遼太郎の初恋 Ⅱ
その日、 日本史の授業でみのりが教室に入ってきたとき、今朝のことを相談してみようかと、遼太郎の頭によぎった。
しかし、直後に、
――ダメだ!先生には相談できない。
と、その考えを打ち消した。
何故だか、遼太郎はみのりにこのことを知られたくなかった。
仮にみのりに相談しても、「彼女がいたらよかったのにね」といつも言われているぐらいだから、付き合うことに前向きな意見を言われるに違いないと思った。
かと言って、二俣には相談できない。小泉智香は二俣の彼女の友達だ。それに、どう見ても自分より恋愛に疎そうな衛藤に相談するのは、……論外だ。
この〝問題〟は、自分ひとりで考えて、自分で結論を出さないといけない……。
遼太郎はそう考えて、とりあえずこの問題を頭の中の脇の方へ追いやった。そして、今度の期末考査の範囲になっている授業に、集中することに努めた。
進学校である芳野高校では、普段の授業とは別に、土曜日に行われる特別講義を「土曜学習」と称して行っている。
日本史の土曜学習が行われているのは3年生のみで、それも国立系のクラスの子が対象だ。
9月の最後の週末のこの日、みのりは普段授業をしていない生徒たちを相手に、センター試験対策の講義をして、お昼過ぎに帰宅した。
部屋に入りホッと一息ついて、バッグから携帯電話を取り出した。すると、メールの着信を知らせるランプが点滅している。
携帯を開いてみて、みのりは息を呑んだ。
「石原先生……。」
メールを読むべきかどうか迷ったが、みのりは震える手でボタンを押して文面を開いてみた。
『この前は、急に帰ることになってしまって、寂しい思いをさせて、ごめん。
娘はあの後3日ほど入院したけど、順調に回復して今は元気に幼稚園に通ってます。
それで、今日この後から明日まで、時間が取れてそっちに行けそうなんだけど、みのりちゃんの予定はどうかな?』
『近いうちに会える機会を作る』と言っていた約束に違わず、石原は会う時間を作ってくれた。
でも、何事もなかったかのようにみのりを誘う石原に、却ってみのりは違和感を持ち、自分への罪悪感を強めた。
石原には罪悪感はないのだろうか。石原は自分の中に存在している罪悪感を、ずっと無視し続けているのだろうか。
…いや、みのりの知っている石原は、そんな無神経な人間ではないと思う。
みのりの知っている石原は、もっと細やかで、純粋で……。純粋にみのりを想い、純粋に会いたいと思うから会いに来る。
それは、みのりを見つめる石原の深い眼差しが、顕著に物語っている。初めから、みのりに対する恋情と家族に対する罪悪感は、彼の中では同居しないのかもしれない。
でも、たとえ想いは深く純粋でも、人の道に外れたことを石原にはさせられない。
罪深い嘘を、これ以上吐かせてはいけない……。
何よりも、あの時罪悪感を自覚しまったみのりは、以前と同じ気持ちで石原に会うことは、もう出来なかった。
みのりはメールの返事はせずに、携帯電話を閉じた。いつしか両目に溜まっていた涙が、零れ落ちる。
――このまま、もう私からはメールはしない……。
以前、別れをほのめかした時の石原の強い抵抗を思い出して、非情だとは思ったが、こうするしかないと思った。
『もう会わない』と言おうものなら、石原は車を飛ばしてやって来て、懸命にみのりを説得するだろう。
そして、説得されれば気持ちが折れ、石原を愛しいと思う気持ちの方が勝り、結局抱き合ってしまう。
〝終わり〟にするには、無視して石原の心を挫く必要があった。
数時間経って夕暮れ時に、再び石原からのメールが入る。
みのりは自分が石原を傷つけようとしていることが怖くなって、携帯電話さえも開けなかった。携帯電話を見つめ、ブルブルと体が震える。
――独りでいたら、頭がおかしくなりそう……!
そう思ったみのりは、震える手で携帯電話を取り、……石原にではなく、澄子へと電話をした。
電話に出た澄子に、やっとのことで言葉を絞り出す。
「澄ちゃん。今日、うちに泊まって……。」
尋常ではないみのりの様子を心配した澄子は、すぐにみのりのアパートへ駆けつけた。
憔悴しきったみのりから状況を聞くと、澄子はそっとみのりを抱きしめた。




