雨の中の勇姿 Ⅱ
「さあ、雑談はおしまい。目が覚めたところで、今日出すはずだった宿題プリントを今から配るから、残りの時間はそれを各自やりましょう。」
プリントを配ると、家で宿題をやるより今済ましておきたいのだろう、生徒たちは、黙ってプリントの問題に取りかかった。
みのりは心地好い風が入ってくる窓辺にもたれて、外を眺めた。
――来月には三十歳かぁ……。
腕を組み、ため息をもらす。
最近では、三十歳で独身という女性もそう珍しくない。特に、みのりの周りには、そんなハイミスがたくさんいた。
――実家に帰ったら、うるさいだろうなぁ……。
もちろん、結婚のことでだ。特に母親は、「相手はいないのか?一生独身のつもりか?結婚するなら、婚活しなきゃ」…などなど、嫌になるほど口うるさい。
婚活……すなわちお見合いや出会いのためのパーティーに出たりするならば、さすがに石原と今の状態を続けながら……という訳にはいかないだろう。
三十歳になるのを機に、石原との関係を清算すべきなのかもしれない。
でも、数カ月に一度くらいしか会えない石原なのに、「離れてしまう」……そう思っただけで、みのりの身体は震えた。
目頭が熱くなり、眺めていた木々の梢の緑がかすんでくる。みのりは組んでいる腕に力をこめ、唇を噛んで、乱れた感情を必死で落ち着けた。
ふと生徒たちの方へ目をやると、プリントの課題をしている生徒たちはみんな頭を下げているのに、遼太郎一人だけが頭を上げていて、パチリと目が合った。
みのりの様子がいつもと少し違うことに、気が付いたのだろうか。遼太郎が目を逸らさないので、みのりは笑顔を作って声をかけた。
「何?狩野くん。質問?」
遼太郎ははっと我に返り、首を横に振って再びプリントに取り掛かった。
みのりは気を取り直し深いため息をつくと、教卓へ戻り、生徒たちを見渡す。その生徒たちの中で、一際深く頭を下げている子がいる。二俣だ。
みのりは教壇を降り、つかつかと大股で歩いて、二俣の背後へと向かった。二俣の背中に膝を当て、両肩を掴んで引っ張り上げる。
「寝るなって、言ったでしょ!!」
「うおぉぉっ…!?」
二俣が驚いて、怪物のような声をあげると、教室中から笑い声がおこる。
「何だよ、先生~。課題は帰ってやるから、寝てたっていいじゃんかよ~。」
無理やり起こされた二俣は、不機嫌そうに口を尖らせた。
「だからって、今寝ていい理由にはならないでしょ!課題プリントをしないんなら、他の勉強をしなさい!そりゃあ、部活で疲れてるのは解るけど、自分が受験生ということも忘れちゃダメよ!!」
みのりは腰に手を当てて、くどくどと説教した。
「へーい……。」
二俣は顎を突き出して返事をし、課題に取り掛かるに見えたが……、
「そうだ、先生。今度の県大会の応援に来てよ。」
と言い出した。
「試合?ラグビーの?」
みのりも思わず、説教していたのも忘れて、返答してしまう。
「俺が、サッカーの試合に出るとでも?」
二俣は、生意気にも皮肉を返す。みのりは二俣に言い返そうと思ったが、このまま二俣のペースに乗って雑談をすると、他の子の集中を乱してしまう。
「ああ、もう。分かった、行くから。今は課題をやって。」
みのりは後ろ手に手を振って、それで会話を終わらせた。
ラグビーの試合、特にこの芳野高校のラグビー部の試合の観戦は、みのりにとってなじみのあるものだった。
三年前に芳野高校に勤務していたとき、高校時代にラグビーの経験のある石原は、ラグビー部の顧問をしていた。
芳野高校のラグビー部の試合の応援に行けば、石原に会える――。
みのりは芳野高校を離任した後も、石原に会いたいがために、ラグビー部の試合会場へ足繁く通っていた。
石原が芳野高校を離任する1年前まで観戦に行っていたから、みのりも1年生のときの二俣たちを見たことがあるはずなのだけど……。石原に会うのが目的だったから、記憶は曖昧だった。