12.絶望の始まり
「体、平気か?」
お昼ごはんをどこで食べよう、という話になった時に新が何の脈絡もなく聞いてきた。
今年は例年を下回る寒い年で、今日も例外ではなく何と雪まで積もっている。滑らないようにいつもよりゆっくり歩くリンの動きは、確かにぎこちない。
「何か、ちょっと辛そう。」
「何でそんなこと言うとよ!」
最高気温が一桁なのに、リンは顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。昨日新と長い夜を過ごして確かに体は少し重く感じるし、寒いからか痛い気もする。幸せな時間だったのだけれど、その夜のことをイキナリ思い出すと恥ずかしくてたまらない。
「いや、だって・・・。ごめん。」
新は何か言いかけた言葉を呑み込んで謝った。
「あ、こっちこそごめん。」
リンも慌ててすぐに謝った。心配してくれているのだ、責めてはいけない。
「行こっか。」
リンは新の手をぎゅっと握りしめて歩き出した。まだどこで昼ご飯を食べるか決めていないが、すぐに見付かるだろう。そんな気楽なことを思いながら。
それが最後に感じた新の温もりだった。
「わ、さっきより積もっとる!」
昼ご飯を食べた後、リンと新は少し距離のある駅へと歩き出す。結局何を食べるか決まらなかったので、コンビニに立ち寄りグルメ本を見て決定したうどん屋さんで昼ご飯を食べた。駅から少し離れているのでそんなに混雑していないだろうという二人らしい理由と、写真に載っていた海老天が美味しそうだったからという理由で決めた。
そのうどん屋さんに向かい始めた時から突然強く降りだした雪は、朝積もっていた雪をさらに白く変化させていた。
「もう帰っちゃうのかぁ。」
リンはもう帰らなければいけない寂しさを口にしながら、白い一面に一生懸命自分の足跡を付けて新より前を歩いている。福岡ではそんなに雪が積もることはない。だから、雪が積もるとこうやって歩きたくなる。そんなリンを後ろから見ながら、新は愛おしさからフッと微笑む。
「あ、公園。」
滑らないように慎重に歩いていると、左側前方に公園が見えてきた。電灯やベンチが数個だけある、質素な公園。人が一人もおらず、足跡のない綺麗な雪の白さがまぶしく際立っている。
「リン。」
「んっ?」
公園を見ながら少しボーとしていたリンを、後ろを歩いていた新が呼んだ。
「俺、決めたことがあるんだ。」
新がこわばった顔をしている。こういう時の新は寒いからではなく、家のことを考えているのだと知っていた。だからリンも思わず緊張してしまう。
「・・・っ・・・・。」
何かを言いたいのに、上手く言葉がまとまらない。新のそんな様子を向かい合いながらリンはじっと見ていた。二人の吐いた息は積もっている雪のように白く、空へと上りながら消えていく。
「新、今、無理にまとめんでいいとよ?帰りの飛行機の中でも、福岡に帰ってからでも。気持ちの整理が着くまで、私ずっと待っとるけん。」
自分の足元を見ながら固まっていた新をまっすぐと見つめながらリンが言った。まだこわばったままの顔で新が顔を上げる。新の不安を和らげることが出来るように、リンは頑張って笑顔を作った。
「行こ。」
リンは笑顔を作ったまま右手を新に向かって差し出した。手袋を持ってきていない手は雪のおかげもありとても冷たかったけど、でも何とか新を温めてあげたかった。前にリンが落ち込んだ時、こうやって新が手を差し伸ばしてくれたことがあった。あの手の温もりにどれだけ安堵して落ち着いたことだろう。そのお返しとして、リンも同じように新を救いたかった。
「ん。」
新の顔がさっきと一変して柔らかくなった。その表情にリンはほっとする。新がリンの差し出した手に、自分の手を差し出して手を握ろうとした瞬間
キキィッ ギュルルルルルルルルッ
どんっ ドサ ガンッ
「うっ・・・。」
一瞬目の前が暗くなった反面、頭の中は真っ白になった。
「キャアアアアアアアアアア!!」
さっきまで回りに誰も居なかった筈なのに、どこからか叫び声が聞こえてきた。それに反応するかのように、リンはゆっくりと目を開いた。
ボタッ
目を開き終わると、生暖かい何かがリンの顔に降ってきた。左のこめかみ辺りに降ってきたそれは涙のように頬をつたって下へと落ちていく。そして次々に上から降ってきて下へと落ちていくそれが新の血だと気付いたのは、こめかみ辺りをぬぐった左手にべったりついた赤色をしばらく眺めてからだった。
「あら・・た?」
自分の上にのっているのが新だということに気付いたのもほぼ同時だった。
一体何が起こったの?
気が付いたら周りには人だかりができていた。「大丈夫?」と近づいて声を掛けてくれる人もいたけど、リンは反応が出来ない。何が起きたのか、必死で考えた。だけど、思い出せない。どんなに考えても、思い出せるのは新がホッとした顔で手をリンの方に差し出してきた瞬間だけだ。
それなのに今の状況は何?
リンを覆ったまま、ピクリとも動かない新。それだけは理解できたリンの頭の中に『死』という最悪の言葉が浮かんだ。
やっぱり神様なんていないんだ
残酷な赤色で染まった左手をまだじっと見ながらそう思った。昔、辛いことがあった時にそう思ったことがあった。だけど、新と出会って、一人じゃなくなって、神様は居るかもしれないって思った。思わないとバチが当たるって。なのに・・・・。
フィルターがかかっているようで、ちゃんと目の前が見えない。
耳を塞がれたかのように、ちゃんと音を拾えない。
しばらくして、人だかりの誰かが呼んだのであろう救急車が到着したが、それで救われると思えなかった。赤いライトが周りを照らし、サイレンの音がしばらく鳴っていたけど、茫然としていることしか出来ないリンにとっては違う世界で起こっていることの様に思えた。救急隊の人が担架を持って近づいてくる様子も、ただドラマを観ているかのように今自分の目の前で起こっていることだとは認識できない。
「リ・・・ン・・・・・」
微かに暖かい息が額にかかり、リンは正気に戻った。
「あら・・た。」
気持ちに体が追いついていないかのように、小さい声しか出なかった。でも、それでも精一杯出した声だった。
「待って・・・ろ・・・」
苦しそうに、声を絞り出すようにして新が言った。それと同時に、救急隊の人が新を担架に運ぶ為にリンから引き剥がした。自分を覆っていた新が居なくなって、一瞬で軽くなった筈なのにリンの体はそこから動かない。
「動けますか?」
救急隊の人がリンに優しく尋ねてきた。しかし、リンはその人でなく担架の上に横たわっている新の顔をじっと見た。目も口も閉じられているが、確かにさっき「待ってろ」って言った。
神様なんか信じない。
だけど、新が言ったことは信じるよ。待ってるよ。だから、どうか死なないで。
待つから。
ぐらりと世界が歪んだと思ったらリンはそのまま意識を失った。昨日の夜とは違う、暗闇の中に落ちていく。
救急隊の人がとっさに肩に手を回して支えたが、その感触をリンが感じることはなかった。自分の下に敷き詰まっている雪の冷たさを感じることもない。
ただ、絶望という暗闇の中に落ちていく。その感覚だけを感じることが出来た。