13.泣いてしまえ
「目を覚ましたら、お姉ちゃんが泣いてた。」
ビックリした、とリンは続けた。お姉ちゃんとは仲がいいし、逆の立場だったら自分も泣くんだろうけど、自分を想って泣いてくれる存在を目の前にするとすごく心に響いた。その時は新がどうなっているかわかっていなかったけど、一人じゃないんだって感じると視界が少し滲んだのを覚えている。
だけど、泣く気力はなかった。
「リンのお姉さんは、リンのこと本当に大事なんだな。福岡から東京にすっ飛んできたんだろ?」
今の御時世、福岡から東京に来る手段なんていくらでもある。でも、決して短時間とはいえない時間を掛けて飛んでくるなんて愛がなきゃ出来ることではない。家族と折り合いの悪い完司には羨ましく思えた。
「お父さんは長期出張が多いし、お母さんも私が中学生の頃から仕事再開してバリバリ働いてて、お兄ちゃんとお姉ちゃんが保護者代わりなの。」
家族の話になると、リンの雰囲気が少し和らぐ気がする。リンの雰囲気は張り詰めていることが多くて、必死に何かを抑えているように見えたのは今まで一度や二度じゃない。
「『新』は?」
本当は聞きたくなかった。和らいだリンをまた暗い表情に戻したくはないし、何より好きな女の子の口から他の男の話なんて聞きたくない。
でも、聞かなければリンはきっと何かを抑えたままだ。
「植物人間状態。今も、目を覚ましていない・・・・・筈。」
「筈?」
思ったとおり、リンの顔はまた暗くなった、そんなリンを見て心が痛んだが、完司はふと湧いた疑問を躊躇することなくぶつけた。
「連絡が来ないから、わからない。」
「『新』から?」
「ううん。」
リンは首を横に振った。その間、初めてリンの兄弟について聞いた日から早くも少し伸びた髪の毛が軽やかにふわっと広がる。
「あ、違わないかも。でも、連絡をくれるとしたら亜貴さんだと思う。」
だってもし最悪のパターンになったら新が連絡できる訳がない。その考えは気を抜いたらいつも浮かんでしまう。
あの日、新がリンの手を握ろうとした瞬間、雪でハンドルを取られた車が後ろから新の体を吹っ飛ばした。空中へと浮かんだ新の体はそのままリンへと向かい、リンを下敷きにした状態で電柱へと激突した。その時リンの携帯電話は鞄ごと車のタイヤに潰され、粉々になってしまった。携帯電話は買い直したものの、新の連絡先も前の携帯電話ごと消えてしまったのでこっちから連絡を取ろうと思っても取る事ができない。
仮に連絡先を暗記していたとしても、きっと連絡することは出来なかっただろうけど。
「新しい携帯を持ち歩かないのも、それが原因なの。」
連絡を待ってしまうから。手元に携帯電話があったらいつ連絡が入るのか気になって仕方なくて、何も手がつかなくなってしまう。だから普段は持ち歩かないし、家でも基本的に電源を切って一日に一回、たった数分間だけ電源を入れるとういう日々を過ごしていた。
「病院に会いに行かないのか?」
「行けないよ。目を覚まさない新の姿なんて、見れない。」
あの事故の後、新の下敷きになり電柱に突っ込んだリンは全身打撲となり、しばらくベッドに固定される日々が続いた。幸い骨折はしていなかったので、しばらくじっとしていれば痛みは治まり体は動かせるようになったけど、寝たきりになっている新をみて身動きをとれなくなったのを覚えている。
「ドラマとかで色々声を掛けると意識が戻る、とかいう話あるけどさ、私は何の反応もない新を前にそうすることは出来なかった。」
リンの声で涙が溢れてきているのだとわかったけど、その涙を完司はぬぐうことができない。ぬぐったら、きっと抱き寄せてしまう。
「だから亜貴さんに、もう来ない方がいいって言われちゃった。」
それはもちろんリンを心配してのことだった。痛みが治まったとはいえ、リンもそれなりの怪我をしたのだ。これ以上精神的な負担がかかると、リンの体に良くない。それに最悪のことを考えるともう新のことは忘れた方がいいのかもいいのかもしれない。
亜貴は泣きながらそう言った。
「何かあったら連絡するからって・・・・・」
その時のことを思い出すと次から次に涙が溢れて、リンの目からこぼれた。
亜貴の言うことも理解できた。だから何も言えなかった。本当は新の傍に居たいのに、力になりたいのに。でも、どうすればいいのかわからない。何も出来ない。昨日の様に泣くことさえ出来なかった。
私は、弱い。
「で・・・でも、福岡には・・・っ・・・戻れなかった。新とのっ、思い出が・・・溢れてる、学校になんて、戻れる・・・訳が・・」
嗚咽しながらリンが切れ切れに喋る。本当は気が済むまで泣いて、その後落ち着いて話を聞く方が良かったのかもしれないけど、完司はリンの抑えきれない感情を全てそのまま受け止めたかった。
「それで東京に来たのか。」
完司はずっと疑問に思っていた謎がようやく理解出来た。リンは泣きながら首を縦に振った。
「・・戻れない・・・からって・・・そしたら、部屋っ・・・貸してっくれ、て・・・・」
ホテルの?と完司はふと疑問が思ったが、さすがにそれは質問しなかった。さすがにそんな雰囲気じゃないことくらいはわかっている。
「新の・・こと、思いっ、出さないように・・・・方言も、使わない・・ように、してっ・・・」
必死に自分を抑えた。一度崩れると、もう駄目になるような気がして。
「馬鹿だなぁ、リンは。」
完司は心の中でつぶやくつもりが、思いっきり口に出してしまっていた。リンが涙と鼻水を流したまま「えっ?」という表情で顔を上げて、しまったという顔をした完司と目があった。
「あー、だから・・・馬鹿なんだよ。」
開き直ったかのような完司の台詞は予想外の言葉だったのだろう、リンの涙が止まった。俺、すごくね?なんてこれは心の中で思った。
「忘れることなんて出来ないくせに、そうやって抑えるから不安定になるんだよ。」
ずずっとリンが鼻水をすする音が夜の公園に響く。
「その事故の後、昨日のように泣いたか?」
リンがふるふるっと首を横に振ると、また軽やかに髪の毛が広がった。
「その、亜貴さんとかいう人や自分のお姉さん以外に、今の事故のこと言ったか?」
リンがまた首を横に振る。
「一人で、全部乗り越えるつもりだったのか?」
今度はリンの首は動かなかった。困惑の顔で、完司をじっと見つめている。
「泣かなきゃ駄目なんだよ、辛い時は。思いっきり泣いて、気持ちをリセットするんだ。泣く気力がなかったら、体が元気になってからでいい。いつでもいいんだ。涙を、体の中に溜めるのだけは絶対に駄目なんだよ。」
完司はまた涙が溢れてきているリンの頭に両手を置いて髪の毛をわしゃわしゃっとかき乱した。
「なっ、完司・・君?」
驚くリンを無視して、完司は言葉を続けた。
「一人じゃないんだからさ、もう抱え込むなよ?」
完司の手を引き剥がそうとしていたリンの動きがピタリと止まる。
「思い切り泣いて、そしてぶつかれ。」
完司もリンの頭の上に手を置いたまま、動かすのを止めた。
「リンにはお姉さんやお兄さん、友達、それに俺達も居るじゃねえか。頼れよ。」
肩の震えで、リンがまた泣き始めたのがわかった。完司は抱きしめたくなる葛藤と戦いながら黙ってその様子を見守った。
本当は新なんて待たずに俺の横に居ろよ、といいたい。だけど、無理だな。これだけ新への想いを見せつけられるとリンを振り向かせる自信なんてない。
だから、どうか願うよ。リンが幸せになれるように、応援するよ。まだまだ子どもなのに、年上というだけで大人ぶっている俺だけど。
「後、俺の個人的な意見だけど、『待ってろ』って言われて待つ必要がない時もあるんじゃないのか?」
泣くことで精一杯なリンの耳に届いたのかはわからない。だけど、それでもいい。今はとりあえず泣いてしまえ。体中の水分がなくなるくらいに。
二人しか居ない閑静な夜の公園で、リンはいつまでも泣き続けた。そして、そんなリンを完司はいつまでも見守り続けた。