一大事 Ⅰ
さすがに寒さを感じるようになった十一月の土曜日の朝早く、試合に向かうため、ラグビー部員たちは第2グラウンドに集まった。
点呼を取って練習道具をバスに積み込み、自分たちもバスに乗り込む時、遼太郎と二俣のスマホの着信音が同時に鳴った。
遼太郎は席に座って、スマホを開いてみる。すると、みのりからのメールが来ていた。
『 おはよう。 今日も絶好の試合日和だね!体調はバッチリですか?実は今、連絡があって、日本史の浜田先生が体調不良のため、今日の土曜学習の代講を急きょ行うことになってしまいました。土曜学習が終わるころには試合も終わってしまうので、今日の試合の応援には行けそうにありません。とっても残念なのですが、遠く離れてても心を飛ばして応援しているので、頑張って下さい。次の決勝戦には、必ず応援に行きます。 仲松 』
メールを読んだすぐ後で、前方に座っていた二俣が振り返って、遼太郎へ目配せした。どうやら同じ内容のメールが、二俣にも送られて来たらしい。
みのりが応援に来てくれないという現実は、思ったよりも遼太郎に衝撃を与えていた。
完璧に造り上げられた防壁が、波に洗われて足元から瓦解するかのような感覚に襲われる。
遼太郎がピッチで走るとき、いつもみのりはその姿を捉え、その心に寄り添ってくれていた。そこから遼太郎も力を得て、もっと速くもっと長く走れたし、大きな相手にぶつかっていく恐怖も消えた。
だけど、今日はそのみのりがいない。
遼太郎は、自分がどれだけみのりを拠り所にしていたかということを、今更ながらに思い知らされた。
「何としても、今日の試合には勝たないといけないな。」
再び振り返った二俣が、言葉を投げかける。
――……その通りだ!
遼太郎はその思いを口には出さず、ただ力強く頷いた。
――先生がいない今日を、終わりの日にしてはいけない……!
競技場へ向かうバスの中、高速道路を走るバスの車窓から、紅葉に色づいた山々の流れる景色を眺めながら、遼太郎は唇を噛みしめた。
みのりが意気消沈してメールを送った後、出勤のために着替えをしようとしていた時、携帯電話のメール着信音が鳴った。開いてみると、二俣からだ。
『みのりちゃんが応援に来てくれないのは寂しいけど、仕事ならしょうがないよな。でも、絶対今日は勝って帰るから、来週は俺らの勇姿を見てくれよ! 』
自分たちが負けるはずがない…と言わんばかりのメールの内容に、思わずみのりは笑みを漏らした。
いつも自信満々な二俣は、本能で動いてラグビーをするようなところがあり、それでいてとても優秀な選手だ。芳野高校の大躍進も、彼のおかげに負うところが多い。
それと、遼太郎――。
やはり遼太郎が成長した分、芳野高校はチームとしてまとまり、個々の選手がその特性を活かして強くなったように、みのりは感じていた。
芳野高校の試合開始時間になるまでに、みのりは幾度か携帯電話を開いてみたが、その遼太郎からのメールの返事は来なかった。きっと試合に向けて意識のすべてを傾注しているから、メールなんて打っていられないにちがいない。
ふとした毎に、みのりはまた、新聞のコピーを届けに行った時の遼太郎を思い出す。
みのりが転んだ時、真っ先に駆けつけてくれたということは、練習しながらも気にかけてくれていたから――。まさしくそれは、練習の邪魔になっていたわけだけど、あの時かいがいしく世話を焼いてくれた遼太郎の優しさが忘れられない。
もちろん、生徒に迷惑をかけている情けなさは感じる。しかし、遼太郎が傍にいるときの安心感はたとえようもないもので、それはみのりの心をじわじわと侵した。
あの安心感の中にどっぷりと浸れたらどんなに居心地がいいのだろうと…。
だけど、そんな思いに気づいてしまう度に、みのりは何度もそんな思いを打ち消さなければならなかった。
土曜学習の講義は3年生の国立文系クラスだったので、その空気は真剣そのものだった。個別指導をしている工藤も出席している。
真剣な生徒に対しては、みのりも自然に講義に熱が入る。これは、みのりにとっての〝真剣勝負〟。いつしかラグビーの試合のことは、みのりの意識からなくなっていた。
点を取るための勉強は、日本史を愛するみのりにとっては不本意なことなのだが、解れば楽しみも増えてくる。
いつも浜田先生がどんな指導をしているのかは分からないが、みのりが採用試験で培った点を取るためのノウハウを伝授すると、生徒たちの目は研いだナイフのようにきらめいた。




