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8.新しい名前

 ユキが報告してくれたレコード会社の人は二人居た。二人共男の人で、三十路になっているかなっていないかくらいの、割と若い年齢だった。

「上司が前々から目をつけていてね。今日は代理で来たんだ。」

 若干前に立っている男の人が話し始めた。その場に居た皆が思った通り、すげぇ話に違いない。思わず笑顔が込み上げてきそうになる中、若干後ろに立っている男の人は話に入ってくる様子もなく、ただじっと立っている。とりあえず仕事上付いてきた、という雰囲気が丸出しである。

 その男の人とリンの眼が合った瞬間、お互い「あっ。」という顔つきになった。

「何で・・・・」

 またさっきと一変したリンの表情は驚きと悲しさが混じった、複雑な表情だった。

「音楽関係の方も経営しているんでね。」

 リンとは逆にその男の人はさっきまでの退屈そうな顔と一変し、嬉しそうにニヤッと笑った。何かを含んだようなその笑い方は、思わず嫌な気分になる。

 その男の人は下を向いてしまったリンの、今までとは違った格好をじろじろ見てまたニヤっと笑う。

「新しい生活を満喫しているようで、何よりだ。」

 楽しそうな男の人とうって変わって、リンは苦しそうな表情になっていく。

「あの?」

「何すか?」

 どう見てもおかしくなった雰囲気の中、佳澄と彩女が口を開いた。だが、男の人は二人をチラッと見るだけで、質問には答えずリンの方につかつかと歩いていった。リンは顔を上げることも出来ず、また体を動かすことも出来ずにただそこにじっとしていた。

「新しい友達もできたようで。」

 リンの少し手前で立ち止まって、上から見下すように言う。実際に高い身長の男の人の顔は、ヒール七センチのブーツを履いて下を向いているリンの頭よりも上にあった。

「何の力もないお前には、そうするしか出来ないよな。」

 リンが両手でぎゅっと服を握った。その手は心なしか震えているように見える。

「それにしても、変わったお友達だな。」

 派手な見た目の皆を明らかに馬鹿にしているのがわかった。その場に居る誰もがそのことに気付き、不愉快になった。それはリンも例外ではなかった。ずっと下を向いていたリンがキッと睨みながら顔を上げ、そして右手を振り上げた。

 しかしその右手が男の人の頬に当たることは叶わなかった。

「安心しろ、ビジネスに影響はない。」

 男の人はリンの右手を軽々と左手で制しながら淡々と言う。ビジネス、つまりNEXとレコード会社との契約のことを指すのだろう。

 でもその言葉でリンが冷静になれる訳もなかった。

「離してよっ!」

 リンが思いっきり腕を振り下ろして男の人の手から逃れた。何か言い返したいのに、言葉が出てこない。

「・・・・・っ・・・・・・」

 何も言わずにリンは控え室から飛び出した。後ろから皆の呼ぶ声が聞こえてきたけど、リンは構わずに走り出した。

「一体何・・・」

 ぽかんとした雷を置いて佳澄と彩女と、そして完司もリンを追って控え室から飛び出した。

「俺達も行くか。」

 少し出遅れてコウが、同じく置いてきぼりにされている雷とユキを促した。

「お、おう。」

 雷はケースに入れたギターを慌てて担ぎ、先に歩き始めたコウの後ろを付いていく。

「あ、あの」

 もう一人のレコード会社の男の人が気まずそうに声を出す。

「お宅とは合いそうにないですね。」

 いたってまだ冷静なユキが冷静にさらりと言い残してメンバーを追っていった。控え室にはレコード会社から来た男の人二人と、最後に出番を控えた一つのバンドグループだけが残った。

「同意見だ。」

 リンを追い詰めた男の人はリン達皆が出て行った後、開きっぱなしのドアを見ながら吐き捨てるように言った。


 ずさあっ


「痛っ。」

 ライブハウスから飛び出して間もなく、慣れないヒールで全力疾走していたリンは足がもつれて冷たいアスファルトの上に倒れ込んだ。近くを歩いている人たちの視線がいっせいに集まり、その中からはクスクスと笑い声も聞こえたけれども、今のリンにとってはどうでもいいことだった。

「タカスン!大丈夫か!?」

「じろじろ見てんじゃねぇよ!」

 後から追いかけてきた佳澄がリンの名前を呼び、彩女が周りに向かって叫んだ。リンは黙って上体を起こした。

「リン。」

 完司が右手でリンの左腕を持ち、立ち上がらせた。転んだ時の勢いで右手の小指側と、右足の膝上から膝下にかけて血が滲んでいる。

「「タカスン!」」

 その怪我に気付き、佳澄と彩女が同時に叫んだ。

「あ、ごめん服が。」

「馬鹿!そんなのいいって!」

 服は破れていないもののアスファルト上の砂や小石が全体に付き、右の靴下は破れてもう穿けない姿となっている。借り物なのに、とどこか冷静な部分のあるリンに彩女は半ば怒ったように一喝した。

「大丈夫か?」

「わっ!」

 追いついたコウに続き、怪我をしたリンを見て雷が驚きの声を上げる。そしてその後ろにはユキがしっかりと追いついてきている。

「雷。」

「おぉっ、いいぜ。」

 必死に冷静さを保とうとしている完司の言いたいことにすぐに気付き、雷は返事をする。そのやりとりはさすがメンバーというよりも、それを超えてすごいと言える気がした。

 そんな二人のやりとりを要約すると、ここから歩いていける雷の家までいき、そこで怪我の治療をしようということであった。雷の家はさっきまでみんなで居たライブハウスから近いとは言いがたいが、歩いて帰れる距離にある。

「歩けるか?」

 完司の問いかけに今のリンはただ頷くことしか出来ない。

 でも、嘘ではなかった。

 不思議と、血が滲んでいる怪我の痛みはほとんど感じないのだ。完司に握られている左腕の方が何故かずっと痛い。


 雷の家に向かう間、完司はリンの手を握ったままだった。怪我をした右手を握るわけにもいかず、リンの左手を完司はしっかりと右手で握っていた。引っ張るような形でリンの二歩程手前を無言で歩いていく完司の背中は、格好のせいもあると思うが全然知らない人に見える。

 そして同じように、リンも無言だった。

「後どれくらい?」

「十分ぐらいかな。」

 ふと感じた疑問を口に出した彩女の問いに、雷が答える。大きな声では喋らないが、住宅街に突入した路地の冷え切った空気の中では会話が響く。

 完司とリン以外の二人は喋りっぱなしと言うわけでもないが、ずっと無言という状態でもなかった。しかし、一番後ろにいる完司とリンにだけは誰も話しかけることは出来ない。

「あれっ?何あの花束。」

 さっきの彩女の問いから五分くらい経った頃だろうか、今度は佳澄が質問をした。すぐ横に公園がある道路の、特に珍しくない場所で生まれた質問だった。その公園の入り口と道路を挟んだ場所にある電柱の元に、置かれたばかりと思われる花束が確かにある。

「あぁ、二・三ヶ月前になるかな。そこで事故があったんだ。」

 また雷が答える。その会話は完司とリンにもしっかりと聞こえていた。聞こえていたからこそ気付いてしまった。


ここって


 リンはゆっくり歩きながら周りを見回した。広い公園にたった数個しかない電灯はあまり意味を成し遂げておらず、ほとんど真っ暗な状態だった。その前にある割と狭い道路に電柱。右側には住宅が並んでいる。

 知っている場所に間違いなかった。

 怪我した足でゆっくりと歩き続けていたリンの足が止まってしまった。それにつられてしっかりと手を握っていた完司も立ち止まり後ろを振り返る。でも、名前を呼ぶこともなく相変わらず無言のままだった。

「あの事故って若い男の子が一人意識不明になったよな?花束が置いてあるっていうことは亡くなったのかな。」

 コウが初めて知った、という感じで少し悲しそうに言った。誰だって花束が置いてあればそう思うだろう。場の空気が一瞬重くなり、皆何を言ったらいいのかわからなくなった。

 そんな沈黙を破ったのは、ずっと黙り込んでいたリンだった。

「死んでないよ。」

 泣き声のような声だった。皆が振り返った視線の先に居たリンの目には実際に涙が浮かんでいる。そんなリンの視線は誰にも向いておらず、例の花束に釘付けとなっている。

「死んでないよ。だって        」

 その先は言葉にならなかった。堪えきれない涙が次から次へと溢れ、リンの頬を通り過ぎてアスファルトへと落ちていく。


 だって何の連絡もないんだもの。


 リンは思わず立っていられなくなってその場にしゃがみこんだ。どんなにみっともないと思われても我慢することができなかった。

(あらた)ぁっ。」

 顔が涙と鼻水と、そして落ちた化粧でぐちゃぐちゃになる。でもそんなの気になる訳がなかった。


 そんなリンをずっと見つめていた完司の右手から力がみるみる無くなり、リンの左手はとうとう離れてしまった。離れたリンの左手が冷たいアスファルトの上へ落ちていく様子はスローモーションがかかったようにゆっくりと見えた。


 リンはしゃがみこんだまま、その場に居た誰もが聞いたことのない名前を何度も呼びながら泣き続けた。誰も話しかけることなど出来やしなかった。


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