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第九章 人の恋路を邪魔するのが好き 其の二

「エルシノアにとっては大国ハルシアと結ぶのは悲願でしたでしょう。あの王子は文武両道で見目、人柄ともによく、ハルシア国王も気に入っていた様子。うまく縁談が成立すれば、エルシノアにとっては西側の国防を緩められる。死ぬとは計算違いでしたでしょうな」

 

 父に向かって商人が語るのを聞きながらラシュヴィーダはたまらなくなって外に出た。


 タキロスにはそんな縁談が出ていたのだ。ハルシアのことは話に聞いたことしかないが、バルラスやエルシノアとは比べものにならないほど大きくて伝統のある西の大国。その国王に、娘婿に、と望まれるような人だったのだ。


 自分がタキロスを危機にさらしてしまった。という後悔にまたさいなまれはじめた。あの時の王妃の無言はそのためだったのだ。タキロスは自分とのことを真剣に考えていてくれたとしても、その時点でもう、縁談がまとまってきていたのだろう。


 どこで泣けばいいのかわからなくて、ナジクの首に顔を埋めて泣いているとルミデュナの声がした。


「どうしたの?」

「ううん、なんでもない……」


 嘘を言おうとした。その前に、ルミデュナだったら、という気持ちが先走って、思わず親友の肩にすがりついて、わっと泣き始めてしまった。


 タキロスが襲撃された話はルミデュナも聞いていた。その後、何度か話しかけてくれていたけれど、詳しく話す気がしなくて、なんとなく避けてしまっていた。


「ひどい。縁談ってどういうこと? 許婚者がいるのにあなたに求婚したってこと?」


 ルミデュナの口から出た言葉は怒りだった。なんと言っていいのかわからない、と言ってルミデュナは一緒に泣いてくれた。泣くしかできなかった。やっぱり父の言うとおり、縁のない人だったのだ。


「もういいの。きっと、どうにもできないことだったのよ。私にだって、父さんがロガージャがいいって連れてきたんだもの。同じことをご両親が考えたっておかしくない。でも……本当かしら。本当に死んでしまったのかしら。王妃様は、知らせてくれるって言ったのに、まだ何も音沙汰がないの」

「忘れてるんじゃないの?」

「そうね……。でも、王妃様が忘れてるとしても、もしタキロスが無事なら私に何か伝えようとしてくれると思うの。それがないってことは、やっぱり……」


 また涙にくれた。何度泣いたかわからない。

 もしかしたら生きているかも、薬師が助けてくれたのかもしれないという希望は、日が経つごとに薄くなってきていた。それでもあきらめてはいけない、希望を捨ててはいけない、と自分を励まして空を見上げる。


 北の空に浮かぶ北辰、決して動かず星々の中心となる星。堂々として清らかなタキロスの態度そのもののような。


 闇の中。だからこそ希望を持つのだと。


 移動は毎年二十日ほどかかる。

 移動の時は毎朝テントをたたんで夜になるとテントを張る。だから、一日の移動の距離は長くはない。食事も夏の間に作っておいた保存のできるチーズが主な食事になった。


 ヘルベベスは夏の間は大河モヴァドゥーラ川のほとりで過ごすが、秋からは南に移動を始め、冬は南東のセイムハル河の近くで家畜たちを養う。モヴァドゥーラ河は冬になると凍ってしまうが、セイムハル河はほとんど凍ることはなく流れ続けている。

 草は枯れるが、北の大地ほど雪は降らないので少々の雪はかき分けて家畜は枯れ草や草の根を食べることができる。

 

 数日もすると南の野営地の暮らしも落ち着いてきた。


 毎年この時期、セイムハル河の南、バシャラ湖のほとりには大きな隊商がやってくる。野営地から一刻ほど馬を進めれば着くここにやってきたのは、ルミデュナが、気持ちを切り替えないとだめ、と無理に連れてきたからだった。


 広い湖のほとりにそって、ずらりと並ぶテントや幌馬車の前に敷物が敷かれ、とりどりの商品が並ぶ。東方チキル国の美しい織物、南方ビグランカ王国の果物、東北ギミウィ国の美酒……。

 毎年、夢中になって眺める光景も今年は心を奪われない。

 

「お嬢さん、きっとこれなんか似合うだろうよ。結婚式にどうかね」


 南方なんぽうなまりのあるヘルベベスの言葉で呼びかけられてラシュヴィーダは思わず振りかえった。美しい彩りの織物は確かにヘルベベスの結婚式で花嫁がよく着るものだ。 

 

「いらないわ」


 結婚式、という言葉に、つい反応してしまった自分を悲しく思いつつラシュヴィーダは商人から目を背けた。


 そのとき、ふわり、と肩に布を掛けられた。


「やっぱりとっても似合うね。君のきれいな金髪によく映える。すぐに使わなくても買っておけば? 君ならすぐ相手が見つかると思うよ、こんなに美人なんだから」


 息のかかるほど近くから別の声がして、ラシュヴィーダは、はっとして顔を上げた。


 亜麻色の髪、緑の瞳の背の高い青年がほほえみながら見下ろしていた。流暢なヘルベベス語。この人も売り手なのだろうか。


 バシャラ湖のほとりの隊商は、たいていは南のビグランカ人だ。肌が浅黒く目の大きなビグランカ人とは顔立ちが違う。西方のバルラスかエルシノアの人に見えた。


 すぐに相手が見つかる、と言った。なぜ、今は相手がいないことがわかったのだろうか。それに、売らんかなの見え透いたお世辞も不愉快だった。


「いいえ。買いません」


 肩に掛けられた美しい織物を返しながら、ラシュヴィーダはきっぱりと断った。こんな強引な売り手は初めてだ。 


「そう? 残念だな。また考えが変わったらいつでも来てね。いや、変わらなくても顔を見せてくれるだけでもいいな。こんなに綺麗な人は滅多にいないから」


 ルミデュナが彼を睨みつけながらラシュヴィーダの腕を引っ張って、連れてきてくれた兄やジャヒムたちのいる方へ戻っていった。


 怪しい、と、ルミデュナに言われなくても思った。

 いろいろな点で怪しい。こんなところに、なぜ西方の人が一人だけいるのか、話しかけるのは商人の常だが、露骨なお世辞はなんのためか。もっとも怪しいのは、おそろしく見栄えがいいということだ。ただの商人には見えない。


 ラシュヴィーダは兄たちが武具を選び終わるのと、ルミデュナが婚礼衣装のために布を購入するのを待った。

 気晴らしのつもりが、妙な不安をまた持つことになってしまった。


 帰り際にちらりと、もう一度彼を振り返ってみると、今度はほかのヘルベベスをつかまえてなにやら楽しげに話していた。


 考え過ぎなのかもしれない、と思うことにした。たまたま、ああいう口のうまい商人に居合わせてしまうということもありうる。ビグランカ人でないことも何か事情があるだけなのかもしれない。


 野営地に戻り、ルミデュナが今日買ってきた布をどのような形に仕立てようか嬉しそうに話すのにつきあったあと、自分のテントに帰ってラシュヴィーダは目を疑った。


「なぜあなたがここにいるの?」

「やあ、また会ったね。会いたい会いたいと思っていると会えるものなんだなあ。神様に感謝しないとね」


 そこには今日声をかけてきたあの亜麻色の髪の美青年が、隊商の長とともに訪れていたのだ。


「何を感謝ですって?」

「この広い世界の中から君に引き会わせてくれたことにさ」


 よくもまあ、するすると滑るように軽口が出てくるものだ。

 毎年、父と親しく飲み交わす隊商の長が機嫌よくラシュヴィーダを見て目を細めた。


「ほう、また美しくなられましたなあ。うちのノルスもさっそく気に入ったようだ」

「この子の相手はもう決まっておってな」


 父が釘をさす。商人の長がラシュヴィーダに青年を紹介した。


「この子は最近、養子にしたノルスという。こんなかわいい顔をしているが、十か国語が使える上に計算もおそろしく速い。この子のおかげで、今年は売り上げが倍増だよ」

「身元は確かなのか。どこかの国の間者ということも十分ありうる」

「紹介されたのは確かな筋からですよ。ただ生まれは、家庭の事情があるので内密にしたいと。西の方はいろいろ商売して歩いたことがあるらしいが、東方のことも勉強させたいというので、わしらが預ることになったのですが」

「西方の商売と」


 父がじろりと青年に目を向け、彼は丁寧に微笑んで答えた。


「西はヨリデュイン、北はダルディン、南はジェッキオ。主にリカルディからバルラス、エルシノアまで行き来しております」

「なるほど、して商品は」

「いろいろです。武器、装飾品、薬草から食料まで。私一人で商売しているわけではございませんから」

「それはそうだろうな」


 値踏みするように青年を上から下まで細見さいけんして納得したのか、父はまた商人との話に戻った。

 ノルスの表情は読めない。あくまで物腰は柔らかく丁寧だが、穏やかな笑顔の下にどんな感情を隠しているのかよくわからないところが気になる。

 ラシュヴィーダは、できるだけ彼から離れていることにした。


 隊商は十日ほどすると、また移動していくことになったが、なぜかノルスはここが気にいって、しばらくティトライカに置いてもらえないかと養父に頼んでいた。父が承諾すると、隊商の長は特に気にすることもなく、従僕十数人とともにノルスを置いて出て行った。

 

 彼には用心した方がいいのではないか、という気がしたが、父はノルスを気に入っていた。よく呼び寄せては西方の政情や為政者たちについて話を聞いている。ノルスは顔に残るあどけない若さからは信じられないほどいろいろ把握しているようだった。


 そしてノルスはロガージャとはまた違った意味でティトライカの人々の心もつかんでいた。特に女性。幼い少女から老婆まで、なぜこんなに人気があるのかと思うほどノルスはいつも女性たちからなにかと親切にされていた。


「あの人、なんか母性本能をくすぐるのよねえ」


 従姉妹のクジュラーナが、いそいそとノルスに持って行くミルクを温めている。


「でも怪しくない? なんか何もかも見透かされているみたいな」

「彼、きっとあなたに気があるわよ。だから気になるんじゃない?」


(注:北辰:北極星の古語)

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読んでくださってありがとうございます<(_ _)>


十か国語、というと日本人からするとすごいのですが、大陸では似た系統の言語が多いので、行き来していればある程度は何か国語か話せるようになるらしいです(日本でいう方言程度しか違わない言語もある)。それにしてもノルスの話せる言語は多い方ですが。


「北極星」という言葉を使うかどうか迷って、「北辰」という言葉を使ってみました。この時代、この世界の人々に北極という概念があるのか?って考えすぎてしまったので……。


ご意見ご感想、ポイント評価などしてくださったら大変嬉しゅうございます。

これからもよろしくお願いいたします(^^♪


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