絶世の美女 Ⅶ
一昨日の土曜日の午後のことだった。石原から再びメールが届いていた。
勇気を振り絞って、文面を開いてみたら、思ったような通りの内容が書かれていた。
何か悪いことをしたのなら、謝るので許してほしい。君はとても大事な人だから手離したくない。どうすればいいのか教えてくれ。
そんな内容が切々と書かれているメールを読むと、やはり涙が零れた。
無視し続けるみのりに対して、「どうして連絡をくれない?」と言って問い質したり、責めたりする言葉がないのが、石原らしかった。
石原は、みのりが自分のことを何よりも想い、愛していると信じ込んでいるのだろう。実際、みのりも石原に対して、ずっとそういう愛情表現をしてきていた。
だからこそ、みのりの態度に困惑し、その困惑が通り過ぎた後は、別れの予感に怯え、言葉を尽くして必死にみのりを繋ぎ止めようとしている。
これまではずっと、みのりの方が怯え続けてきた。
石原の奥さんに気取られるのではないか。いつまでこうやって、心も体も繋がって抱かれることができるのか。気持ちが冷めて、連絡が来なくなるんじゃないか――。
だから、みのりからの連絡が来ない石原の不安な気持ちは、痛いほどよく解る。きっと辛い思いをしているのだと思う――。
それを思いやると、みのりの胸は申し訳なさと切なさで、キリキリと痛んだ。目を閉じて唇を噛み、携帯電話を閉じた。
無情だと思われようが、返事を送るつもりはなかった。
石原も、もう気がつくべきだ。
みのりとは未来が望めないことに。自分が本来心を傾けるべきなのは、みのりではないことに。
みのり自身は、哀しく沈み込んでしまう感覚はあるが、もう身を切られるほどの苦しみはなかった。
いつかは石原を失うことは初めから分かっていたし、澄子が傍にいてくれたお陰で、一番辛く苦しい波は乗り越えられた。
……そして、遼太郎に話を聞いてもらって、あの抜けるような青空を見上げた時に、ふっ切れたように思う。
あの時、遼太郎はみのりに、『また人を心の底から好きになれますか?』と訊いた。
みのりは、もう誰も好きになりたくない…とは思わなかった。
石原ではない、誰でもない誰かを思い描いて、もっと深く心の底から好きになりたいと思った。
遼太郎があの問いを投げかけてくれたお陰で、自分の気持ちが整理でき確認できた。
今までに教え子相手に、自分の恋愛のことを話したことはない。生徒には自分のプライベートを知られないように、一線を画していたところがある。
でも、不思議なことに、遼太郎が相手だと、この一線を意識することさえなかった。みのりは遼太郎の前では、いつも等身大で素直な自分でいられるような気がしていた。
顔を見ただけで、なぜかホッと安心できる……。
多分それは、遼太郎の純粋さと真摯な態度がなせる業なのだと、みのりは思っていた。
そんなふうに自分をリセットしていても、石原から切ない内容のメールが来たら、やはりみのりの心は痛んだ。
メールがくるたび、澄子を呼び出すわけにもいかない。このやるせない気持ちを、何か紛らわせることはないか…。
それで、髪を切ることを思い立った。
次の日、みのりは早速美容院へ行った。いつもならば、イメージがあまり変わらない程度にしか髪を切らないみのりだったが、
「今回は、バッサリ切りたいんですけど。」
と、宣言した。
いつも担当してくれる美容師さんも、目を丸くする。
「バッサリ?」
と念を押されると、みのりは少々気おくれして、
「い、いや。ベリーショートというわけじゃなくて、長めのショートくらいに…。」
と、あいまいで訳の分からないようなことを言った。
「分かりました。お任せして頂けます?」
美容師さんはにっこり笑うと、少し考えてから髪を切り始めた。そして、出来上がったのが、生徒にも大反響の髪形だった。
これには美容師さん自身も大変満足したらしく、一歩下がって何度もみのりを眺めまわしていた。
「お疲れ様でした。」
と、ケープを取ってくれているとき、みのりの耳元で囁いた。
「僕、この後休みを取ってるんですけど、一緒に昼食でもしませんか?」
みのりは驚いて、鏡越しに美容師さんを見た。
ケープを持つ手に指輪が光る。
――ん?左手の薬指?
みのりはとっさに眉間に寄った皺を隠して笑顔を作った。
「すみません。午後からは用事があって…。」
みのりがやんわりと断ると、美容師さんもひきつった笑顔を作って頷いた。
――結婚してるくせに、ナンパなんかしてるんじゃないわよ!
せっかく心機一転、気分転換をしようと思っていたのに、また憂鬱な感じが戻って来てしまった。
――私って、結婚してる人にしかモテないのかな……?
帰り道、何となく絶望的な寂しい気持ちで、そんなことを思った。
自分には、巷にあふれているカップルのように、たった一人の相手を見つけて幸せな生活をする日など訪れないのではないか……。
それどころか、遼太郎の言っていた〝心の底から好きになれる〟人など見つけられないのではないか……。
そんな虚無的な不安が、みのりの心の中には絶えず去来していた。




