遼太郎の初恋 Ⅲ
「大丈夫。私がついてるから。……よく決断したね。」
みのりは涙をこぼし、ただ黙って数回頷いた。
澄子に来てもらったのは、哀しみを受け止めてもらうためもあったが、澄子が言う〝決断〟がいつ鈍るとも分からないからだ。
「さっき、メールが来てたの。澄ちゃん、見てみてくれる?」
澄子がみのりの携帯電話を開くと、やはり石原からのメールだった。
『みのりちゃん、メールに気づいてないのかな?今晩も朝まで一緒にいられるけど、早くそっちに行ってみのりちゃんに会いたいから、時間がもったいないよ。これを見たら、すぐに連絡して下さい。あ、もしかして、実家に帰省してる?』
澄子は、みのりと石原の二人だけが共有している濃厚な関係をかいま見たようで、顔を赤らめた。澄子が知っている石原とは、まるでイメージが違うので、戸惑いもある。
詳しい内容は話さずに、澄子は、
「メールに気づいてないのかな……って書いてある。」
とだけ伝えた。
石原の心を思いやって、みのりは唇を震わせた。涙は止めどもなく、後から後から流れてくる。
「澄ちゃん。夕ご飯食べた?まだだよね。何か作ろっか。」
みのりが涙を拭きつつ立ち上がって、キッチンへ向かった。
「ああ、別にいいのよ、夕飯は。私いつも適当なもの食べてるから、コンビニで何か買ってこようか?」
澄子は心配そうに、みのりの背中に声をかける。
「ううん、澄ちゃんにはここにいてほしい。それに、何かしてると気が紛れるし……。」
みのりは振り返って薄く笑い、冷蔵庫の中を確認した。
痛々しいほどのみのりの様子を見て、澄子はこれが恋をすることなのかもしれない……と思った。
自分のただ見つめているだけの恋など、恋とは呼べないのではないか……とさえ思えてくる。
恋をしてこんな風になってしまうのは、もちろん怖い。
でも、求めあいながらも別れなければいけない、身につまされるような恋に憧れる気持ちもある。
そして、そんなふうに人を想い、想われるみのりが羨ましかった。
みのりは簡単に、親子どんぶりとお味噌汁と野菜の浅漬けを作って、澄子に振る舞った。
その夕飯に満足した澄子は、
「みのりさん。いつでもお嫁に行けるね。」
と、言った。みのりは寂しそうに笑い、
「うん。今度はもらってくれる人、探さなきゃね……。」
と、ため息をつく。
……澄子は、余計なことを言ってしまったとと口をつぐんだ。
夕飯の片づけが済んだ頃、みのりの携帯電話が鳴り響き、みのりはビクッと体をすくめた。
今度はメールではなく、電話の着信だ。石原からの着信だということは表示で分かる。長く鳴り響く間、みのりは澄子と顔を見合わせて、腕組みし、電話に出る衝動に耐えた。
ようやく着信音が鳴り終った時、澄子が、
「心臓に悪いから、電源を切っておいた方がいいと思う。」
と、みのりの携帯電話の電源ボタンを長押しした。
みのりは部屋の隅で膝を抱え、黙り込んだ。時が過ぎゆくのに耐えながら、まだ石原と付き合う前のことを思い出していた。
石原と二人で週番をすることになったことがある。暗い校舎の中を懐中電灯を持ち、二手に分かれて巡回することになった。
石原は不気味な特別教室棟へ行き、みのりは一般教室棟の方を見回った。
暗い教室の中に入って、戸締りを確認していると、向かいの校舎で何か光っているのに気が付いた。
一定に点滅する光――。
すぐに石原が故意に発しているものだと分かり、5回ずつ点滅を繰り返すのを、ドキドキしながらみのりの方も真似て返した。
胸が高鳴って、その時石原への気持ちを自覚した。
「……初めから、好きになっちゃいけない人だったのよね。でも、私バカだったから、好きな気持ちに勝るものはない……って思ってたの。周りが見えてなかったのよね……。」
澄子は黙って、みのりの話を聞いた。
でも、みのりの一方通行ではない。石原の方も、みのりに強く執着している。石原もみのりを求めなければ、みのりの想いがこんなにも強くなることはなかっただろう。
3年前みのりが講師だったころのことを、澄子は思い出していた。
みのりは芳野高校の講師の任命期間が終わったとき、次の赴任先が決まっていなかった。
どこかの高校に日本史の講師の空きはないか…。ずっと学校に残って、各高校の教員組合の人間に片っ端から電話をかけていた石原の懸命な姿。
みのりの知らないところで、みのりのために、愛しいと思えばこそやっていたことだと、今になって澄子は気が付いた。




