ラグビーの勉強 Ⅷ
……もう何度目だろう。こうやって、みのりに励まされるのは。
みのりはいつも、前に一歩踏み出す勇気をくれる。そしてそれを実現する力を、絶えず注いでくれる。
みのりの実際の腕は細いけれど、遼太郎を身体ごとスッと一段高いところへ力強く引き上げてくれるような感覚で、心を悩みから抜け出させてくれる。
そうすると、見晴らしの良いところで、気持ちや考えを整理することができるようになる。
「なんだ、じゃあ、私がごちゃごちゃ言わなくても、既に狩野くんは分かってたのね。ラガーマンだから。」
嫌味を言っているわけではないのは、みのりの優しい表情を見れば判る。
「分かってても忘れてるし、先生に言われると自信が付きます。」
遼太郎もみのりを気遣って、優しい表情を返した。
その遼太郎の優しい目を見て、みのりは安心するとともに、また鳩尾の辺りがキュッと絞られるのを感じた。
「ね、そうだ。私、ずっと訊きたかったんだけど、『ノーコン』ってどういう意味?」
不意にみのりが思い付いて、話を変えた。
「ノーコン?」
遼太郎も首を傾げる。
「試合の時に、周りの応援の人がプレーを見ながら、よく言ってるの。」
遼太郎は下唇を噛んで、視線を泳がせる。考えるときの遼太郎のいつもの癖だ。
「…あ、先生、それもしかして…、『ノックオン』のこと?」
「ノックオン?」
「ボールを前にこぼしてしまうミスのことです。反則になるから、スクラムでゲームが再開されるんですけど…。」
「あっ!そうよ、それかも!速く言うと『ノッコン』って聞こえるものね。」
みのりは納得したらしく、頷いて続けた。
「そうだったのかー。野球でもないのに、『ノーコン』っておかしいと思ったんだー。」
さも感心したように腕を組んで頷く。
「……先生、ずっと『ノーコン』って思いながら試合を見てたんですか?」
遼太郎はみのりに問いかけながら、笑いが込み上げてくるのを感じた。
「そうそう、パスを出すのが下手なことを野次ってるのかと思ってた。」
このみのりの返答に、とうとう遼太郎は笑いをこらえきれずに声を上げた。
「アハハハハ…先生って、やっぱ面白い…。」
お腹を押さえて笑い転げる遼太郎を、みのりはキョトンと見ていたが、次第に恥ずかしさに気づいて顔を赤らめた。
笑いが一段落して遼太郎はみのりに向き直ったが、みのりと目が合うと、また笑いが湧き出てくる。
すかさず、みのりの手が遼太郎の口を押えた。
「狩野くん。笑いすぎよ!」
そう言うと、みのりの方も可笑しくなったらしく、一緒になって笑っていた。
「先生、おはようございまーす。」
その時、背後からちょっとぽっちゃりした女子生徒があいさつをした。
「あ、おはよう。」
みのりの手が遼太郎の口から外される。
手が離されるその瞬間、遼太郎はハッと気が付いた。
「吉長さん、今日部活の練習出られそう?」
「はい、その予定ですけど。」
「まだちょっと体調悪そうね。顔色があんまり…」
みのりと女子生徒の会話を傍で聞きながら、遼太郎は他のことを考えていた。
今、自分の口を押えたみのりの左手は、先ほど幾度となくみのりが自分の口を押えていたことを。
みのりにとっては、取るに足らないことかもしれないが、二俣とみのりが間接キスをしたことさえ気になる遼太郎にとっては、大変なことだった。
――俺も、先生と間接キスか……!?
口を今度は自分の手で押さえた。その遼太郎の顔に、一気に血が上り始める。
「…2年生ですね。」
遼太郎は自分の動揺を気取られまいと、みのりが授業に行ってないはずの2年生ということを指摘する。
「うん、筝曲部の子なの。ちょっとこのところ、体調が悪そうだから気になってるんだけど…。」
そう言いながら、みのりも吉長の背中を心配そうに見送った。
その後、もう少しラグビーのルールの話をしてから、職員朝礼が始まる時間になったので、今日はそれで終わることになった。
「明日も、教えてもらっていいの?」
立ち上がりながらみのりが訊くと、
「まだまだ、教えることはあります。ラグビーは奥が深いんです。」
と、いつもと立場が逆になって、いつもみのりが言っているようなことを遼太郎は言った。
みのりは面白そうに、それでいて頼もしそうに遼太郎を見て、
「じゃ、明日もおねがいします。狩野先生。」
ぺこりと頭を下げた。




