間の悪い男 Ⅲ
けれども、あの仮卒の日、遼太郎はみのりを抱き締めに来てはくれなかった。
二俣や白濱や遠藤、あの衛藤までもが、別れに際して感謝の気持ちを表すために、みのりを抱き締めてくれたのに…。
生徒としての遼太郎に対しても、他の生徒に比べて特別な絆のようなものを感じていたのに、それは自分だけの思い込みだったのだろうか…。
案外、遼太郎はドライなのかもしれない。
そういえば以前、女の子のことに対しても、素っ気ない受け答えをしていたような気がする。
このまま、他の生徒と同じように、少しの感慨だけを伴って、遼太郎は卒業していってしまうのだろう。
そして自分は、高校時代の先生の一人として、遼太郎の記憶の底に埋もれて、数年もすれば忘れ去られてしまう…。
そんなふうに考えながら、みのりは天井を見上げて涙を拭った。
……それでいいと、みのりは思った。
これからは、遼太郎の人生に自分は必要ない。遼太郎が夢を達成できて送り出せれば、自分の役目はそれで終わっていると…。
――卒業式の時は、笑って送ってあげられるようにしなきゃ。
そう思って目を閉じると、また涙が零れ落ちる。
いくら心を鍛えても、別れの時はきっと涙が出てきてしまうだろう。それならば、心を氷の鎧で武装しよう。その氷が決して融けないように、氷の冷たさで心を痺れさせておこう。
みのりはその練習とばかり心を冷し鎮め、そして涙を止めた。
その日、遼太郎は午後から自動車学校を休み、思い切って学校へ来てみた。
ちょうど体育の後の日本史の時間だ。
3年1組の授業の時間は空いていると言っていたので、当然みのりは職員室にいると思っていたのに、そこにみのりの姿はなかった。
いきなり遼太郎は、肩透かしを食らってしまう。
それでも、ちょっと席を外しているだけかと思い、隣の席の(遼太郎にとっては少し気に食わない)古庄に尋ねてみる。
「すみません、古庄先生。仲松先生は、どこにいますか?」
授業中、いるはずのない生徒に声をかけられて、古庄は少し驚いたように振り向いた。
「…おっ、お前!今、考査前で入室禁止だぞ!」
いきなりそう言われて、遼太郎は戸惑った。
「って、ああ!3年生か。ラグビー部だよな!俺も高校の時ラガーマンだったんだぜ!」
古庄は、遼太郎が思っていたよりも気さくな人間だったみたいだ。
古庄とラグビーの話をしたいのはやまやまだったが、遼太郎はそんなことに気を回せる心理状態ではなかった。
これからみのりに告白しようと、緊張で心が張りつめていた。
「あの、仲松先生は…?」
かろうじて遼太郎は、そう訊きなおす。
「ああ、仲松ねえさん…じゃない、先生は、入試業務があるとかで、さっき校長室に行ったよ。ちょっと時間がかかるんじゃないか?」
「入試業務…?」
「高校入試の願書が届いたから、って言ってたけど、何をしてるのかは俺も知らないんだ。」
と、古庄は肩をすくめる。そして、遼太郎の方は、がっくりと肩を落とした。
「何か用があったんなら、伝言でもしとこうか?」
「いえ、いいです…。」
来たことだけは伝えてもらえばよかったのだが、遼太郎は動転していて、そこまで気が回らなかった。
すごすごと職員室を退出し、放課後また出直すことにした。




