雨の中の勇姿 Ⅳ
職員室の片隅には、給湯室があり、職員たちの憩いの場だ。5~6人が座れるテーブルと椅子があるので、お茶を淹れるついでに、小休憩もできるし、職員同士が雑談もできる。
みのりの今日の授業は午前中で終わり、午後は比較的ゆっくりと過ごせてた。
大きなポットを使ってコーヒーを淹れると、職員室中にいい香りが漂う。
「仲松さん、いい匂いだね~。1杯もらっていいかい?」
と、早速に教務主任の加藤先生がやってきた。
「どうぞ。」
みのりが加藤のマグカップに、コーヒーを注ぐ。
加藤はそれで席に戻るでもなく、何か会話をしたげな感じで、その場に佇んでいる。
そして、事もあろうにこんなことを言い出した。
「仲松さん。なんかオヤジみたいな感じだねー。」
「……は?!」
――何て失礼なことを言う人だろう……!
と、思わずみのりは読んでいた新聞から目を上げて、加藤を見上げた。
加藤のニヤけた顔を確かめて、冗談を言っているのだと理解すると、みのりは改めて自分の姿を顧みた。
コーヒーを片手に、足を組んで新聞を読んでいる……。
言われてみれば、オヤジくさいかもしれない。
「オヤジくさくもなりますよ。もうすぐ三十路ですから。この歳で独り身だし、アパートと職場の行き帰りで毎日が終わるばかりだと、もう枯れちゃって……。」
冗談を言ったつもりなのに、みのりがそう自嘲すると、加藤は決まり悪そうに同情が含まれた表情を浮かべて、隣へ座った。
「誰かいい人はいないのかい?」
加藤のこの問いに、みのりはうんざりした。
「うちの親と同じことを言うのは、やめて下さい。」
「ということは、いないんだな。」
加藤のこの指摘に、みのりはただ目をくるりとさせて答えた。
「何でかねー、仲松さん。あんたみたいな人だったら、それなりにモテそうなんだけどね~。」
「何ででしょうねー。それが判れば、手の打ちようもあるんですがねー。」
みのりは半分ヤケになって言った。しかし、加藤は真剣に考えてくれている。
「…….うーん、強いて言えば、多分出来すぎる女だからだろうか……男の方が気後れするというか……。」
――出来すぎる女……。
みのりは絶句した。
もちろん、誉められているとは思わなかった。それに、加藤の指摘は、何となく理解できるような気もする。
「まあ、でも。あんたに言い寄られて、嫌な気になる男もいないと思うよ。気になる人がいたら、自分から行けばいいじゃないか。」
「……そうですねぇ……」
そうは言っても、その〝気になる人〟がいないのだから、しょうがない…。
石原が心の中にいるかぎり、〝気になる人〟なんて現れようがない。
はぁ~っと、みのりは大きなため息を吐いた。
「コーヒー、まだあります?」
その時、古庄がカップを片手にやって来たので、加藤はみのりの肩を叩いて、入れ違いに席を立った。
「仲松ねえさん。この新聞まだ読んでる?」
「ううん、もう読んでない。どうぞ。」
古庄はみのりの向かいに座って、コーヒー片手に新聞を読み始めた。
みのりは、そのあり得ないほど端正すぎる顔を、まじまじと眺める。
――自分から行くって言っても……、何とも感じない人に、迫るわけにもいかないし……。
たとえ心の中に石原がいても、少しはときめくことのできる男性がいてもいいようなものなのに。
石原よりももっと好きになれる男性が現れたなら、叶わない想いを抱えて、心が切り裂かれそうな切なさを味わわなくて済むのに。
チャイムがなって今日の授業も終わり、掃除の時間になった。
「さーて、清掃指導にいきますか。」
古庄が立ち上がると、みのりも立ち上がった。
「はい、行きましょう。」
新聞を元の場所へと戻している古庄のコーヒーカップを、自分の物と一緒にシンクで洗う。
「ああ!すみません。ねえさん。」
古庄が極上の爽やかな笑顔で言葉をかけると、みのりは振り返り、にこりと口角を上げた。
洗い終わって手を拭くと、心の中にわだかまる悩みを封じて、モードを切り替える。そして、みのりも颯爽と廊下を歩いて、清掃場所へと向かった。