一瞬の抱擁 Ⅲ
「あの、先生。面接指導は全県模試が終わってからにしてもらえませんか?それまでは、やっぱり日本史を見てもらいたいんですけど…。」
遼太郎の提案に、みのりは驚いたような顔をした。
「そうしてもいいけど…、狩野くんがそこまで日本史好きになるなんて、思ってもみなかったわ。」
――好きなのは、日本史の方よりも先生なんですけど……。
遼太郎は本心が言えず、恥ずかしそうに首をすくめた。
「それじや、模試までは今まで通りでね。この間に、面接の質問の過去問を調べておいてね。」
「面接の……?」
「うん、進路指導室に行ったら、先輩たちが残してくれた資料があると思うよ。」
「はい、分かりました。」
遼太郎は心の中で、「やった!」とガッツポーズをした。
これで、全県模試が終わっても、推薦入試があるまでは、みのりを独り占めできる時間が少しだけ延長できた。
花園予選の3回戦目は、すっきりと晴れた日になった。周囲に植えられている桜の葉の紅葉が澄み渡る青い空に映えて、競技場は一枚の絵のように美しかった。
少し出遅れてしまったみのりは、試合が始まる15分前くらいに競技場に到着した。前回と同様ちょっと離れたところから観戦しようとしていたが、大分席が詰まっており、観客席の空いたところを探していた。
フィールドは前の試合の後の整備も終わっており、選手も審判も試合が始まるのを待っている。
「仲松先生―!」
競技場に大きな声が響き渡った。
男性の声のそれは、遼太郎のものでも二俣のものでも、江口のものでもなかった。
みのりを呼ぶ声、それも聞き覚えのない声がみのりを呼んだので、咄嗟に遼太郎は声のした方を振り返る。呼ばれたみのりの方も、あまりにも露骨な呼ばれ方をしたので、恥ずかしそうに声の主を探している。
「仲松先生!こっちこっち。」
フィールド脇の本部前に黄色いジャージを着たレフリーがいて、そのレフリーが手を振っていた。
みのりも明るい笑顔で、本部の方へ観客席を降りて行った。レフリーはみのりと同じくらいの年齢で、いかにもラガーマンと言った感じだが、あの体形はバックスだろう。
親しげに歓談しているレフリーとみのりを見て、遼太郎は胸が騒いだ。
「あれ、今日の試合のレフリーか?みのりちゃんの知り合いみたいだな。」
二俣が腰に手を当てて斜に構えて、レフリーとみのりが話すのを、遠目に見て言った。遼太郎は頷きもせず、二俣とみのりを交互に見遣った。
「あのレフリー、今日は舌を巻かせてやろうぜ。」
二俣が、ニヤリと遼太郎に笑いかける。
「俺とスタンドの遼ちゃんが揃って、この仲間だったら無敵だぜ!」
カラカラと二俣が笑うので、「その自信はどこからくるんだ!?」と、遼太郎は拍子抜けして笑えてきた。
もう一度みのりへと目をやると、みのりもこちらを見ていて目が合った。みのりはにっこりと笑い手を振って、唇が「がんばって」と動いている。
その瞬間、心のざわめきは吹っ飛び、遼太郎の体にやる気と力が充填された。二俣が言うように、「よしやるぞ!」という気持ちになってきて、顔がほころんだ。
遼太郎に手を振って、リラックスした表情を見て取ったみのりは、安心して観客席の階段を上って座席を探した。
「あの、仲松先生ですか?」
また声をかけられて、みのりは振り返った。今度は中年の女性だ。
――あ……!
顔を見て、みのりは直感した。
切れ長の優しげな目。遼太郎の母親だ。
「狩野遼太郎の母です。仲松先生には、遼太郎がとてもお世話になっているようで、ありがとうございます。」
深々と頭を下げられて、みのりは恐縮した。
「いえいえ、こちらこそ。狩野くんへの指導にご理解下さり、ありがとうございます。」
みのりも同じように頭を下げた時、芳野高校のコバルトブルーのジャージを着た選手たちが、肩を組んで円陣を作った。
「あ、始まりますね。」
と、みのりがその辺の適当な席に座ろうとしたので、遼太郎の母が気を利かせた。
「先生、そんな後ろの席じゃなくて、前の方に確保している席がまだありますから、そちらにどうぞ。」
みのりは後ろの方からひっそりと試合を観戦したいと思っていたのだが、こう言われては断れない。
遼太郎の母に連れられて、芳野高校の保護者が陣取っていた最前列の席に座った。




