個別指導 Ⅲ
夏休みに入ってすぐに、吉田高校のある街では、祇園祭が行われる。
京都の祭りまでとはいかないが、地域を挙げての盛り上がりで、生徒たちの中には山鉾の牽き手として活躍する者もいる。
みのりが3年前に勤務していた時は、教員採用試験の直前で、楽しもうという気にさえならなかったが、晴れて採用された今年は、澄子を誘って山車が出る界隈に行ってみようかと思っていた。
商店街の中には、浴衣の貸し出しと着付けをしてくれるところもあるので、そこで浴衣を着せてもらって夜の街をそぞろ歩く。
本当は彼氏と一緒に…とは思うものの、お互い独り身なので女同士で楽しむのだ。
澄子にその提案をしに、職員室の澄子の元へと向かっていた時、生活指導主任から呼び止められた。
「仲松さん、祇園祭の日は暇かい?頼みたいことがあるんだけど。」
何となく何を頼まれるのか察しがついて、みのりは無視して通り過ぎたい衝動に駆られた。
「生活指導部の陣内先生が、部活の遠征で祇園祭の日にいないんだよ。代わりに祇園祭の補導に出てくれないかね?」
――……やっぱり……。
と、みのりは心の中で呟く。
「いやいや、私は陣内先生の代わりなんてとても務まりませんし、補導なんてそんなお仕事は、か弱い私には…」
と、みのりはやんわり断ってその場を逃れようとしたのだが、
「誰が、か弱いって?大丈夫、仲松さん。あんたなら!」
指導主任はみのりの両肩を叩き、説得攻勢に出る。
「他の生活指導部の先生たちは全員順番に補導に出るし、他の分掌で頼める人はあんたしかいないんだよ。」
――私しかいないなんて、嘘だぁ……!
みのりは心の中で泣きそうになりつつも、
「はぁ……、分かりました。」
と、結局了承してしまっていた。
頼まれたら、嫌と言えない。
それが自分の仕事を一層忙しくするのは解っていたが、みのりは断るのが苦手だった。同僚の中には、面倒な仕事を巧く躱して楽をしている者もいたが、みのりの場合、その性格を利用されていろいろと頼まれてしまう。
それでも、どんなことでも他人の役に立てるは嬉しかったし、頼まれたからには信頼を裏切らないように頑張るのは楽しいと思えた。
……浴衣を着て、祭りの夜にそぞろ歩く夢は、儚くなってしまったけれども……。
祇園祭の日は好天に恵まれ、大勢の見物客でにぎわっていた。この調子では、今日は芳野高校の生徒たちも、たくさん祭りに繰り出すだろう。
『補導』とは言っているが、悪いことをしている生徒を見つけ出して、捕まえるのが目的ではない。
腕章を着けて見張っている教師が街にいると知らしめるだけで、羽目を外す生徒の抑止につながるし、もし生徒がトラブルに巻き込まれる事態になった場合も、迅速に対応できるというわけだ。
担当の場所を割り振られて、19時から21時の二時間かけて巡回する。
――もし恐喝の場面なんかに遭遇したらどうしよう……。
みのりは重い気分で腕章を受け取った。
しかも、組む相手はイケメン教師の古庄なので、一緒にいるのを生徒に目撃されようものなら、後で何を言われるかわからない…。
担当場所の若宮町に着いた時はまだ明るかったが、次第に宵闇が濃くなり、山鉾がきらびやか耀くようになった。
案の定すごい人出で、ムッとするほどの7月の熱気がまとわりつく。
みのりは古庄と共に、人混みの中には入らず、家並みの角に立って人が行き交うのを見ていた。
時おり、浴衣姿の女子生徒や私服姿の男子生徒たちが通り過ぎて行くのが目に付く。中には、みのりに気がついて手を振る子もいた。
「若宮町」と札を付けた山鉾がすぐ側を通り過ぎていくのを見守ってると、その牽き手の一人が二俣だということに、みのりは気がついた。
掛け声を出しながら牽くその真剣な表情に、県大会の時のラグビーの試合を思い出す。
腕章をして立つみのりの姿は目立つのか、チラッと二俣が視線をよこした。誇らしげな顔で済ました態度を取るものだから、みのりは二俣を「かわいい」と思いつつ、笑いをもらしてしまう。
その後、担当場所をぐるぐると、裏通りを重点的に巡回したが、取り立てて問題もなかった。
何人かの生徒に出会って、「早めに帰りなさいよ。」と声をかけ、予定時刻の午後9時になったので古庄と学校へ戻り、みのりの長い一日が終わるかに見えた……。