別れの決心 Ⅵ
薄着だったので、あっという間に服を脱がされ、みのりの肌は明るい照明と空気にさらされた。
「……電気を消してください……。」
胸を腕で押さえながら、消え入るような声でみのりが辛うじて声を絞り出すと、再びキスをしようと顔を寄せていた石原は、柔らかく笑ってみのりの頬を撫でた。
そして立ち上がると照明を落とし、自らの服も脱ぎ、みのりの上に覆いかぶさる。
みのりの頭の横に腕をつき、
「会いたかった…」
と、深い眼差しでみのりを見つめた。
いつもならば「私も…」と返すはずなのに、この時までその気持ちが欠如していたことに、みのりは気づいていなかった。
みのり自身が、そのことに愕然として目を見開く。戸惑い混乱して、同じ眼差しで見つめ返せない。
数ヶ月前とは何かが変化してしまっていた。
しかし、石原はそんなみのりの心を想像だにせず、深いキスを繰り返す。
その時、携帯電話の着信音が鳴った。
みのりの着信音ではないので、石原のものだ。時間は10時半を回っている。こんな時間にかかってくる電話は、ただ事の要件ではないはずだ。
「……電話が鳴ってる……。」
キスの合間に、みのりが言葉を絞り出す。
「うん……。」
でも、石原は電話を手に取ろうともせず、その手は胸の膨らみを包み、膨らみに口づけ、さらに行為を進めていった。
石原の髭がみのりの胸の谷間を滑り降りる。唇と手のひらは、みのりの全身をくまなく、みのりが「あっ…!」と体をすくめる場所には丹念に、愛を施した。
みのりの方も、石原が与えてくれる目の前の圧倒的な感覚に、ようやく戸惑いも薄れ、我を忘れて石原の背中に指を這わせた。
みのりの息が乱れ、まぶたの裏に星が瞬きだした時、再び石原の携帯電話が鳴った。
しかし、今度のみのりには、これを気にする余裕がなかった。着信音が鳴り響く中、みのりは石原がくれる感覚に夢中になり、石原はその行為に没頭していた。
いつ着信音が途切れたのか、みのりが体を痙攣させてはじけ飛んだ時には、もう鳴っていなかった。
息つく暇もなく、また違う感覚が繰り返しみのりを襲いはじめる。石原も息を乱し、体中から汗が噴き出している。
再びみのりは恍惚とした海へと投げ出され、どさりと石原がみのりの体の上へと倒れこんだ。
石原の首筋に伝わり落ちる汗を、みのりが手の甲で拭うと、石原は頭を起こしてキスをした。
そして、みのりの隣に仰向けになると、左手でみのりを傍らへ抱き寄せた。
「今日はこのままこうやって、朝まで抱いていられる。」
満足そうに石原が笑うと、みのりは嬉しいような、そうでないような複雑な心境になった。
以前のみのりならば、石原にこんなふうに言われたなら、無邪気に無上の喜びを感じていたはずだ。
自分の中の微妙な変化を感じながら、みのりは何も言わずに、まだ鼓動が速い石原の胸の上に耳を付けた。
その時、また石原の携帯電話が鳴り始める。
今度はさすがに、石原もそちらの方に目をやった。みのりも上半身を起こして、脱ぎ捨てられた石原のジーンズのポケットが音の源だと確認した。
「電話に出て。…….お願い。」
石原の胸に手をついて、みのりは懇願した。
みのりのこの言葉に、石原は不服そうなため息を吐き、起き上がる。
「生徒が何か問題でも起こしたか……?」
と、ジーンズのポケットをまさぐって、電話に出た。
「はい。……ああ、どうした?」
突然、石原の声色が変わったので、みのりは直感で相手は奥さんだと判った。
みのりは息を呑み、体中の血液が凍り付いていくような感覚に震えた。ベッドの上のタオルケットを胸元に引き寄せ、石原の様子をただ見守るしかできない。
「えっ…!それで、今は病院か?……入院?……ああ。でも、飲んでるからすぐに運転できるかどうか……。ああ、わかった。出来るだけ早く向かうよ。」
ただ事ではない出来事があったらしい。
通話を終えた石原は、不安で表情をこわばらせるみのりに向き直った。
「紗弥…、娘が、入院したらしい。」
「入院!?」
やはり、ただ事ではなかった。みのりは血の気がスーッと引いていくのが分かった。
「もともと、ぜんそく持ちでね。今晩は特にひどい発作が起こったらしくて、救急車を呼んだそうだ。」
事態の深刻さに、みのりは目眩がした。
動揺が体中を駆け巡っていたが、大きく呼吸をして、今自分がすべきことは何なのか考えた。
「……じゃあ、病院へ行ってあげなきゃ……。」
みのりはタオルケットを置いて、裸のまま立ち上がって、石原の洋服を手に取った。
石原は、まるで自分を納得させるように、無言で何度か頷いていたが、
「……今日はずっと一緒にいられると思ったのに、こんなことになって、ごめん……。」
と、唇を噛んでみのりを抱きしめた。
みのりの顎が震えて、涙で目が潤んでくる。その気配を察して、みのりをなだめようと思ったのか、石原は言葉を続けた。
「でも、酒を飲んでるって言ったから、もう少しここに…….。」
しかし、石原のこの言葉は、みのりを慰めるどころか、却ってその心を鋭くえぐった。
涙が出そうなのは、石原が帰ってしまうからではない。石原が嘘をついてまでここに留まろうとしている……そうさせているのが、自分だということだ。
今、石原がこうやって慰めなければならないのは、自分ではなく彼の奥さんだ。
何は出来なくとも、父親として、苦しむ娘の傍にいてあげなければいけない。
「…ダメよ!お酒なんて飲んでないでしょう?すぐに運転できるんだから、今すぐ行ってあげなきゃ。」
石原は唇を引き結んで、みのりを見下ろした。みのりは奥歯を食いしばって、涙が流れ出すのを必死でこらえた。
しばらくの沈黙の間、石原はみのりを抱く腕に力を込めて離してくれなかった。
「……お願い。早く行ってあげて。」
みのりは手に持っていた石原の服を押し付けて渡し、その腕からすり抜けた。




