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9.もう少し

 目を覚ますと、まず見たことのない天井が視界に入った。

「暑い。」

 知らない部屋にいる驚きよりも、まずそれが最初に湧き出た感情だった。やっぱり知らないベッドの上で佳澄と彩女と思われる女の子二人に挟まれて寝ていたリンは、そっと体を起こした。

「痛い。」

 包帯の巻かれた右手に気付くと、擦りむいた箇所が急にヒリヒリと痛くなった気がしたが、それよりも頭の方がずっと痛く、そして重く感じた。

「あぁ、そっか。泣いたんだっけ。」

 頭痛の原因を考えると、雷の家に向かっている途中で小さい子みたいにボロボロ泣いたことを思い出した。あんなに泣いたのは、一体どれくらいぶりのことだったであろうか。

 女の子二人に挟まれたままボーっとしていると、部屋のドアがコンコン、と二回ノックされて開いた。

「あ、起きてたか。」

 セットされていない髪型に化粧をしていない雷の顔を見ると、昨日のことは夢だったんじゃないかと一瞬思った。

 きっと、そう思いたかったのだ。

「あの、隣にいるのは佳澄と彩女でいいんだよね?」

 朝の挨拶なんてすっ飛ばしてリンはまずそれを確認した。化粧を落としてスッピンになっていた佳澄と彩女の顔を初めて見たリンは自信を持てなかったのだ。

「お前、さすがにそれは失礼だろ。」

 肯定も否定もせず、ただ雷からは飽きれたような反応だけが返ってきた。

「んー・・・タカスン!」

「タカスン!?」

 そんな二人のやり取りのおかげで目が覚めた彩女が寝ぼけ眼でリンの姿を確認すると、驚いたように飛び起きた。それに続いて佳澄も飛び起きた。眉のほとんどない顔で二人がリンを凝視する。

「お、おはよう。」

 沈黙に耐えれなくなったリンはやっとと言うべきか、とりあえず朝の挨拶をした。

「大丈夫か?」

 雷がリンに声を掛ける。怪我のことを指しているのか、昨日の事を指しているのか、それとも両方のことなのかはわからないが、心配してくれていることだけは理解できる。

 でも何と返事すればいいかはわからない。リンは思わず黙り込む。

「タカスン、まだ私らには話せねぇか?」

 次の沈黙を破ったのは佳澄だった。以前「言いたくないことは言わなくていい」と言ってくれたその日から一度も核心に触れるような話をしてくることはなかった。そして彩女もそうだった。だけどそれは、興味が無い訳では決してなかった。

 そんな二人の思いやりにリンも気付いていた。

「もう少し・・・」

 色々な思いが交錯しながら、やっとのことで絞り出した声は小さかったが、部屋に居た三人には聞き取ることがちゃんとできる大きさだった。

「もう少し待って。」

 今すぐには話せない。まだ少し混乱しているからということもあったけど、最初は完司に話さなければ、と思った。

 何故かはわからないけど、そう思った。



「はぁ。」

 日曜日ということで普段よりも利用者が多い図書館の中で本を棚に並べていた完司は大きく溜め息をついた。

『新』

 泣きながらリンが呼び続けた名前と、そのリンの姿が頭から離れてくれない。

「どう考えても好きなヤツだよな・・・」

 無意識に声が出ていた。リンがこぼした涙の意味を聞きたいけど、聞くのが怖い。知りたいけど、知りたくない。そんなことをずっと考えている今日の完司は、誰が見ても明らかに全然集中力が無い。

「完司君。腕、どうしたの?」

「わぁっ!」

 いつものごとく、背後から突然聞こえてきた浦田さんの声に体が跳ね上がった。

「浦田さん、イキナリ話しかけないで下さいよ。」

「ボーっとしてたから驚くんだよ。」

 いつものようにニコニコしながら的を射たことを言う。

「で、腕どうしたの?」

 浦田さんは先程の質問を繰り返した。

「あぁ、ちょっと筋肉痛で。でも仕事には影響ないですよ。」

 そう言いながら棚の上の方に本を置く完司の動きはぎこちない。

 昨晩リンはしばらく泣きじゃくった後、少しずつ声が小さくなり最後には静かになった。ピクリとも動かない姿に少し慌てたが、眠ってしまったことがわかると完司はすぐさまリンを持ち上げた。膝で顔を隠すようにしゃがみこんでいたリンをお姫様抱っこで抱え、それまでとは逆に皆の先頭に立って歩き出した。誰も止めることはなく、黙って完司の背中を追っていく。

 決して長い距離ではなかったし、リンも軽い方だが、抱えて歩くとなるとさすがに男でも大変だ。腰や足など全身に疲れはきているものの、腕が断トツである。

「今日はずっとカウンターに居なさい。椅子に座っていてもいいから。」

 ぎこちないながらも本を並べていた完司をじっと見ながら浦田さんがそう支持した。カウンターではいつも立ちっぱなしで、確かに今日の完司には辛いかもしれない。だから気を紛らわそうと浦田さんにカウンターを任せて本を棚に並べていたのだが。

「いや、駄目っすよ。筋肉痛で仕事をロクにこなせないなんてそんなの。」

「いいから座りなさい。」

 バンドのせいで仕事に影響を与えるわけにはいかない。これはバンドを始めた時から自分の中で決めていることだった。座っても仕事はできるが、いつもと違うとそれはやっぱり影響を与えていることになる。

 だからせっかくの心遣いも断ろうとしたが、その気持ちは浦田さんによってあっさりと切り捨てられた。

「ね?」

 笑顔で言うものの、こういう時の浦田さんは少し怖いものを感じる。リンが前にお笑いライブのチケットを貰った時のように、断ることができない圧迫感を感じるのだ。

「はい。」

 好意を素直に受け取ることにし、返事をすると重要なことに気がついた。

「浦田さんがここにいるってことは今カウンターは・・・」

 誰も居る訳がなかった。

「浦田さん!」

 浦田さんに軽く怒鳴った後、全身筋肉痛の体で小走りにその場を離れてカウンターに向かった。すると案の定、何人か本を借りようとカウンターの前で待機していた。「やっと来た。」という反応をする人達に完司は謝りながら仕事をこなし始めた。

 今の完司には忙しいくらいで丁度良かった。

 

「リンちゃん今日来なかったね。」

「ぶっ!」

 カウンターで一日を終えた閉館後、浦田さんがつぶやいた一言に完司は過剰に反応し飲んでいたコーヒーを口から勢いよく噴出してしまった。

「あーあ、ブルマンなのに。」

 そう言いながら浦田さんがティッシュを差し出してくれる。

「リ、リンだって忙しくて来れない時くらいあるっすよ。」

 完司は差し出してくれたティッシュで口元を拭きながら自分に言い聞かせるようにポツリと言った。今日ずっとカウンターの所にいながら結局リンを探していた自分に気付いていたからだ。リンと同じ世代や似た背格好の人が視界の隅に入るとどうしても視線がその方向に向かっていた。浦田さんもそれに気付いていたのだろう。

「体調を崩してないか心配だなぁ。完司君、明日は休みだしリンちゃんが元気かどうか確認しといてね。」

 確かに明日は月曜で、図書館の定休日。今のところ何の予定もない。

「あ、ハイ。」

 さりげなく連絡を取るように促されたことに気付いた。リンに何か連絡しなければ、と思いつつ何て切り出せばいいのか思い浮かばずに困っていたけど、浦田さんが用件を作ってくれたことで格段に取りやすくなった。さすが浦田さん。

「叶わないな、浦田さんには。」

 きっと何かあったことにも気付いているのだろう。だけど追求せずにそっと背中を押してくれる。そんな浦田さんはすごい大人だと思う。もっとも仕事をよくサボるのはいけないと思うが、それでも憎めない雰囲気を持っている浦田さんは完司の憧れだ。


ブルルルルルル


 浦田さんが差し出してくれたティッシュをゴミ箱に捨てた瞬間に、机の上に置いてあるバイブ設定の完司の携帯電話が鳴った。

「はい。」

 リンかと思い、画面で発信者の確認をすることなく慌てて着信ボタンを押す。だが、電話の向こうから聞こえてきた声はずっと前から聞き慣れている声だった。

「俺。仕事終わった?今大丈夫か?」

「何だ、ユキか。」

 つい落胆してしまい、ため息をつきながら気の抜けた声を出した。

「何だとは何だ。失礼なヤツだな。」

 もっともな意見である。

「ごめんごめん。で、どうしたんだ?」

 とりあえず謝り用件を聞くと、

「今の俺がバイトしてる近くにあるコンビニまで来てもらえるか?」

 そう簡潔に言ってプツっと電話が切れた。まだ行くなんて返事していないのに・・・。

「すんません。今呼び出しくらったんで、もう帰ります。」

 完司は浦田さんにそう言いながら帰る準備をせっせと始める。と、言っても上着を羽織るくらいだが。

 それにしても何の用だろう?なかなか電話がつながらないユキから連絡なんて珍しいな。

 そんなことを思いながら、寒さの和らいだ夜道に出た。昨晩と同じくらいの気温で、思わずリンの姿がフラッシュバックする。

 

ふぅー


 気を取り直すかのように目を閉じて深い息を吐き出すと、真冬のように白い息は生まれず静寂だけが完司を取り巻いた。

「とりあえず、行くか。」

 誰に話し掛けるでもなく、目を開け、完司はユキから言われた場所へと歩き出した。


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