19.別れの真相
「あれっ、リン?」
仕事も終わり、図書館も締め切って帰ろうとした頃、完司は図書館の前に見覚えのある一人の少女が立ち尽くしているのに気が付いた。
「どうしたんだよ、病院は?新は?」
完司は近付きながらいつもと違うリンの雰囲気に気が付いた。泣いたことが一目でわかるように目は真っ赤で、涙が浮かんでいる。
「リン?」
「ふられ、ちゃった。」
リンは必死に笑顔を作っていたが、声が途切れるほど泣くことを我慢しているのが見え見えだった。
「いいぞ、泣いて。」
完司がそう言った瞬間に、リンの目から涙がポロっと落ちた。きっと完司を待っている間、こうやって我慢していたのだろう。
「私、最低だ。」
涙と共にリンの口からこぼれた言葉が、暗闇の中へと呑み込まれていった。
「プリクラねぇ。」
落ち着いたリンを駅へ送るべく、少し前まで二人でよく歩いていた道を歩きながら大よその話を聞いた完司がつぶやいた。
「嘘を付いたのがいけなかったんだよね。」
NEXのビデオも原因の一つかもしれないなんて言えなかった。言ったら、きっと完司も気にしてしまうから。
「そうかなぁ。」
「え?」
「リンは嘘を付いたから怒って別れようって言われたと捕らえてるみたいだけど、俺はそう思わないな。」
完司は直接は新のことを知らないが、話を聞く限りではそんなに心の狭い人間の様には思えなかった。もし、自分が新の立場だったら、と思うと完司の頭の中によぎった考えがあった。
「自分のせいで事故にあった、なんて罪悪感でリンを縛り付けている気がして嫌なんだよ。」
「私、そんなつもりじゃ。」
「リンにそんなつもりがなくても、向こうが思っちゃうんだよ。男なんてカッコつけの生き物だからさ。現に、リン自分のせいで事故にあったって思ってねぇ?」
「うっ・・・。」
「わかりやすいんだよ、お前は。」
リンは図星をつかれて言葉につまった。亜貴にああ言った手前、やっぱり事故の原因は自分にもあると思わずにはいられなかった。どうしてもあの時ああしていれば、という考えは頭の中から消えてくれない。
「好きな人の自由を、自分のせいで奪っているようで嫌なんだよ。」
それは一理あるように思えた。新とリンは似ているところがあって、新も自分が東京に行こうと言わなければ、とか同じようなことを考えているに違いなかった。
「まぁそれだけじゃない気もするけどな。」
「えっ?」
「福岡では新とほとんど一緒に居たんだろ?なのに東京で、自分の知らない友達ができて自分の知らない行動をとって、疎外感を感じたんじゃないかな。拗ねてるんだよ。」
(「俺はもう、必要ないんじゃないのか?」)
リンは新の言った言葉を思い出した。福岡では友達と呼べるような人が居なくて、一緒に映画を観に行くのも勉強するのも文化祭を一緒に回るのも、常に新と一緒だった。新が居ないと、きっと高校生活を楽しいだなんて思えなかったに違いない。でも
「拗ねてるって、子どもじゃあるまいし。」
新に限ってそんなことは思えなかった。頭もよくて成績は常にトップクラス、家のこと以外にはいつも余裕のある新に限って。だけど、完司はサラリと言った。
「子どもだよ。男なんていくつになっても。言っただろ?男はカッコつけだってさ。」
こんな風に偉そうに言っている完司だって心の中では新への嫉妬でいっぱいだった。好きな女の子の恋愛相談に、心の中は穏やかな訳がない。でも、カッコつけだからそんな思いを雰囲気にも出さないように頑張っているのだ。
「私、どうすればいいんだろ。」
リンがうつむいたまま、不安な声を出した。
「休め。」
完司は即答した。
一人の人間を支えるなんて大の大人にとっても大変なことだ。逃げずに戦っているリンはそれだけですごい。本心でそう思う。だけど
「休まないと、誰だってもたないよ。」
リンの足が止まった。
「休んで、それから考えろよ。大事なのは自分の気持ちだろ?」
リンにつられて完司も立ち止まった。
「完司君。」
「ん?」
向き合ったまま、しばらく何かを考え込んでいたリンが顔を上げて完司の顔を見つめた。
「ありがとう。」
まだ少し涙の浮かんでまま、今度は作り笑いじゃない笑顔でリンが言った。
「前もこうやって話聞いてくれたのにちゃんとお礼言ってなかったよね。だからその時の分も。ありがとう。」
照れ隠しからか、完司は公園の時のようにリンの髪の毛を手でくしゃくしゃにした。
「反則だよ。」
暗くなった空を見上げながら完司は溜息をついた。身長差のせいもあるだろうが涙の浮かんだ上目遣いで、可愛い笑顔。思わずドキッとさせられた。年下に翻弄されるなんて、俺もまだまだ子どもだ、と完司は思った。
「え?何?」
「教えない。」
何を意味しているのか理解出来ていないリンをその場に置いて、完司は歩き出した。少し遅れてリンも歩き始める。
「何?」
「何で俺がこういうアドバイス出来るかと言うとだな、」
まだ質問してくるリンから話を逸らす為、完司は別に聞かれてもいないことを語りだす。
「俺も同じだったからだよ。アル中になった親父から逃げ出して、浦田さんに救ってもらったんだ。」
リンの顔は見えないけど、驚いているのがわかる。
「必死で何とかしようともがいたけど、結局親父の元を逃げ出した。」
リンは以前完司が図書館で寝泊りしていたという話を聞いたことを思い出した。おそらくその時の話であろう。
「逃げた自分が情けなくて、でも泣くなんてみっともないとか思ってた時に浦田さんに出会ったんだ。自分を守るためには逃げることも時には必要で、涙を抑えずに泣かないといけないって教えられた。」
完司は公園でリンが泣いた時、昔の自分を思い出していた。ただ違うのは、リンには変なプライドがないこと。泣けと言われれば素直に泣くし、自分が弱いと自覚していた。弱いと思い過ぎている感も否めないが。
「リンは強いよ。自分が思っているよりずっと。」
気が付けば完司の見送りはあともう少しで終わりだった。駅が近付いた証拠に、踏み切りの音が聞こえ、駅前にある店や電灯のおかげで路地も少しずつ明るくなってきている。
「完司君。」
すぐ後ろを歩いていたリンが名前を呼んだ。完司は「はいよ。」と体ごと振り返った。いつの間にかリンは立ち止まっていて、少し距離が開いている。
「私ね、」
リンが決心したように話し始めると同時に、電車が線路を走る音が辺りに響いた。
「えっ?」
電車の走る音が遠くなり聞こえなくなった後、かろうじて聞き取れたリンの言葉に完司が驚愕した。
「本気か?」
完司の問いに、リンは深く頷いた。
「後悔しねぇか?」
少し間を置いて、リンがまた深く頷いた。
「そっか。」
リンの目から、また一粒の涙がこぼれた。完司はリンの方に歩み寄り、リンを自分の胸に引き寄せた。リンは抵抗することなく、完司の腕の中に包まれてまた一粒涙をこぼした。
次の電車が近付いて踏み切りの音が聞こえても、その次の電車が通り過ぎても、二人はしばらくそこで抱き合ったままだった。