絶世の美女 Ⅴ
「それじゃ、日本史の個別指導は、もうやめときましょうか。」
みのりは、そう言った瞬間、自分でもショックを受けているのが分かった。
どんなに忙しくても、遼太郎との個別指導はやめたくない――。そう思っていたことを自覚した。
もう遼太郎が、それを必要としていなくても。
「…いや、それは。」
遼太郎も反射的に、みのりの提案を打ち消した。
「まだ、11月の全県模試があるし、それまでは。」
「でも、狩野くん。入試の準備もあるし、大変じゃない?それに、もう個別指導しなくても、狩野くんなら自分で勉強しても十分結果は出せると思うけど。」
心とは裏腹に、みのりの口からはやめる方向の言葉が出てくる。少しでも遼太郎の負担を減らしたい……という気持ちがないわけでもない。
「他のことが大変だから…。その、却って個別指導してもらわないと勉強しなくなるっていうか…。俺だけ、先生に甘えすぎなんですけど…。」
遼太郎の言い方は控えめだったが、個別指導は続けたいという強い意志が感じられた。
内心みのりも、今までの状態が続いてくれることにホッとする。
「それじゃ…、続ける?朝寒くなるけど?」
と、みのりが念を押すと、
「まだ、暑いですけど。」
と、遼太郎は学生服の詰襟をパタパタと動かした。
みのりもそんな遼太郎の仕草を眺め、フッと笑いを漏らす。
「そういえば、狩野くん…。」
何かを思いついたように、みのりが切り出すと、遼太郎は優しい視線を投げかけた。
その他意のない素直な視線に、みのりは少し気圧されてしまう。
「……いや、何でもない……。それじゃ、明日の朝ね。」
「はい。」
みのりが何を言いかけたのか、遼太郎は気になるような面持ちをしたが、とりあえず返事をした。
みのりは笑顔で一つ頷くと、優美な後ろ姿を見せて、職員室へと入っていった。
――女の子に告白されたでしょ?
みのりが言おうとしていたのは、この言葉だった。
この前平野から、遼太郎が告白されたという話を聞いて以来、その真偽を確かめたくてしょうがなかった。
断ったというのは本当なのか。
好きな人は、いったい誰なのか…。
でも、今日はこんな話をするにはふさわしくない。
女の子を振るなんて、まじめな遼太郎にすれば、心持ちのいいことではないだろう。それを持ち出して、今日の遼太郎の喜びを台無しにしたくない。
遼太郎の指定校推薦が決まったことは、何よりもみのり自身が胸をなでおろし、喜びで満たされていた。
「……よかった。」
みのりは職員室の机に肘をついて、顔を両手で覆った。
周りの教師たちに、少し泣いてしまったのを気取られたくなかった。
次の週の月曜日、3年1組の教室に入ってきたみのりを見て、生徒たちはどよめいた。
その日の朝は個別指導がなかった遼太郎も、これを見て驚いた。そして、胸がキュンと絞られた。
「……何?何かあった?」
なぜどよめきが起こっているのか理解していないみのりは、生徒一同に向かって不安そうに尋ねる。
「何って、髪よ、先生。切ってるじゃん!」
「ああ!そうなの。髪を切ったの。後期も始まったし、記念式典も終わったからね。心機一転よ!」
ガッツポーズをするみのりに、何でそんなに張り切っているんだ…とばかりに、生徒たちはポカンとした顔つきで沈黙した。
「な、何?……変かな?」
と、みのりが頭に手をやって神妙な顔つきになると、
「いや、先生。かわいいよ!マジで。」
と、宇佐美が真っ先に口を開いた。
「そうそう!ガッキーみたいで、かわいい。」
「が、ガッキー?…って、誰?生徒?」
みのりがそう問うと、教室中がまたどよめいた。
「新垣結衣、知らねーの?先生ー!!」
今度は男子生徒が呆れ顔で言った。
「…え!?もしかして、テレビに出てる人?私、ほとんどテレビ見ないから…。」
ちょっと世間離れしたみのりの所以は、この辺にあったのか…と、生徒一同は絶句した。
「でも、その人かわいいのね?でもって、若い?その人に似てるのなら、よかったわ。」
にっこりとみのりが笑うと、遼太郎の胸はキューンと、いっそう締め付けられた。
――先生は、綺麗なだけじゃないんだなぁ……。こんなに可愛いなんて……。




