21.戻るよ
病室のドアを開けると、新は窓の外を眺めていた。
「新。」
リンがその内来ることを予想していたのか、新は特に驚くことはなかった。
「もう来るな、って言っただろ。」
リンの目を見ずに新が言った。
「その割には追い出そうとしないね。」
「別れよう、って言っただろ。」
「わかりましたって言った記憶ないけど。」
新の視線がリンへと移った。
「帰れ、って言ったら?」
「帰らない。すぐにはね。」
そう言ってリンは棚に置いてあるプリクラを手に取り、鞄から取り出したはさみでジョキンと半分に切り始めた。
「東京でできた友達。一番右が佳澄で一番左が彩女。」
プリクラの半分を自分の手に持ち、半分を新の手元に置いた。
「彩女は手先が器用でね、ヘアメークとか美容師の道に進む予定なの。佳澄はまだ未定。」
ベッドの横に置いてある椅子に座り、リンははさみを鞄の中にしまうと共に一枚のCDを取り出した。
「それで、これが前新が見てたビデオのバンドのCD。ボーカルの人が図書館で働いてて知り合ったの。」
写真も何もない、シンプルなCDには新から別れを告げられた日に励ましの意味で完司がくれたNEXの曲が入っている。完司の許可をもらい佳澄と彩女にはすでにコピーして渡していた。
「みんな、すごくいい人。今の私にはかけがえのない存在なの。」
何も迷うことなく、リンは真っ直ぐと新を見つめて言った。新も、目を逸らすことなくリンを見つめている。
「でも、新も必要。」
ゆっくりと一呼吸した後、リンは続けてはっきりと言った。
「この先、長い人生の中で私にかけがえのない人が増えても、新は必要。新は特別なの。」
相変わらず強い風が病室の窓を叩きつけ、ガタガタという音が静かになった病室の中に響いた。
「俺もだよ。」
しばらく黙っていた新が、ようやく口を開いた。
「リンは特別な存在。」
「新。」
「だから別れようと思ったんだ。その気持ちは、嘘じゃなかった。」
新の表情が曇った。あの日のことを思い出しているのだろう。
「リンは俺みたいに寝たきりじゃなくて自由だ。これから進路のこととかで大変な時期になるのに、俺の見舞いなんかで縛り付けてしまうとリンの将来を奪ってしまう気がしたんだ。」
完司の言ったとおりだった。リンのことを思うと、別れるのが一番いいと思ったのだろう。
「いいよ。」
「え?」
「奪っていいよ。その代わり、ちゃんと責任取ってよね。」
リンの強気な発言に、新は声を失った。
「前に言ったでしょ。新の腕が戻らなかったら私が新の腕になる。足が戻らなかったら足になる、って。あの時は確かに感情で突っ走ったけど、今は本気だから。」
「リン、でも。」
「私ね、リハビリの道に進もうと思うの。社会に出る頃には新はもう一人で生活できるようになって、私はもう必要じゃないかもしれない。そしたら、新と同じように苦しむ人達の力になれたらって思う。」
リンは話していると気が高ぶって涙が浮かんできた。今日はもう三回も視界が滲んでいる。でも、それを恥ずかしいことだとは思わない。生きていく上で、泣くことは必要なことだから。
「縛り付けているなんて思わないで。私が来たくて、来てたんだよ。」
「俺は、リンにそこまで想われる価値のある人間じゃないよ。」
新の目にも、涙が浮かんでいる。新はそれを隠すかのように、下にうつむいた。
「別れようとか言いながら、リンを必要としている。そんな勝手な男なんだよ。事故の直前だって、そんな優柔不断さがあったから事故ったんだ。」
「別れようと、してたの?」
リンは体の血の気が一気に引いたのがわかった。事故の後だったらリンのことを気遣ってだとわかるが、事故の前に別れようとしていたのなら話が違う。気持ちが完璧に離れていることになるではないか。
「違う。東京に戻ろうと思ったんだ。」
とりあえず別れる意思がなかったことにリンは一安心する。しかし、すぐに気を引き締めた。
「東京に?」
「家のことから逃げないで、東京に戻って来ようと思ったんだ。家のことを乗り越えないと、俺は今の地点のまま強くなれないって思ったから。だけど、リンと離れたくないとか思ったらあの時言えなくて。弱くて情けない男なんだよ、俺は。」
新がリンのプリクラを握りしめた。リンが見舞いに来ていた時よりも握力が強くなっているように感じる。
「あの時新が東京に来るなんて言ったら、多分笑って送れなかったな。」
そのリンの台詞に、新が顔を上げた。
「あの時は新が全てだったから。新が自分の傍から居なくなるなんて、絶対に耐えられなかったと思う。私も、弱くて情けない女だよ。」
リンの目から、静かに涙が溢れて頬をつたった。
「私達、一緒に居たらこれ以上成長できないね。」
二人の壁を作ったままだと、きっと二人共大人になれない。それは福岡に居た頃から薄々気付いていた。だけど、口にすると二人の関係が終わってしまいそうでどっちからも言うことができなかった。
まだまだお互いに子どもなのだ。
「そう、思う。」
新が静かに、諦めたように言った。きっとこれで終わりだと覚悟したのだろう。
「でも」
「?・・・!」
リンは椅子から立ち上がり、ベッドの上から動けない新にキスをした。触れるか触れないくらいの、短くて優しいキスを。
「別れてやんないもんね。」
「リン。」
「女の子を待たせた罪は、重いんだから。」
新は事故の時の事を思いだした。体が飛んで意識を失いそうになった時に絶対に死なない、リンは自分の手で幸せにするんだと思ったことを。
新の目から涙がこぼれた。今まで泣きそうになっても、絶対に見せなかった姿をリンの前でとうとうさらけだした。
「リン。」
新がベッドの上を動き出した。元々ベッドのリクライニング機能で体は起きた状態だったが、それに頼らず自分の力で体を支え、そしてベッドの端に辿り着くと両足を床の上に放り出した。
「新?」
「あの日から、リンのことを忘れようと無我夢中でリハビリしてた。体が疲れて、ベッドに横になったらすぐに眠ってしまうくらいに。」
すでに疲れを感じ始めているが、かろうじて残っている力を振りしぼって新は自力で立ち上がった。
「リン、好きだ。お前を失いたくない。」
フラフラしながらも、新は真っ直ぐにリンを見つめて自分の気持ちを伝えた。
「新・・・あ!」
新は言い終えると、その場に膝からゆっくりと崩れ落ちた。そのまま前に倒れようとしたところを、リンが慌てて駆け寄り、体ごと抱きとめた。
二人共膝を付いたまま、抱き合った体勢となった。久しぶりに新の体温を感じてリンの目からは次から次に涙がこぼれてくる。
「新。」
新の息が上がっているのが熱と肩の上下具合で伝わってくる。
「私、福岡に戻るよ。新の居ないところで、一人で頑張ってみる。」
「そうか。」
新はすんなりとリンの言うことを聞き入れた。東京に戻ろうとしていた決意と同じだと、すぐに理解できたからだ。
「遠距離だな。」
「今の私達なら、大丈夫なんじゃない?」
そんな気がした。今離れ離れになっても、きっとお互いへの気持ちが薄らぐことなくやっていけると思った。
それがたとえまだ幼い証拠、と言われても。
リンは少し自分の体を離し、新と顔を向き合わせた。そしてどちらからともなくフッと微笑み、キスをした。
「リン約束して。」
唇が離れるとすぐに新が口を開いた。
「何?」
「嘘はもうつくな。」
リンは新の目を見て深く頷き、もう一度抱きしめた。しばらく会えなくなるお互いの体温を自分の体の中に刻むかのように、長い時間抱きしめ合っていた。
病室の中はいつの間にか夕日色に染まり、二人の一つになった長い影を作っていた。