ラグビーの勉強 Ⅲ
「ご両親は、指定校推薦が決まったら、喜んでくれてたでしょう?」
頬杖をついたまま微笑を残し、みのりは新たな話題を投げかけた。
「俺の両親ですか?」
と遼太郎が訊きなおすと、「もちろん」というふうにみのりは頷いた。
「あんまり…。喜んだというより、ホッとしてたって感じだったです。」
「そう?狩野くんがそれを感じ取れてないだけだと思うよ。きっと喜んでるに違いないもの。」
うーん、と遼太郎は首をひねる。
「それより、これから金がかかるって、ため息吐いてた気が……。」
みのりは遼太郎のこの言葉に、軽く息を漏らして笑った。
「そりゃ、真奈美ちゃんと二人とも東京に行かせてたら、お金はかかるだろうねぇ。でも、反対しないんだったら、お父さんもお母さんも狩野くんのために頑張ってくれると思うよ。」
遼太郎は神妙な顔つきで、黙って頷く。
「狩野くん見てると、大事に育てられてきたのが分かるよ。お母さんが毎日大きなお弁当作ってくれるのだって、部活で汚れたジャージを毎日洗ってくれてるのだって、狩野くんが望んだことに向かってそれを頑張れるように、期待してくれてるからなんだよ。期待してるから、親は子どものために頑張れるんだと思うよ。」
遼太郎の目に、毎日母親が作ってくれる遼太郎の旺盛な食欲を満たす大きな弁当と、泥まみれになってもきちんと洗われて揃えられた部活のジャージが浮かんだ。
それを実際に見てもないのに、どうしてみのりにそれが分かるのだろう…と思った。
「たまには感謝しなくちゃね。特にお母さんに。」
みのりは目をくるっと回して、したり顔をした。
渡り廊下の人通りが多くなってきたので、みのりは左のカーディガンの袖口をめくって、腕時計を確認した。
「おっと、もう職員朝礼の5分前だ。…ごめんね、今日は雑談しちゃって、貴重な時間を無駄にしちゃったね。」
「いや、大丈夫です。」
遼太郎は肩をすくめるように、ほのかに笑った。本当は勉強よりも、こんな風にお互いを知り合える会話をしたいとさえ思った。
「そうそう雑談ついでに、今度の土曜日から花園の予選でしょう?トーナメントの対戦表とかあるなら、コピーしてほしいんだけど。江口先生に言った方がいい?」
「ああ、部室にあったから、持って来ます。…先生、応援に…?」
遼太郎は期待を込めて、みのりを見た。
「うん、行くよ。約束したじゃない。ラグビー観戦、面白いし。」
無邪気なみのりの笑顔は、30歳とは思えないほど可愛らしく、思わず遼太郎は見とれてしまう。
「ああ、それと!次の試合の応援までに、狩野くんに訊きたかったんだ。」
「…なんですか?」
「ラグビーのこと。ちょっとルールがよく分からなくって。ちゃんと解ってたら、もっと楽しめると思うのよねー。」
本を見たり、ネットで調べたりも出来るのに、自分に訊いてくれるのが、遼太郎は嬉しかった。
「わかりました。」
「それは、狩野くんの方が先生だね。」
遼太郎が了承してくれたのを見て、みのりは楽しそうにニッコリと笑った。
その笑顔に、遼太郎はキューッと胸が苦しくなって、思わず胸に手を当てた。
職員朝礼が始まるチャイムが鳴り始めると、みのりは急いで立ち上がる。そして、
「それじゃ、狩野くん。また今日の授業で…。」
と言い終わらないうちに、職員室へ駆けていった。
放課後、遼太郎が部室にあったトーナメント表をみのりのところへ持って行こうとすると、二俣もみのりに会って激励してほしいのだろう、一緒に付いてきた。
ラガーマン姿の二人が職員室へ入って行くと、いやがおうにも皆の目に止まる。ラグビージャージを着る二俣は、学生服姿よりも一回り大きく見えた。
職員室のみのりの席に主はおらず、机の上にはストローのついたままのカフェラテが置かれてあるだけだ。
二俣がつまみ上げて、それを振って確かめる。
「まだ、随分残ってるぜ。」
遼太郎はキョロキョロと、周りを見回して探したが、みのりの姿は見当たらない。
「俺、ちょっと探してくる。」
と、遼太郎はそこを離れた。
給湯室を覗いてもいないし、情報処理室にもいない。職員室を出て、進路指導室へ。ここは各大学の過去問が置いてあるので、遼太郎に渡す問題を調達しに、みのりはよく訪れる。でも、ここにもいない。
階段を駆けあがって、右手が職員室だが、左手には職員用のトイレがある。ここかもしれないが、そこを覗くわけにもいかない。行きつ戻りつしていると、中から〝若くて可愛い〟と言われている悠木先生が出てきた。
「中に、仲松先生はいませんでしたか?」
いきなりラグビージャージを着た遼太郎に話しかけられて、悠木はちょっとギョッとしていたが、
「誰もいませんでしたよー。」
と、にこやかに返答してくれた。
軽く会釈をし、踵を返して1年の教室へと向かおうとした時、渡り廊下にいるみのりを見つけた。
みのりは、いつも遼太郎とそうしているように、一人の男子生徒と並んで長机に着き、問題プリントを覗き込んでいた。
見覚えのあるその男子生徒は、国立文系クラスの3年生だ。
――他の生徒にも個別指導をしてるんだ……。
それを認識した遼太郎の胸の鼓動が、ドクンと切なく脈打った。自分が〝特別〟じゃなくなっていることに、軽いショックを受けていた。




