どちらと結婚するのですか・直後
ここは、算術管理総取締庁・・・財務省みたいなところの、長官様のお部屋。
殿下の居室はマリエ様と殿下の二人の修羅場と化したので、場所を移った。
目の前には、正座した公爵閣下。
仁王立ちする侯爵令嬢、両サイドを守る魔術師と近衛騎士。
この変態と話をするためには、護衛が必要だったので、名前を振りかざして従わせた。
初めて使った命令を何度使わせる気だ。
筆頭書記官は、仲立ちに置いてきた。
「私だけですか!?」と、涙目になっていましたが、愛があればなんとかなる。きっと。
「…すみませんでした?」
「地位ある方がされる行動ではありません」
頬に人差し指を立てて首をかしげる閣下に冷たい視線を投げかける。
「いやあ、あまり素敵なお姿だったから、思わず我を忘れてしまったよ。そんな、侯爵令嬢相手に、力ずくなんてできるはずがないだろう?」
はっはっは。さわやかに笑いながら、手をこちらに伸ばしてきそうになったので、シアに視線をやると、戸惑ったように、拘束魔術の力を強めた。
「ぐっ、これって、強すぎだよ、シア。口以外動かない」
「シア、相手は犯罪者です。問題ありません」
不安気にする魔術師を落ち着かせて、もう一度閣下に向き直る。
「先ほどの、私に対する暴言も、書記官によって記録されました」
「ああ、大丈夫。結婚するから」
「しません」
私はしようと思うけどな~と嘯く閣下を睨み付けて、本題に戻す。
「どういうおつもりですか?」
とがらせていた口を戻して、下から、見下されるような視線を浴びた。
・・・なんとも器用なことだ。
「以前お会いした時とはずいぶん雰囲気が違う」
言われる言葉に、目を眇めるだけにとどめる。
返事をする必要はない。
・・・というか、未だ呑み込めていないのに、返事の言葉を持たないのだ。
「正式に謝罪しよう。以後、許可なく侯爵令嬢の体に触れないことを誓う」
閣下自身の力によって、誓約の石板が輝いた。
大層な謝罪だ。
これでいいだろう?と、堂々と見上げてくる閣下にため息をつきそうになって、シアに視線を移す。
誓約の謝罪まで受けて、閣下を責めることはできない。
シアの魔力が途切れ、拘束が解かれた。
「よし、じゃあ、お茶でもしようか」
帰ろうとする私を押しとどめて、侍女に指示をする。
侍女たちが慣れた様子で小ぶりなテーブルに、4人分のお茶を準備した。
「ああ、殿下の部屋のお菓子も持ってきてくれる?多分、修羅場だから、何も声かけずに持ってきていいわ。何か言われたら、公爵閣下のご命令だと言って」
「かしこまりました」
頭を下げた侍女は、さっさとお菓子を持ってきてくれた。
なかなか優秀だ。
「ディー、シア。君たちも座るんだよ。失恋した者同士、慰めあうのだからね」
紅茶を準備をした侍女たちを下がらせて、慣れた様子でカップに紅茶を注ぎながら、閣下が声をかけてくる。
もちろん、私はすでに座っている。
「は……」
戸惑いながらも、ゆっくりと、私の左右に座った。
「閣下、失恋したのは、二人であって、私は・・・」
何を言っているのかと、紅茶を受け取りながら言おうとすると、
「失恋、しただろう?殿下に」
「いいえ?」
強気で返事をすれば、くすくすと笑いが聞こえた。
「恋をしていたよ。なりたくもない王太子妃になる勉強を頑張る程度には」
一瞬だが、言葉に詰まってしまった。
その一瞬で、この場にいる人間には充分だった。
やはり、彼には分かってしまったということだろうか。
早口で、似合わない言葉の数々で暴露したことの意味を。
泣きそうになった自分をごまかしたかったから、少しだけ、笑った。
「・・・そうですね。幼いころから婚約者になるだろうと言われ育ってきましたから」
それでも、ストレートに認めることなどできない。
幸せになるために、好きになることなど、造作もない、と。
私が必要とした人は、私を排除するために動いた。
自嘲気味に笑った。
強気に出るしかなかった。
マリエに心を奪われた殿下。
願って、望んで、ようやく手に入れた、少しだけの二人の時間に、私を追い出す画策をする王太子殿下を愛するなど、私のプライドが許さないのだから。
そんなプライドさえ、暴露する閣下には、怒りが浮かんでくるけれど。
「殿下は、あなたの怒りを引き出そうと、必要のない書類まで持ち込んでいたからね」
あの仕事は小道具なのか。
「殿下が見られても構わない書類をくれというから、渡したんだ。マリエ嬢が乗り込んできたときには、あなたのイライラは、頂点に達していたのではないかな」
やはり、殿下は優秀だ。
そんなところまで、私を理解し、しっかりとしているのだと思った。
「あの、計算ミス指摘せずに返ってきたら、ネチネチ言おうと思って」
鍛えられているな。・・・殿下、がんばれ。
閣下は、ふと視線を横にずらして言った。
「ディー、マリエ嬢を愛していたかい?」
「……はい。私を見て、私を癒してくれる存在でした」
ディシールが、悲しそうな顔をしたまま、つぶやいた。
「癒してくれる?彼女が?」
わざとらしく驚いて見せる閣下に、ディシールが鋭い視線を向ける。
「自分を愛している男を利用して、・・・規則まで破らせて、別の男との婚約を無理矢理に進めようとしていた女が?」
挑発しているような口調だ。嘲るような。
「彼女は、純粋なのです。殿下が愛しくてたまらなかっただけで」
「周りが見えていないともいえるわね。あの場で、私が言えば、きみはすぐに首だった。マリエ嬢は分かったうえで行動していた。自分を愛し、それに応えられない相手に対してする仕打ちではないよ。無償の愛をねだられているようなものだ」
首だった、のところで、分かっているように、眉を寄せて目を閉じた。
覚悟はしていたのだろう。
言えば言うほど青くなる男に、閣下は言葉を重ねた。
「ディー、その視野の狭さを改善しなさい。きみが覚悟して終わる問題ではないんだ。これは、共に警備していた近衛にも、団長にも咎が及ぶ。もちろん、きみの家にも」
ディシードが首を振って、諦めたように「兄がいます」と答えるのを聞いて、私まで我慢できなくなった。
「ディシールは、自分を軽く見すぎだわ。もっとよく考えなさい。団長は何と言いますか?父母は。兄がいるから平気だと?そう言う彼らの姿が、あなたには想像できるのですか?兄は兄の役目があります。同時に、あなたにも。あなたは自分の役目を全うしなさい」
こちらに視線を向けないまま、見開いた目に涙が溜まった。
情けなくも顔を覆ってしまったディシールにこれ以上言うことはないというように、閣下が視線を逸らした。
「アリティ?何をしているのです?」
いつから呼び捨てですかね。
思わず睨み付けてから、自分の手元に視線を戻す。
「何って、侍女を下がらせたので、給仕をしているのですわ」
「いえ、その大量のマカロンは・・・」
「あら、閣下も召し上がります?」
最後の一つだけ、閣下の皿に落として、自分のケーキを取り分ける。
「・・・シア、マカロンが好きなのかい?」
呆れたような口調でシアに問いかける閣下。
シアは、びっくりしたような顔をして、自分の皿を見ていた。
「え?シア、マカロン好きでしょう?というか、可愛いお菓子全部」
「……………はい」
小さな声が聞こえた。
じゃあ、いいじゃない。何も問題ないわ。
自分のケーキを取り分けて、口に入れると、ほろほろと口に解けていって、絶品だった。
「あの、どうして私が菓子が好きだと・・・」
隣から小さな声が聞こえた。
「シア、遠慮しなくていいのよ。ディシールは食べないし、どうせ余るんだから。いつもは侍女に頼んでも、一つくらいしか入れてくれないでしょう?いつも私がごそっと入れようと思っていたのよ」
シアは、ほとんど話さない。
魔術師の言葉には言霊が宿るので仕方がないのだが。
お茶会でも、欲しいものくらい言ってもいいのに。恥ずかしさもあるのか、お菓子を一つもらって食べている姿がよく見られた。
だが、そこで私が出ていったら、いじめだ。嫌がらせだ。
こんな人がいないところぐらいでないとできない。
隣を見ると、ディシールも驚いていた。
「オレも知らなかったぞ、そんなこと」
「魔術師は、甘味を好むのよ。回復薬・・・魔力を回復させるから。シアは、甘いだけでなく、さらに可愛らしいものが好きなようだけれど」
呆然としているように見えるシアにもう一度視線を移して・・・気が付いた。
男性3人が、驚いたように視線をくれる。
「……申し訳ありません。行儀の悪い真似をいたしました」
マナー違反にもほどがある。
「これは、今日のおかしな行動にも繋がるね?」
閣下が面白そうに聞いてくる。
算術のことといい、もう言い逃れはできないだろう。
言い逃れようにも、自分でも整理ができていなくて言葉にできない。
自分の記憶と、誰かの記憶と思考が混濁して、どれが本物かが分からなくなってしまう。
「ええ、先ほど・・・王宮に上がる前から、覚えのない記憶が思い出されまして」
首を傾げた閣下が、不思議そうに聞いてくる。
「覚えのない・・・?記憶って呼ばないだろう、それ」
疑わしそうな顔をして、言葉のおかしさを取り上げられる。
「私自身の記憶ではありません。この世界でも・・・無い気がします」
言葉を探すように、首を振るけれど、うまく言葉にできない。
「数時間前、この記憶を手に入れた時から、私は、少々変わったのではないかと思います」
目を閉じて、自分の姿を思い浮かべる。
「私は、記憶を手に入れる前の自分を、しっかりと思いだし、その立ち居振る舞いをしようと思えば、できると思います。けれど・・・知識を手に入れた自分では、ちょっと、その態度は恥ずかしくて・・・」
言いよどめば、他の3人がなるほどというように、大きく頷く。
そこは頷くな。
それなりに、麗しかったはずだ。傲慢な感じで。
「なるほどね。昨日までのあなたなら、マリエ嬢が乗り込んできた時点で、わめき散らしていたと思うよ。そのために、殿下はあなたを怒らせる態度を取っていたはずだし。それを冷静に対処されて、驚いただろう?」
最後の問いかけは、私の両隣に向けてだ。
二人は何も言わない。それが、正解であるから。
「それで、どうして、別世界だと?」
疑わしげな顔を前面に出さないでほしい。貴族なんだから、表情を隠してくれないかな。
「閣下、ご無礼をお許しください」
「うん?」
突然の私の謝罪に、不思議そうにしながらも、首肯した。
「先ほどの謝罪の時に、私が思っていたことです。誓約の石板を、書記官なしに光らせて完了させちゃうなんて、何そのチートな能力。無駄すぎる能力持った閣下が、掛け算九九できないなんて、チョーウケる」
「………………………」
閣下が、笑顔のまま固まった。
「誓約の石板を、書記官がいないのに完了させることがどれだけ無駄な・・・失礼、すごい能力であるかが分かり、それを、”チート”という、この世界にはない言葉で表現しています。また、掛け算がないこの世界で、九九がないことを知って、それを閣下が知らないことを理解し、そのことについて、笑えると、嘲っているわけです」
こほん。
わざとらしく咳を一度して、謝罪した。
「失礼しました。今のは、私の思考がどれだけ混濁しているかを分かっていただくための、例みたいなものですので、このような思考が、これから口に出ることはありませんわ」
「心の中でどんなことを考えているんだろうと、不安になることを言われたよ。無駄って、2回も言ったね」
眉間にしわが寄っているけれど、仕方がない。
分かりやすい例が他になかったのだから。
決して、いろいろな仕返しではない。
「算術の知識は、その記憶から?」
一番知りたかったであろう、本題に入った。
「はい。そこでは、先ほどの様な計算は、10歳児でもできておりました」
書類に目を落として、閣下がうなる。
「10歳児が?無理だろう。大体、297センを、1590回足すのに、君はどうしてあんなに早くできたのかを知りたい。この、魔具でだって、時間がかかる」
根本が違う。
何千回も同じ数字を足すな。
そもそも、この世界に数学という学問がない。
数学が必要な科学や建築などの分野は、全て魔術で行うのだ。
魔術学は発展しているが、そのほかの部分は壊滅的だ。
理系全般は魔術学で賄っているような状況だ。
「私は、1を1回たすところから、9を9回足すところまでの答え、81通りの答えを暗記しております」
閣下の執務机から紙とペンを借用して、1×1と書いて、9×9と書いた。
「これを応用すれば、どんなに大きな数でも、足し続けることなく、答えが出ます」
シアが横でマカロンをもぐもぐと食べている。
心なしか、嬉しそうだ。
それに和みながらも、閣下に説明しながら計算を進めていく。
あぁ、小学生にこんな勉強教えたことがある気がするな~。
小学生はこの世界にはいないぞー。
「このような大量の数字を10歳児が覚えるのか・・・」
なんか、大層なことを言っているけれど。ああ、記憶と感情が混合して、閣下が残念な人に見える。
こっちの世界では驚くべきことのはずだ。
計算なんて、貴族では、ほぼ必要のないものなのだ。
「子供は、歌にして覚えていました」
「歌ってくれ」
「嫌です」
「何故だ」
「ものすっごく恥ずかしいからです」
本来は、7~8歳児が歌っている歌だ。嫌だ。絶対に嫌だ。
「……音痴か」
それもある。
「よし、結婚しよう」
決意したように顔を上げないでください。
断りましたよね?
両隣で、ぴくっと、二人が反応した。
おや、さっきまでと気合の入り方が違う。閣下が何か企んでいるのを感じるのか。
そう思って身構えていると、不機嫌そうな視線が、私の両サイドに注がれる。
「ディー、シア。だめだよ。君たちにその権利はすでにない。君たちは、間違えたのだ」
何の権利だ。意味が分からないが、二人には通じたらしい。
「けれど、守ることはできる」
ディーが、すぐにでも動けるようにしなやかな体を前かがみに動かす。
まるで豹が、走り出す前の様な動き。
ハンサムな顔とあって、思わずときめきそうだ。
「望まない全てのものから」
シアが、軽く目を伏せて、ピッと、前髪を軽く跳ね上げる。
きれいな黒曜石の瞳がはっきりと見える。
普段が影のようなシアだから、こうして前を見据えると、どうも普段とのギャップに萌える。
二人の表情から、引かないことを悟ったようで、閣下が体から力を抜く。
「ちょっと理解してもらっただけで、すぐ落ちちゃうとか。さっきまで敵対していたくせに」
ぶつぶつ独り言を言っているが、私には関係ない話のようだ。
「アリティ、君の知識は他国に渡せない。国の中枢にあるべきだ」
するっと、人が入れ替わるように真面目な顔になった閣下が言った。
「アリティ、あなただってわかっているはずだ。記録されたものは、ただの宣言であって、元老院は簡単にひっくり返すことを。誰にも認められていない宣言など、ただ、希望を述べただけだ。殿下との結婚が望ましいとなれば、何もなかったように婚約話は進むだろう」
そうなるかもしれないと、思っていたことをあっさりと言われた。
今の状態で、殿下の婚約者にふさわしいとされる令嬢は、私だ。
それが、こんな知識を手にしたら?
確実に、王妃だ。
……あの殿下の横に並んで。
「だから、もらってやろうと言っているんだ。あなたに嫁ぎ先は、他にはない」
にやりと、悪役の笑い方をする閣下がいる。
他に選択肢はない。
王太子妃候補だった私が、簡単に下位貴族に嫁げるはずがない。
私が良くても、侯爵家と、相手の家が良くないだろう。
結婚しないと言う選択肢もない。
もしも、王太子から婚約の申し入れがあって、独身を貫きますなんて、言えるはずもない。
他の貴族と婚約していなければ。
ため息が我慢できなかった。
泣きそうな、震えた息がこぼれてしまった。
「「私が」」
は?
顔を上げると、両サイドから手が伸びていた。
目の前の閣下は舌打ちをしていた。こら、公爵。
「ようやく、周りが見えました。私は、あなたと共にありたい」
は?
「私を理解してくれるのは、あなただけだと、思う」
はああ?
「マリエ様に揺れた気持ちが今なら幻だとわかる。何かに寄りかかりたかっただけだったのだ」
「癒されたいのではなく、今は、あなたを守りたいと思う」
「未熟な私が求婚などできないと思っていたが、あなたが苦しむのなら」
「私にできるだけの選択肢を準備しよう」
「「結婚してください」」
頭が付いていかず、思わず口を開けたままにしていると、廊下が急に騒がしくなって、その勢いのまま、ドアがいきなり開いた。
算術管理総取締庁長官の部屋に何をする。
ていうか、警備に阻まれずに、こんなことできるのなんて、数人しかいない。
その数人の中で、こんなことをするのは、一人だ。
「アリティ!俺には君だけだ!宣言など取り消して、結婚してくれ!!」
殿下の背後には、くたびれきった書記官が付き添っていた。
マリエ様、どこ行った。
朗々とプロポーズをして、口角が上がっている殿下。
真剣なまなざしを向けてくる両隣。
怒ったような鋭いまなざしで見つめてくる閣下。
そこは、面白そうに眺めてきてほしかった。
まず、現実逃避してもいいですか。