負けず劣らず愛らしい。
淡い色のセーター、ふわっとしたAラインのスカートにPコート、長い綺麗な髪にはレースのカチューシャをしていた。
頬はチークでほんのりピンク。今日は病弱な美少女というより、可憐で完璧な美少女だった。
今日はわたしも、少しは気を遣った。
二人には劣るけど、理央さんに失礼にならない程度の格好をしてきたつもりだ。
ニットのワンピースに、買ったばかりのチェックのケープ。髪も朝早く起きて、サイドをゆるめに編み込み(事前に雑誌を見て何度も研究した)、シュシュで纏めた。あまり綺麗にできなかったけれど、最大限に頑張ったと思う。
「先輩、何もしなくても綺麗ですが、今日はいつもよりすっごく可愛いですよ!! なんか私、嬉しいです」
清水さんが言った。可愛いのは清水さんだ。やっぱり彼女を見ていると、どうしても無邪気で明るい妹を思い出してしまう。




