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秘密の恋 Ⅱ



 その日の放課後、予定通りに行われた職員会議の最中、みのりのポケットにある携帯電話のバイブが新着メールを知らせた。

 会議中だし、いつもならそのままにしているみのりだったが、この日はなにか〝虫の知らせ〟のようなものを感じ取った。まるで生徒が授業中にこっそりスマホをつついているみたいに、右手でペンを持ちながら左手を使って携帯電話を取り出し、机の下で開いてみる……。



『明日の夕方からなら会えそうだけど、予定はどう?』



 そのメールの短い文面を見た瞬間、みのりの胸が、ひとつ大きく脈打った。



――石原先生……!!たとえ予定があったとしてもキャンセルして、会うに決まってる!!



 こうやって石原から連絡をもらうのは、数ヶ月ぶりのことだった。このチャンスを逃すと、次はいつ会えるのか分からない。

 みのりは自分の予定の確認もせずに、すでに返事を決めていた。すぐにでも返信をしたかったが、さすがに会議中なので終わってからすることにした。

 しかし、みのりはソワソワとして、うわの空。後半の会議の内容はほとんど頭に入ってはいなかった。




  次の日の土曜日、 みのりのアパートの近くまで石原は迎えに来てくれた。


 みのりが石原の車の助手席に乗り込むと、



「いい所にアパートを借りたね。」



と、石原は微笑んだ。



「はい。日当たりもいいし、横は川だから、ちょっと前まで河原の菜の花や土手の桜がきれいでしたよ。」



 みのりは、ぎこちなく笑顔を作りながら応える。本当に久しぶりに会うので、意味もなく緊張していた。



「うん、それもいいけど。三年前の君のアパートは学校に近くて、いつ生徒に会うかとヒヤヒヤしてたからね。」



 石原は、以前みのりが芳野高校に勤めていた時の同僚だ。同じ分掌で一緒に働いている内に、想いが通じ合うようになり、こうやって時間を作っては会っている。



「取り敢えず、食事に行こう。」



 そう言って、石原は車を走らせた。


 とは言え、近くの店を使うと、生徒や同僚に会わないとも限らないので、たかが食事のことにも気を遣う。

 一番厄介なのは、教師は生徒に気がつかなくても、生徒の方はしっかり教師を判別できるということだ。



  なので、高速道路に乗って、隣の隣の街まで走った。

 そして高速道路を降り、山道に入る。カーブ道を登っていくと、眼下にささやかな夜景が見えてきた。



 久しぶりに会えて話したいことはたくさんあるのに、みのりはまだ緊張が抜けきれず、ただ黙って車の窓越しに夜景を眺めていた。

 石原の方も、黙って運転を続けている。



 こんな風に石原に沈黙されると、決まってみのりは怖くなってくる。



 ……石原の気持ちが、もう冷めてしまったのではないかと。


 みのりのこの恋には、いつもそんな不安がつきまとった。




  小高い山の頂上付近に、小さなレストランがあった。スペイン料理とスモーク料理の専門店らしい。店内には暖炉があり、木造りのほっと落ち着ける雰囲気があった。



「素敵なお店。来たことあるんですか?」



 窓際の夜景が見える席に落ち着くと、みのりが口を開いた。



「いいや、初めて。インターネットとカーナビのお陰だよね。無事にたどり着けるか、ちょっと緊張したけど。久しぶりにみのりちゃんに会うからね。人の目が気にならないゆっくりできる場所をいろいろ探してみたんだ。」



 石原がテーブルに頬杖をついて、きれいに整えられた髭に縁どられた口を緩ませて、みのりを見つめた。


 石原の優しい言葉は、みのりの胸をきゅんと切なく鼓動させ、そして先ほどの不安をみのりの心から洗い流してくれる。



 料理を食べ進む内に、みのりも緊張が解け、本来の笑顔とユーモアに富んだ口調が出てくるようになった。


 石原はそんなみのりの顔を時折じっと見つめ、みのりの話す話題に小気味のいい相づちと笑い声を洩らした。



「そう言えば、新採用おめでとう。まだお祝い言ってなかったよね?」



 料理も食べ終えた頃、思い出したように石原が言った。



「ありがとうございます。でも、3年前と同じ職場なんて新鮮味がなくって…」



 みのりは、デザートのレモンのムースを食べる手を止めて答えた。


 石原は、ふっと面白そうに顔をほころばせて続ける。



「加藤学年主任の強烈な引きがあったんじゃないのか?みのりちゃんを買ってたからなぁ。」



 その言葉にみのりは身震いし、露骨に顔をしかめたので、石原はとうとう吹き出した。



「加藤先生、今年度は教務主任なんですけど、私も何故か教務だから雑用をあれこれ頼まれて……すっごくこき使われてます!」



 みのりがそう言うと、石原はますます笑いが止まらなくなった。



「ホントなんですよ、分かるでしょう?私よりも若い教員はたくさんいるのに、何かある毎に『仲松さん、仲松さん』って気安いんですから。」



 実際のみのりは、自分の仕事が忙しい時に他の大変な仕事を頼まれても、文句ひとつ言うことはない。それなのに、こんな言い方をするのは石原を楽しませようとしているからだ。


 それを解っている石原は、みのりを見つめてからかい始める。



「小さい子がする〝好きな子いじめ〟と同じじゃないかな?」



 石原のその言葉に、みのりが驚いて目を見開いて見せる。



「俺もそうやって、みのりちゃんをこき使っただろ?」



 石原はみのりの反応を確かめながら、そう言って続けた。するとその意味を解して、みのりの顔がみるみる赤くなる。


 石原がおかしそうに口角を上げた時、口の端の髭に先ほど食べたムースのソースが付いているのに、みのりは気がついた。


 スッと手を伸ばして、髭に付いたソースを指で拭い取る。

 みのりの指が石原の唇に触れた瞬間、石原はピクッと表情を固くした。……そして、急によそよそしくなってしまった。


 その微妙な態度の変化に、みのりも過敏になって感じ取る。



「そろそろ出ようか。」



 そう言って席を立ち、会計に向かう石原の背中を、みのりは再び不安な気持ちで見守った。



――気に障ることをしたのかな?でも、いつもの石原先生だったら、あんなことくらいで怒ったりするはずないけど……。



 言いようのない怖さが、みのりの中に立ち込めて、その心に覆いかぶさってくる。

 こんな些細なことにさえ敏感になってしまうほど、みのりは石原をただ一途に想い続けていた。




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