新聞記事 Ⅳ
その時、突然背後からみのりの両肩に、ポンと手が置かれた。当然、みのりは飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。
そこには、にっこりと笑うラグビー部顧問の江口がいた。
元ラガーマンの江口は、どう見てもフォワード体形で、背はそうでもないが横幅はかなりある。以前は教職員のクラブチームに入っていたらしいが、それも引退し、以来中年太りと闘っているらしい。
「江口先生!もう、びっくりしたー!!」
と、みのりが抗議しているが、当の江口の耳には入っていない。
「仲松さん、いつも試合の応援に来てくれてありがとう!予選が終わったら、お礼に一緒に飯でも食いに行こう!」
と、3年部の先生たちがいる中で堂々と食事に誘われた。
「うっ…!」と、みのりが言葉を詰まらせる。
こんな大勢いる中で誘われているのだから、多分深い意味はないらしい…。でも、だからこそ無下には断れない。
「…わ、ありがとうございます。じゃ、澄ちゃんも一緒に、ご馳走して下さい。」
みのりが作り笑いをしてそう言うと、江口と澄子と、同時に目が点になった。
「あ…、ああ、いいよ。じゃあ、一緒に行こう。」
江口はひきつった苦い笑いをして、澄子へと視線を向け頷いた。そして、ポンポンとみのりの肩を叩いて、体育教官室へと向かうのか、職員室を出ていった。
江口の姿が見えなくなると、澄子がヒソヒソと口を開く。
「ちょっ…、みのりさん。何で私も一緒に…なの!?」
「いいじゃない。奢ってもらえるんだから。」
みのりも、他の教師たちの耳に入らないように、ヒソヒソ声で返した。
「いや、そうじゃなくて、江口先生カンペキに引いてたじゃない。みのりさんと二人で行きたかったんだよ。」
澄子の指摘したことを、みのりも気づいていなかったわけではない。みのりは澄子を見て、唇を噛んだ。
「…だからよ。もう私、既婚者とはデートしないんだから…。」
みのりの表情が翳り、決心のような言葉が出てくると、澄子は口をつぐんだ。
江口は石原よりも一つ年上なので、今年36歳になる。随分若いときに結婚したらしく、5人の子どもの父親だ。
「ま、何か美味しいものを奢ってもらおうよ。ねっ!?ラッキー、ラッキー♪」
クルッとみのりは表情を明るい顔に変えて、澄子の肩を叩いてピースサインをした。
とは言ったものの、5人も子どもと奥さんを養っているパパに奢ってもらうのは、少々気が引けた。
木曜日のみのりは、本来ならば初任者研修で県の研修施設へ出張するのだが、この日は研修がないので、いつも通り学校での勤務となった。
と言っても、授業が入っていないので、みのりは一日職員室で来月に控えている研究授業の教材研究に没頭していた。
校内の研究授業ではなく、県の指導主事が来るので、かなり真面目に取り組まないといけない。あまり時間がないことに気が付いたみのりは、いささか焦りも感じていた。
資料を机中に広げ、傍らでお弁当を広げ昼食を取っていると、昼休み、遼太郎がみのりの机の横に立った。
今日は授業もないので、本来遼太郎には会わないはずなのに、こうやって1日1回は会わないと何だかしっくりこない。
「先生、今日は木曜日だけどいるんですね。実は、ちょっと頼みたいことが…。」
と言いながら、みのりの机の上をしげしげと見つめている。特にお弁当を。
「…まさか、お弁当ちょうだい…なんて、言うんじゃないでしょうね。」
遼太郎の視線を感じて、みのりはちょっと身を引いた。
「違います!」
と、遼太郎は憤慨した素振りを見せたが、すぐに、
「……でも、美味しそうですね。」
と、本音を言った。
みのりは弁当箱を両手で持って、遼太郎の目の前に差し出した。
「どれか一つ、どれがいい?」
そう言われて、遼太郎は目を丸くする。
「くれるんですか?本当に!?」
みのりは無言で頷く。
遼太郎は、図々しい気もしたし、自分の弁当はすでに食べた後だったので、遠慮しようかとも思ったが、みのりの料理を食べてみたいという誘惑には勝てなかった。
「…じゃ、卵焼きを。」
遼太郎がそう言うと、みのりは「うん」と箸で卵焼きを摘み上げ、ポンと遼太郎の口へと放り込んだ。
口の中に広がるほのかに甘い出汁の効いた卵焼きの味覚に、遼太郎は他の感覚を忘れた。みのりの料理が食べられた感動に、胸が急に高鳴りだした。




