表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/190

秘密の恋 Ⅳ



 その数時間後、石原のベルトの金属音で、みのりは目を覚ました。時計は午前3時を回っている。



「今から帰るの?」



 みのりは服を着ている石原に声をかけながら、自分の服を探した。

「うん…、泊まっていきたいのはやまやまだけど、……明日……いやもう今日か、今日の昼前には嫁さんと娘が実家から帰ってくるから……。」



 石原がため息を吐き、肩をすくめながら帰る言い訳をする。その瞬間、みのりはズキン!と響いた自分の胸の鼓動が、まるで聞こえるようだった。



 石原が愛を語らない理由は、これだった。


 何よりも大事な娘のためにも、奥さんとは別れられない。

 愛を言葉にしたら、みのりを縛ってしまう。逆に、自分がみのりに縛られないためにも、石原は決して愛の言葉を口にしなかった。



 みのりも、石原の奥さんとその娘さんに会ったことがある。

 知的で優しそうな奥さんと、5歳になったばかりの可愛らしい娘さん。あの二人の幸せを自分が壊してしまうと考えただけで、罪悪感で苦しくなる。



――奥さんと別れて、自分だけのものになって……。



 それだけは、絶対に求めてはいけないことだと分かっていた。

 たとえそうなっても、きっと石原は幸せにはなれない……。そう、みのりは思っていた。



 先ほどは、みのりの質問に答えなかった石原だったが、土日にかけて奥さんと娘が実家に帰省したから、みのりの元へやって来れたということらしい。 帰ることを言い出してから、石原はまた表情を固くして、笑いかけてくれなくなった。

 奥さんと娘のことを思い出したら、ここに来たことを後悔しはじめたのだろうか……。そんな、どうしようもなく不安な思いが、みのりの中に去来する。


 玄関のドアのところに、先ほどみのりが落としたバッグが、置かれたままになっていた。 みのりがそれを脇に避けると、石原はそこで靴を履き、みのりへと向き直った。



「それじゃ。」



と、次に会う約束も交わされることもなく、石原が短く告げる。



「それじゃ、また……。」



 みのりは思い切ってつま先立ちになると、石原の唇に自分の唇を重ねた。石原は唇を開くことなく、みのりの肩を抱くこともなく、みのりの唇が離れるのを棒立ちになって待っていた。


 石原の態度はそっけなく、いつも別れ際にはこんなふうになる。そして、みのりはいつも泣きそうな気分になった。



 川沿いの道に駐車していた車に石原が乗り込むまで、みのりは玄関先で見守った。車が発進すると、今度は部屋を突っ切って、玄関の反対側にある窓辺まで急いだ。ここからは、川沿いを200mほど行って、橋を渡るのを確認できる。


 滑るように走っていた車が、橋の手前でスピードを落とした。ブレーキランプが幾度か点滅する。


 それが意図的なものだと気づいたとき、みのりの胸が切なく震えた。



「今時、あんな古い歌の真似する人なんて……。」



 口にはしなくても、石原の気持ちはあの歌と同じなのだろうか。

 でも、言葉として、みのりを見つめて語られてるわけではないから、確信は持てない。



「『アイシテル』じゃなくて、『も・う・こ・な・い』……かもしれないし……。」



と、みのりはつぶやいた。



 そう思ってしまうほど、石原との恋は、いつ途切れてしまうか分からなかった。石原が気が向いた時にだけ会える、この関係は、いつもみのりを不安にさせた。


 それでも、さっきの二度目の愛撫を思い出して、みのりは疑念を振り払った。一人残された境遇では、望みのある方を選ばなければ辛すぎる。



 石原の車のテールランプが消えた夜の暗さを見つめていると、いつしか、ずっと堪えていた涙がみのりの頬を濡らしていた。



 みのりも石原も、このような状態がいつまでも続くとは思っていなかった。だけど、相手に突き放されたなら離れられるのに、お互いがお互いを求めて止まなかった。


 そして、石原のこんなささやかな意思表示を心の支えにして、みのりはまた石原と過ごせるほんの一時を、ただただ待ち続けた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ