遼太郎の初恋 Ⅴ
遼太郎が職員室に入ろうとした時、
「考査前は入室禁止よ。」
と、振り向いた澄子から声をかけられた。遼太郎は焦って、
「ああ、じゃあ先生。ちょっと訊きたいことが!」
と、とっさに呼び止めた。
澄子は出入り口まで戻って来て、遼太郎の質問を無言で待った。遼太郎は少し躊躇して遠慮がちに、口を開いた。
「仲松先生は、どうして目を腫らしてるんですか?先生に何があったんですか?」
てっきり勉強の質問とばかり思っていた澄子は、意外な問いに目を丸くする。
みのりのプライベートなことなので、適当な言葉でごまかそうかとも思ったが、遼太郎があまりにも真剣な表情をしているので、気を変えた。
「ちょっと待ってなさい。」
と、職員室の中へ入っていき、しばらくしてみのりを連れて出て来た。
「そういう質問は、仲松先生に直接してちょうだい。」
澄子はみのりに目配せして、職員室へ戻っていく。
みのりの方は遼太郎に目を移して、
「何?質問?今日の授業のところ?」
と、考査前にはよくある状況を想像しているようだ。
しかし、遼太郎は先ほどと同じ質問を、今度はみのり本人にぶつける。
「先生の目の周り、どうして赤いんですか?」
みのりは面食らって固まり、それからその表情に戸惑いを過ぎらせた。
「……ど、…どうしてって、……その、映画を観て泣きすぎちゃって……。」
自分でもベタな言い訳だと思いながら、みのりはしどろもどろと返答した。
「何の映画ですか?この前の試合の時も、映画を観て泣いたんですか?」
遼太郎は真剣な表情で、さらに問いかけてくる。その真っ直ぐな視線に射抜かれて、
――やっぱり狩野くんは、ごまかせないか……。
と思いながら、みのりはため息を吐いた。
「……それじゃ、ここじゃ話せないから……。」
みのりは遼太郎の背中を押して、職員室前の雑踏を抜けた。
いつも質問を受けたり、話をしたりする渡り廊下の長机も通り過ぎた。みのりの後を、遼太郎は黙って付いて行き、誰もいない特別教室棟の空き教室に入った。
「どうして、私の目のことなんか訊きたいの?」
窓を開け、その側にある椅子に座りながら、みのりは逆に遼太郎へ質問した。
「どうしてって……。先生の心配しちゃいけませんか……?」
遼太郎は椅子へは座らず、みのりの斜め前の机に腰かけた。
遼太郎の一言に、トクン…と、みのりの胸がさざ波を打つ。その一言から、遼太郎の優しい人柄が垣間見える。
「いけなくはないけど……。私、生徒にまで心配かけちゃうなんて、教師失格かも……。他のみんなも気がついてた?」
みのりは表情を曇らせて、無意識に目の周りに指を這わせた。
泣き明かしたのは土曜日の夜だ。昨日1日間あったから、目の腫れも大分落ち着いていると、みのりは思っていた。
「いや……。気にしてるのは俺だけだと思います。」
「じゃ、何で、狩野くんは気にするのかな?私の目が腫れてようが、どうでもいいじゃないの。」
「どうでもよくなんか……!」
遼太郎は珍しく語気を荒げたが、すぐにそれに気がついて、
「……ありません。」
と、言い直した。
『何で?』と訊かれても、自分でも理由はよく解らない。でも、遼太郎はみのりが納得できる言い訳を探した。
「気になるのに、理由なんかありません。でも、一旦気になりだすと、他のことが手に付かなくなるんです。実際、今日の日本史の授業の内容も、ほとんど頭に入ってません。」
遼太郎は、正直に今の自分の状況をみのりに伝えた。それに、少しずるい気もしたが、こう言えばみのりが本当のことを話してくれると思った。
「勉強が手に付かなくなるのは、考査前だし困るわね……。」
みのりは深刻な顔をして、眉間に皺を寄せた。生徒のことを第一に考えるみのりは、自分のせいで、遼太郎の成績に影響が出てしまってはいけない…と思った。
頬杖をついて、目を閉じて少し考える。
本当のことを、生徒である遼太郎に打ち明けてもいいだろうか…と、迷いもあった。事が事なだけに、打ち明けるには勇気も必要だった。




