雨の中の勇姿 Ⅲ
授業が終わって、二俣が教卓の方へ歩み寄って来た。
「ねー、先生。ホントに応援に来てくれる?」
みのりに向かい合って教壇の下から教卓に肘をつくが、教壇の上にいるみのりよりも目線が高い。みのりは教科書や板書ノートを重ねながら、二俣に目をやった。
「予定がなかったらよ。日にちと時間と場所を教えておいて。」
みのりは澄ました顔で、気が向かなそうな返答をする。
「えー、先生。予定なんて放っておいて、応援に来てくれよー。6月2日の土曜日だよ。場所は……ええと……。」
二俣は、頼りなさげに言いよどむと、
「野原田競技場じゃないの?」
と、みのりが助けた。
「そう!いつもそこで試合があるんだよ!よく知ってるね、先生。」
二俣が肘をついたまま、みのりを指さす。
みのりは「まあね」という風に、肩をすくめた。……石原に会うために通っていたから……とは言えなかったけれど。
「それで、時間は?」
みのりの問いに二俣は困惑し、遼太郎に助けを求めた。
「遼ちゃーん!2日の試合は何時からだったっけ?」
遼太郎は首をかしげながら、二俣の隣へやって来る。
「2時だったっけ?いや、1時半だったかな…」
と、遼太郎の方もはっきりしない。
「んもう、いいわ。江口先生に訊くから。」
みのりは呆れ顔でそう言うと、授業道具をまとめて教室を出ようとした。
「あっ、先生!江口っちゃんにわざわざ訊くことないよ。LINEしてる?友だちになろっ?」
二俣は、にんまりと笑った。
「残念でした。私、スマホじゃないから、LINEなんて知らないの」
「えっ?!今どき、スマホ持ってねえの?じゃあ、メアド教えてよ!後でメールするから。」
――江口先生に訊いた方が早いと思うんだけど……。っていうか、メアド教えろって!?
みのりは面食らって、二俣の顔を見つめ返す。
実際、生徒にメールアドレスを教えるのには、かなり抵抗があった。でも、これを撥ね付けてしまうと、「生徒を信用しないのか!?」と、この二俣ならば言いかねない。
みのりは眉間に皺を寄せて、二俣と遼太郎の顔を交互に見遣った。
二俣は満面の笑み、遼太郎はちょっと戸惑っているような表情をしている。
みのりはため息を吐いて、閻魔帳に挟んであったペンを手に取った。
「ネットに書き込んだり、他の生徒に教えたり、イタズラメールを送ったりしないでね。」
そして、ノートの切れはしに、自分の携帯電話のメールアドレスを走り書きして、近い方にいた遼太郎に手渡した。
遼太郎は手のひらに載せられたメモを見て、目を丸くしてみのりを凝視した。それを見て、 みのりは面白そうに軽く息をもらすと、足早に教室を出ていった。
みのりは職員室に戻って、早速6月2日の予定を確かめてみた。
……しかし、午前中に箏曲部の練習が入っている。外部講師が練習を見てくれるのだが、こちらも6月中旬にある大会を控えているので、なおざりには出来ない。
――困ったなぁ……。
成り行き上だが、ラグビーの応援には行ってあげたい。でも、野原田競技場まで高速道路を飛ばしても、1時間はかかる。
――お昼にお琴の練習が終わって片付けが済んで…試合が1時半からだと、ちょっと厳しいかなぁ……。
みのりは、久しぶりのラグビー観戦を、ほとんど諦めていた。
自宅に帰って、いつものように簡単な夕食を作って食べ、お風呂で疲れた体を癒す。みのりがホッと息をついた時、携帯電話が点滅しているのに気がついた。
開いてみると、遼太郎からのメールだ。
『 3年1組の狩野です。6月2日の試合は、午後1時半からの予定です。頑張るので、応援よろしくお願いします! 』
髪の毛を拭いていたみのりの動きが止まった。
1時半からだと間に合いそうにないので、〝もう応援には行けない…〟と、決め込んでいたのだ。
みのりの教師心が、チクチクと痛む。
――こんなに期待されると、行かないわけには行かないなぁ……。
みのりは再び髪の毛を拭きながら、返信ボタンを押した。
『 連絡ありがとう♪2日は午前中に用事があるけど、用事を終わらせてすぐ向かいます。後半には間に合いたいけど…。それでは! 仲松みのり』
後半の30分だけを観戦しに、1時間も高速道路を飛ばして、わざわざ行くなんて馬鹿げてる。貴重な休日なんだから、もっと有意義に過ごしたい。
……なんてことを考えて当然なはずなのだが、なんだかみのりの心は知らないうちに逸っていた。
久しぶりに観るラグビーの試合は、楽しみでもある。石原も知っているあの子たちの活躍は、石原との話の種にもなるだろう。
みのりの中に、試合の応援に行くのを心待ちにする気持ちが少しずつ大きくなっていき、
そしてそこにはほんのりと暖かいものが漂っていた。