Ⅱー9
若い女性店員が注文したものを運んできた。
理央さんはマスクを外し、一口カフェラテを飲む。
わたしは彼が周りの人に気づかれないか心配で、必要以上に周囲を見回した。
「理央さん、見つかりますよ」
マスクを外さないと飲食できないのは分かっていたけど、思わずそう聞いてしまう。
「そんなに警戒しなくても、多分大丈夫です。人もあんまり居ないですし」
彼は言った。
「そう言えば一昨日、柚木、ふみさんのこと家まで送って行かなかったでしょう? すみませんでした」
「いえ、それはわたしが断ったからです。それより、なんか……凄い勢いで俺に近づくなって言われてしまいました」
わたしは、あの時の口元を押さえた柚木さんを思い出した。
「ああ、柚木は昔から女性が苦手なんです。もしかして、失礼な言い方をしたんじゃないですか? すみません。本当はすごく優しい性格なんですけど」
そういえば花束を貰った。考えてみれば、柚木さんはわざわざ引き返してまで取りに行ってくれたのだ。
彼は真意が気づかれにくい、見た目や口調で損をするタイプなのかもしれない。
女性が苦手とは、安直な考えだけれど彼は同性愛者なのかもしれないと思う。あの様子からだと、それも納得できる話だ。芸能界にはそういう人が多いというイメージもある。
純文学の世界には様々な愛の形があるし、個人的には同性愛者に対して全く偏見はない。
ただ、柚木さんが同性愛者かどうか、今ここで理央さんに確かめることは躊躇われた。
不意に視線を感じた。
視線の先には、先程の女性店員。彼女がゆっくりと近づいてくる。
「あの、もしかしてウルスタの理央さん……ですか?」
彼女は夢見心地な瞳で、理央さんにそう聞いた。
やっぱり気づかれてしまった……。
いくら眼鏡をかけていても、マスクを外したら顔が丸見えなのだ。
店員なら店内の薄暗さに目も慣れているだろうし、少しでも理央さんのようなイケメンが視界に入ったら、素通りできないのが普通だろう。
彼女がわたしを見たが、思わず目をそらす。
「……え? ああ、またか。僕、よく似てるって言われるんですよね」
理央さんは言った。
吃驚するくらい慣れた対応。演技とは思えない自然な返しだった。
どうやら彼は、このまま白を切るつもりらしい。
「え? あ……やだ、そうですよね。理央さんのわけない……ですよね。変なこと聞いて、す、すみませんでした」
魔法から覚めたように彼女は謝った。
それから更に、理央さんではなくわたしを見て何度も謝る。
どうやら会話までは聞かれていなかったようだ。わたしはここで何回も、はっきりと彼の名を呼んでいる。
「出ましょうか?」
理央さんが言った。彼は何事もなかったかのようにマスクをつけていた。
「やっぱりマスクは顔を隠すのに凄い助かりますね」
わたしは小声で言った。
「……それだけじゃなくて、実用的に有難いんですけどね」
彼が答える。顔を隠すのだって実用的だと思うけれど……。
「ああ、まあそうですね。風邪の予防にもなりますしね」
わたしは言った。何故か理央さんは、また笑っていた。
それにしても本当によく笑う。彼は笑い上戸なのだろうか?
「今日は自分の車で来なかったので、タクシーで送っていきますね」
理央さんが言った。
彼に車を運転するイメージがなかったから、少し吃驚した。
「いえ、いつも通り普通に電車で帰ります。定期券がありますから」
わたしは言った。
「……遠慮しないでください」
「本当に大丈夫です」
わたしがそう言うと、理央さんは考え込んでしまった。
「……じゃあ、僕も一緒に電車で帰ります」
「理央さん、何言ってるんですか? 理央さんはタクシーで帰ってください。また、ファンの女の子にでも見つかったら大変ですよ? 電車内なんて逃げ場ないですし、女子中高生とか案外目敏いですから……」
わたしは必死にそう言った。
もう、さっきみたいな冷汗をかくような事態に巻き込まれたくない。彼にはもっと自分が有名人だという自覚を持ってほしい。
「わかりました。……じゃあ、せめて駅まで一緒に行きます」
目の前には、駅ビルの巨大パネル。わたしはパネルを見上げながら思わず呟く。
「……すごく不思議……です。なんだか今、隣に居る理央さんとは違って見えますね」
「それって、今の僕には魅力がないってことですか?」
「いえ、そういうことではないです。ギャップが……良いんじゃないでしょうか? 勿論あの理央さんも素敵だとは思いますけど……」
パネルの色っぽい理央さんから、隣の理央さんに視線を移す。
「今の温かい理央さんの方が、わたしは話しやすくて好きですよ。それと、コンサートで聞いた歌、感動しました。心を掴まれるというか……歌を聴いてそんな風に思ったのは初めてです」
「……ありがとうございます」
表情は見えなくても、理央さんが照れているのが分かった。
彼は続けて言った。
「ふみさんが僕のファンじゃないって分かって少しがっかりしましたが、好かれていないっていうのもいいものですね。貴方は外見じゃない僕を見てくれるから」
わたしだって、その綺麗な外見に全く惹かれていないわけではない。ただ、あまりに不釣り合いであまりに世界が違うから、一歩引いたところから見ることができるのだと思う。
それに何よりわたしには、平穏な読書人生を歩みたいが故の反発めいた気持ちがある。
彼はわたしの地味な人生から一番遠い人なのだ。
駅まで律儀に送ってくれた彼にお礼を言い、そこで別れた。




