第十章 ドゥムルカンの本当の狙いは 其の二
よその部族の野営地に来たのは初めてだ。馬から下ろされた妹は泣き疲れて今はただ怯えたまま固くなっている。ナジクから飛び降りたラシュヴィーダが駆けつけると、妹は姉の胸に抱きつきまた泣き出した。
「……お願い。妹だけは助けて。この子だけでもいいから家に帰してほしいの。私のことはいいから」
「へえ、おまえはいいのか」
周りを囲む男達が笑い声をあげる。どうしてこんな時に笑えるというのだろう。まだ小さな子供だ。戦いで殺し合いになったとしても、子供は殺さないのが遊牧民の掟だった。子供を守るのは人として当然のことなのに。
「帰すのは無理だな。まあ、おまえがそこまで言うなら、ジェッキオに差し出すまでは俺たちは何もしないでおこう。子供に手を出してもつまらん」
「ジェッキオ? なんの話をしてるの?」
男達が奇妙な目配せを交わす。
「おまえたちはジェッキオとの取引材料のひとつだ。俺達とジェッキオが協定を結ぶための」
「取引? 協定? どういうこと?」
よくわからない。ドゥムルカンはただ、自分が女だからという理由ではなく、もっとなにか恐ろしいことを企てていたのだろうか。
「ハヌルティムは大族長にふさわしくない」
別の男がきっぱりと言い放った。
「父を殺そうというの……?」
思わず声が震えた。いろんな思惑が頭の中を駆けめぐる。自分たちを人質として父をおびき寄せようとしているのか。人間を取り引きするとはどのようなことなのか。協定とはジェッキオとドゥムルカンが手をくむということか? ティトライカをどうしようというのだろう。
「奴は自分の部族の安全ばかり考えている。ヘルベベスをまとめることのできない器の小さい奴だ。せんだってのジェッキオ戦にしたって、オレイグリがチニュスクの森に入り込んで大損害を受けるのを見殺しにしていた」
「違うわ!」
思わずラシュヴィーダは父を弁護した。
「オレイグリにはチニュスクの森には気をつけるようにと言ってあったはず。ただ、オレイグリの族長がエルシノア人の言うことなど、と取り合わなかったためだって」
後になってロガージャから聞いた話だった。
森の民を追ってチニュスクの森に深入りしたために、森の脅威が襲ってきたのだと。エルシノア人の言うことを聞けばよかったのかもしれないとロガージャも言っていた。
タキロスは確かにヘルベベスを助けようとしてくれたのだった。
「ふん。その魔族のエルシノア人にずいぶん入れ込んでるんだな。森の小屋で二人きりでいちゃいちゃしてたって話じゃねえか」
かっと顔が熱くなった。
あの時、襲ってきたドゥムルカンは全滅したと思っていたが、生き延びて逃げた者がいたのだろう。
「どうせもう傷ものなんだろう。総督に差し出す前に俺達で遊んだって悪くない」
また男達がどっと笑う。
「総督にって何……?」
妹がぎゅっと抱きついてくる。こんな小さい子に聞かせてはいけない話なのかもしれない。
「馬に乗る女は夜の相手にいいんだそうだ。しかもエルシノアの王子が一目で見初めたほどの美人と聞いて、ジェッキオの総督が、ぜひその女をと所望してるってことだ」
口が利けなかった。
もしかしたら、初めてタキロスに出会ったときにドゥムルカンに追われたのも、ジェッキオにという計画で襲われたのだろうか。ではその後、ジェッキオが戦をしかけてきたのはなんのためだったのだろう?
あの時はエルシノアが参戦するとはジェッキオは考えていなかったはず。考えをまとめなければ、と思うが、今はそれどころではない。
「さ、行こうか。かわいい妹さんには無事でいてほしいんだろ? だったら俺達の言うことをきくよな?」
一人の男がラシュヴィーダの背中に太い腕を回す。妹はますますしっかりしがみついてくる。
「やだ! やだあ!」
どうしたらいいのだろう。これからされるだろうことを妹には見せない方がいいのだろう。でも、一人にするのは心配だ。安全など誰も保証してはくれない。
誰か。誰か一人でも、信用できる人がいてくれれば。
引きずるように男達はラシュヴィーダと妹をテントに引っ張り込んだ。
「ちびっちゃい子は外に出しとこうぜ」
「やだっ! お姉ちゃん!」
男達が無理やり妹を引き離した。
「約束して。絶対に妹には何もしないで!」
「ああ、わかってるよ。優しいお姉ちゃんでよかったな」
引っ張り出された妹の泣き声がテントの外から響いてくる。
自分一人なら、死を覚悟してでも戦い抜いてみせるけれども、今は何よりも妹を守らなければいけない。ラシュヴィーダは耐えて動かずにいた。
男達の粗野な笑い声がテントに響く。
「ほんと、ものわかりのいい女だな。あのエルシノア人もさぞかし楽しんだことだろうよ」
「違うわ、タキロスはあなたたちとは全然違う! あの人は……」
「死んだんだろ? まあ、あんときゃ、こっちも被害が大きかったけどな。たかが女一人のために二十三人も死んだんだ。もうおまえは諦めろって族長は言ってたけど、やっぱりいい女だな。楽しませてもらうぜ」
一人の男がラシュヴィーダを息のかかるほど近くに引き寄せた。
顔を背け歯を食いしばる。
タキロス……!
来てくれるはずがないのはわかっていたけれど、彼のことを思わずにはいられない。せめて心の中だけにでも、彼がいてくれたなら。
その時。
バリバリっと布が裂ける音が聞こえた。
「なに……? 誰だ!」
振り向くとテントの布が破れ、光が射し込んでいた。
聞き慣れた陽気な声が響く。
「窓があるのもいいものだろ?」
「てめえ、何しやがる!」
目を疑った。紛れもないノルスが、左手に持った剣でテントを破って立っていた。ノルスに続いて武装した従者たちが続々とテントに入ってくる。
「ノルスなの? お願い、妹が外に……」
「知ってるよ。もう保護した。君もね」
にこり、といつもの笑みを見せたノルスは、長剣をドゥムルカンの男達に向ける。すぐさまドゥムルカンの男達も剣を抜いた。
ガキン、と剣と剣がぶつかる。
武闘派ではないと言っていたはずなのにノルスは強かった。すぐにラシュヴィーダの近くにいた男は劣勢に転ずる。ノルスはラシュヴィーダを後ろに庇うように戦いながら命じた。
「彼女を安全なところへ!」
「はっ!」
従者がラシュヴィーダの腕をとる。
その時、視界にどきりとするものが入った。
「危ないっ!」
ラシュヴィーダは咄嗟に走り出してドゥムルカンの男に体当たりした。男が今まさに吹こうとしていた吹き矢はノルスをはずれ、近くにいたドゥムルカンの別の男に突きたった。
「なっ……、てめえ、何しやがる!」
「す、すまん、あの女が……」
ノルスはさすがに、ぞっとした表情でつぶやいた。
「ヘルベベスの毒矢か……。ありがとう、ラシュヴィーダ。助かったよ」
「よかった……」
従者が、外に、とうながす。
ノルスが、左手の剣を振るいながら、ラシュヴィーダ、と声をかけた。
「ちょっと僕の右手、引っ張って」
「え? 右手? だって義手でしょ?」
恐る恐る手を伸ばしてノルスの右手を握る。形こそ指まで精巧に作られているが、固くて動きがない明らかな義手だ。
「そう、そのまま、まっすぐ引っ張って」
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読んでくださってありがとうございます<(_ _)>
オレイグリがチニュスクの森で脅威にあった話は第13~15部分、「第六章 貴公は人ではない」で、タキロスが森には気を付けるように、と忠告したけれど、援軍オレイグリが森に深入りしてしまって、妙な損害を受けてしまった(すみません、一部改稿しました)事件を指しています。
ちなみに遊牧民のテントの素材は羊毛からできたフェルトです。
この寒い冬のさなかにテントを破られたら、ドゥムルカンも怒りますよねえ。ノルスとラシュヴィーダに言わせれば自業自得ですが。
これからもよろしくお願いいたします(^^♪




