Ⅱー11
金曜の夜、一冊の本を読み終えた。
ミステリー月間を延長させることになった加納弓槻は、新進気鋭の覆面作家で性別すら公表していない。これまでにあのコバルトブルーの表紙の本を含め、短編集を三冊、シリーズ長編を五冊出している。
加納先生の登場人物は、あまり感情の起伏がないのが特徴だ。会話もどこか淡々としている。そして、いつも思いもよらない事件が起こる。
今日、やっと読み終えた長編シリーズの一作目は、不思議で少し哀しい結末だった。
一息入れようと伸びをする。もう月も後半だと言うのに、読書の進み具合は芳しくない。急いでお茶を飲み、遅れを取り戻すかのように二作目に手を伸ばした瞬間、スマホが鳴り響いた。
「はい、茅野です」
「こんばんは。今、話して大丈夫ですか?」
理央さんだった。
「……大丈夫です。自宅なので……」
わたしは努めて冷静に返す。
「お仕事お疲れ様でした。僕は今、移動中です。それで明日のことなんですが、どこに行きたいか考えてくれましたか?」
……明日? 一昨日、彼が話した内容を思い出そうとする。
当然覚えていない。
「明日ですか?」
「はい」
「……明日は本を」
「あ、図書館とか書店に行きますか? 古書店巡りなんかも楽しそうでいいですね」
そういうことではなく、本を読みたいので自宅から出るつもりはない……と言いたかった。
でも理央さんが何気に発した、古書店巡り……。とんでもなく心惹かれる言葉だった。
「ふみさん、本が好きなんですか?」
「はい、好きです」
即答する。本当は、好きとかいうレベルではない。本を読むためにわたしは生きている。
本はわたしにとって空気と同じような、なくてはならない存在だ。
「本については僕より柚木の方が詳しいんですけど」
「柚木さんも、本をたくさん読まれるんですか?」
「ああ、柚木は……」
「理央、余計なこと言うな」遮るように、電話越しに小さく柚木さんの声が聞こえた。どうやら側にいるようだ。移動中と言っていたし、マネージャーである彼が車を運転している可能性は高い。
それから、しばらく内容のわからない雑音みたいな音が聞こえていた。手でスマホのスピーカーを塞いで(塞がれて?)いるようだ。
「……すみませんでした。えっと、僕はあまり本を読まないので、柚木ほど知識はないですが、お探しの本があるならどこへでも付き合いますよ?」
理央さんが言った。
そう言われても、何か特定の本を探しているわけではない。普段から面白そうな本があれば、ジャンル、新古本を問わず購入する。ただ読むのは例によってジャンル別月間制のため、購入してもすぐに読まない場合がほとんどだ。
そういえば最近新しい本を購入していない。未読のストックは減っている。確かに休日、古書店を巡るというのはとても魅力的な提案に思えた。
それに、本のことばかり考えていて忘れていたが、例の質問を彼にぶつけるチャンスだった。
疑問符だらけの中、今だって本来なら一生関わることのない遠い存在の彼と話をしている。
一刻も早く謎の友人関係に終止符を打ちたい。
「では、明日は古書店巡りで」
わたしはそう言った。
「わかりました。良かったら、家まで迎えに行きますよ?」
「いえ、大丈夫です。待ち合わせをしましょう」
理央さんが一般の人から注目されないか少し心配ではあったが、わたしは駅近くの有名な待ち合わせ場所を指定した。
翌日の土曜、午後二時。
待ち合わせ場所に着くと、理央さんはスマホを見ながら石のベンチに座っていた。
今日もまた大きなマスク、眼鏡にニット帽、シンプルで地味な色合いの完全お忍びスタイル。服装は勿論この間と違うが、よく見ると、眼鏡や帽子などの小物もデザインや色が微妙に違っている。さり気なくお洒落だ。
一見不審者に思われがちなスタイルだが、立ち姿や洗練された雰囲気、着こなしのせいか、どうしても格好よく見えてしまう。
なんでこんなに地味な格好をしているのに目立つのだろう?
でも今のところ見た限り、周囲に気づかれてはいないようだ。
「すみません。お待たせしました」
わたしは理央さんに声を掛けた。
「いえ、時間丁度です。来てくれて嬉しいです」
理央さんは立ち上がると、明るい声でそう言った。彼を纏うオレンジの光は今日も温かい。
「行きましょう」
わたしは主導権を握るべく、大きめな声でそう言った。
古書店を六軒回り、二十冊ほど本を購入した。理央さんは古本に抵抗があるのか、それとも本自体にあまり興味がないのか、一冊も購入しなかった。本を選ぶことに夢中になってしまい、彼とはほとんど話をしていない。
わたしが購入した本は理央さんが持ってくれている。勿論頼んだわけではなく、寧ろ何度も強く断った。
ウルトラミラクルスーパースターを荷物運び要因にすることなんてできない。黙ってわたしの隣を歩いていることだって、それすらありえないのに……。
でも、「それくらいさせてください」と言って彼は決して引かなかった。
『アラサー』や『割り勘』の会話の時にも思っていた。理央さんはフェミニストだけど、場合によっては相当頑固だ。
近くにあったオープンカフェで休憩することにした。
偶然見つけたカフェは周りに木々があり、外から見えない作りだったので、お忍びの理央さんには都合が良かった。
日中と言っても十月後半。今日は若干肌寒く、広いオープンカフェに座っているのはわたしたちを含め三組だけだった。その三組の距離もかなり離れている。
わたしと理央さんは、それぞれパンケーキと飲み物を注文する。
パンケーキも飲み物もとても種類が豊富だ。
注文の品が運ばれてきた後は、理央さんは周囲に人が居ないのを確認し、マスクと帽子を外した。
「理央さんは、小説は読みますか?」
「多少は読みますが、どちらかというと活字を読むより、星とか風景の写真集とか眺めている方が好きですね」
その答えは、ふんわりとした彼らしい気がした。
そう言えば、古書店でも何気にそういった本を眺めていた。わたしは活字専門だけれど、気分転換には写真集というのもなかなか良いのかもしれない。
今日は、とても充実した買い物ができた。
戦利品を思うと思わず顔が緩んでしまう。購入した本が全て当たり(好み)というわけではないだろうが、理央さんのおかげで、普通の書店では買えない面白そうな本をたくさん見つけることができた。
「ふみさん、本当にたくさん買いましたね。僕が読んだら一年くらいかかりそうです」
「わたしも特に読むのが早いわけではないですよ。でも、仕事以外の自分の時間は略、全て読書に使っていますので」
「……本が羨ましいです」
彼はそう言って微笑む。
羨ましい? どういう意味だろう。
理央さんは本当に謎だ。彼のセピア色の綺麗な髪が、風に揺れている。
そうだ……。
古書店巡りに満足して、すっかり今日の目的を忘れてしまいそうになっていた。
わたしは、決心して口を開く。
「……どうしてわたしと友達に?」




