第四話 強敵現る①
ピンク色に染められた部屋の一室、カーテンの隙間から朝日が差し込み歩の顔を照らす。
歩は眩しさを感じて目を覚まし、まだ覚醒しきっていない頭でも朝が来た事は感じ取る。
(あ~、今日は休みだからもう少し寝ていよう…。)
歩は休みという事もあり二度寝の態勢をとりベットに深く潜ろうとした時、首元に違和感を感じる。
それは生暖かくスベスベというかツルツルしている棒状の物で、例えるなら人の腕のようだった、いや本物の人の腕であった。
「ぎゃああぁぁあぁぁぁ!!」
朝から家中に叫び声が響き渡り、叫ぶと同時にベットから飛び出す歩。昨晩同様に母が慌てて部屋に飛び込んでくる。
「どうしたの?虫でも居たの?それとも泥棒?」
「べ、べべ、ベットの中に誰かが居る!」
「誰かって誰っ?」
「見てないよ、そんな暇無かったし!」
二人は互いに抱き付きながら恐る恐る布団を捲る。そこで寝ていたのは長い黒髪で透き通るように白い肌の少女、正確には歩より少し年上の少女で見覚えの見た顔だった。
「なんだ絵梨ちゃんじゃない!驚かさないでよ!」
「絵梨って勇吾のあねき…、いやお姉ちゃん!?」
「そうよ、あんた達良く二人で寝てるでしょ。今更何言ってるのよ!」
「えぇえぇぇぇぇぇ!!そんなの知らないよ!」
「朝からうるさいっ!」
『勇吾の姉ーー藤崎 絵梨 双星高校二年生。肌は透き通るように白く、長く腰まで伸びた黒髪が印象的。勇吾と同じく頭が良く、運動神経抜群。歩、勇吾、武志にはキツい所があり、歩は苦手な人だと認識している。』
歩の絶叫に今日は持っていた『おたま』を頭に降り下ろす。
「丁度いいわ。そろそろ朝食出来上がるから絵梨ちゃんも誘ってきて。」
「はぁい。」
頭に出来たコブを擦りながら現状をまったく理解出来ずにいた。
何故勇吾の姉が自分のベットに寝ているのか、どこから入ってきたのか、それよりさっきの大声で起きないなんて凄い神経の持ち主だとさえ思った。
一応着衣の乱れが無いか確認するが特に変わったとこは無かった、男の時は異性と手を繋いだ事さえ無かったのに女の子になった途端、しかも女の子同士で一夜を共にするなんて。
「まったく朝の貴重な睡眠時間は邪魔されるし、お袋には殴られるし、そもそも勇吾の姉貴って確か。」
「ふぁ~、良く寝たぁ。歩ちゃんおはよう~!もう起きてたの?早いね。」
一人、勇吾の姉に対して文句を呟いていると絵梨が目を覚ます。早起きしたのは自分のせいだとも知らずに呑気な挨拶をする。
歩は寝起きの絵梨に率直に質問をした。
「何で俺のベットで寝てんだよ?」
「何でって、昨日怖い夢見て目が覚めちゃって。」
「どこから入った?」
「歩ちゃんの部屋の窓からだよ。いつも鍵開けててくれてるでしょ?」
「なっ!?」
絵梨の一言で窓際に急いで見に行くと確かに窓の鍵は開いていた。窓から隣の家、つまり勇吾の家を見ると一ヶ所窓が開きっぱなしになっていた。
歩と勇吾の家は隣同士で更に窓を開ければ手が届く距離に勇吾の部屋がある。窓が開きっぱなしになっていたのは勇吾の部屋だった。
「あらら、勇吾風邪引いてなければいいけど。」
「それより歩ちゃん言葉遣い変だよ?どうしたの?もしかして思春期?」
またもやこのパターンに朝から目眩を覚える。
「どうしたのって、勇吾のねーちゃんこそどうしたんだよ人のベットに潜り込んできて。」
「えっ!?いつも…、では無いけどあたしが怖い夢見た時は良く二人で寝てたでしょ?それで朝に歩ちゃんが慰めてくれたよね?」
「慰めるって…。あははは、もう疲れちゃった。知らない設定多すぎるんだけど。今の俺はどういうキャラなんだよ!」
「設定?キャラ?ホントにどうしたの?もしかしてまだ寝惚けてるの?それならもう一回一緒に寝よっ!」
この人、勇吾の姉は女性が好きな人で所謂百合ってやつなのだ。勿論俺、勇吾、兄貴も知っている。昔は仲良く遊んでたけど、大きくなるにつれて遊ぶ事が少なくなり、中学入る頃に久々に会ったらとても冷たい目で見られた事があった。
勇吾に聞いたら『姉貴は男が嫌いになった。』らしい。
「いや、いいよもう起きるから。」
「じゃあ着替えっこしよっか!」
「何それ?」
「お互いの服を着替えさせてあげるの、いつもやってるでしょ?」
「えっ!?いや、あの。」
絵梨のとんでもない発言に歩は動揺して言葉が出なくなる。二次元でしか見た事の無い女性の体、しかも相手は脱がせて欲しいと要求してくる。
(朝からなんてこった、こんなシチュエーション今までは考えられなかった。相手は脱がせてくれと懇願するし、でも勇吾の姉貴だぞ!そんな事してもいいのか?いやいやでもここで断ったら男じゃないし、でも今は女の子なんだから女の子同士なら…。いや、待てよ待てよ。)
歩の頭の中では様々な葛藤が起こり最終的に出した答えがー。
「じ、自分で着替えるからいいよ!」
「え~!」
「俺は下の脱衣所で着替えるから、勇吾のねーちゃんはここで着替えてくれ!」
歩は自分の服を持つとそのまま部屋から飛び出して行った。後に残された絵梨は渋々自分の家まで着替えを取りに戻って行った。
お風呂場の脱衣所に勢い良く飛び込み息を切らす歩、鼓動はとても早く冷や汗をかいていた。
ふと脱衣所にある鏡を見る、そこにはとても可愛い子が映りこっちを見ていた。
勿論鏡なのでこちらと同じ動きをする、顔を近付けて良く見ると男の歩に面影はあるものの全く別人に見え、見つめてくる自分に恥ずかしさを覚える。
「なんなんだよ、全く。そんな顔でこっち見るなよ恥ずかしいだろ。」
歩は独り言を呟き目を瞑りパジャマのボタンに手を掛ける。
昨夜も着替える時は目を瞑り手探りでパジャマに着替えた、勿論体にあまり触らないように。
自分の体だから自分の自由だが昨日はそんな気分にはなれなかった、そもそも自分自身の体を見て触って悦に浸るのは違うと思ったからだ。
しかし何時までもこんな事はしていられない、着替えや風呂の度に目を瞑っていては不便だし危ない。
歩は決心して自分の体を見る事にした。
「よしっ、行くぞ!俺は別に裸を見たい訳じゃないぞ!このままだと不便だしな、決してやましい事は考えてないぞ!歩、いっきま~す!」
歩はパジャマの上着を脱いだ所で目を開く、鏡には下着を着けているもののほぼ裸の状態の女の子が映っている。
身長に見合わず下着に隠れていても大きいと分かる程の胸、そして直ぐ折れてしまいそうな位細い腰。
自分の体を見て改めて自分が女の子になったと感じる。
「な、なんだ、平気じゃん!そうだよな、今は自分の体なんだし、自分の体に興奮してたら気持ち悪いしな!それにしても結構胸あるんだな、他の女の子もこんな感じなのかな…。」
自分の体といえど初めて見る女性の体、胸の大きさに驚くもののそれ以外の感情は湧かずほっと胸を撫で下ろす。
「そう言えば昨日飯食って直ぐ寝たから風呂入って無かったな、丁度いいや今入ろっと!」
女性の裸に意外と耐性があり気分を良くした歩はそのまま入浴する事にした。
パジャマの下を脱ぎ、上の下着を手間取りながらも外し、下に手を掛け少し戸惑いながら一気に脱ぐ。
本当の意味で裸になりもう一度鏡を見る。身長は然程変わらずとも線が細くなった体、膨らん胸元、十五年間見慣れた物がすっかり無くなった下腹部。
鏡越しに体をまじまじと見る、その途端後頭部が熱くなり鼻から何かが流れていくのを感じた。
「やべっ!鼻血だ、あれ…な、なんか…体が…。」
『ドサッーー』
血を流しながら歩はその場に倒れてしまった。
「…あ…む…あゆ…む」
(あ~、誰か呼んでる、まだ眠いのに何だよ…。)
「歩!あゆむっ!大丈夫なの!?」
「んぁ、お袋?まだ眠いんだから、起こすなよ…。」
「こんな所で何寝てんのぉぉぉ!早く服着なさい!!」
「は、はいっ!」
倒れていた歩を発見した母は心配して声を掛けたのに対して寝惚けた返事をする。
母の怒りは沸点に達し脱衣所内に怒号が響く。まだ覚束ない頭は一気に覚醒して飛び起きる歩、何が起きたのか分からなかったが自分の体を見て驚く。
「は、はだかっ!見たの!?」
「何言ってるの見たに決まってるでしょ?裸で倒れてるから心配してみれば寝惚けた事言い出すし。そもそも女同士なんだからいいでしょ!」
「だって…。お、女同士でも恥ずかしいの!」
「恥ずかしい?アッハハハ!やっぱり武志の言う通り思春期ね、恥ずかしいならいつまでもそんな格好してないで早く服着なさい。」
母の一言で慌てて脱ぎ捨てたパジャマで体を隠す。顔が熱くなり耳までも熱くなる、鏡を見なくても自分の顔の色が分かり更に恥ずかしくなる。
「それと顔、ちゃんと洗ってから来なさいよ、真っ赤なお髭になってるわよ。ひひひひ!」
母に言われ鏡を見てみると鼻血が垂れた後が乾き確かに髭の様になっていた、裸云々よりもこの顔で母と会話して方が何倍も恥ずかしかった。
「あ~、朝から何なんだよ全く。結局自分の体見て鼻血出して貧血起こして、終いにはお袋にバカ面晒してか…。」
結局歩は目を瞑ったままシャワーを浴びる事にした。シャンプーとトリートメントのボトルを間違えたり、落とした石鹸を踏んづけて転びそうになったりと散々だった。
髪を乾かす為再び自室の扉を開けると、ベットに座る絵梨の姿があった。
「うわっ!まだ居たの?」
「うん、歩ちゃんのお母さんに朝食勧められたから着替えて待ってたよ!それより歩ちゃん大丈夫なの?さっき脱衣所で倒れてたって聞いたよ。」
「なんでもないよ。」
「ホントに?」
「ホントだってば!」
「そう、ならいいけど…。けど今日の歩ちゃん冷たくない?私何かした?」
歩のいつもと態度が違う事を訴え涙目になる絵梨、その姿を見て慌てる歩。
「いや、あのね、そのちょっと疲れててね、悪気があった訳じゃないから。」
「ホントに?」
「ホントにホント!」
「じゃあ良かった。疲れてるならマッサージしてあげよっか?」
歩の知っている絵梨とは全く人格が違い、扱いに困った様子で言い訳をすると歩の言葉を信じ俯いていた顔が直ぐに明るくなる。
マッサージをしてくれるみたいだがその手つきは怪しく蠢き、欲望に満ちたイヤらしい顔をしていた。
「い、いや今日は遠慮しておこうかな、また今度お願いね!それより直ぐ髪の毛乾かすから朝ごはん食べに行こっ!」
「そっか残念、ちょっとマッサージの勉強してきたんだけどな。」
(ホントにマッサージの勉強かよ?口元から涎垂れてたぞ…。)
髪を乾かしていると凄い視線を感じ、鏡越しに絵梨を見るとずっとこちらを見続け目からキラキラした光線を送り続けていた、時折目が合うとウインクをされ、目尻からハートが飛び出していた。
ドライヤーの音だけが響き歩だけが気まずさを感じて、髪は半乾きのまま部屋を出る事にした。
ダイニングに入ると兄はまだ寝ている様で、父だけが朝食を取っていた。
『歩の父ーー三上 健太郎 歩の父だ。』
「おぉ、二人ともおはよう!母さん、二人が来たからご飯出してあげなさい。」
「おはよう。」
「おはようございます。」
父の呼び掛けに母は無言でダイニングに入りテキパキと準備して二人に朝食を出す。
「はいどうぞ!絵梨ちゃん一杯食べてね!」
「はいっ、いつもありがとうございます!いただきま~す!」
「女の子が二人居ると朝食が華やいでいいな。」
父の言葉に母の動きが止まる。
「あなた、女の子ならここにも居ますけど。」
「んっ?あぁそうだな、ごめんごめん!」
『ダンッ!!』
「はい、食後のお茶。」
「あっちぃ!」
母はとても機嫌が悪そうで強目に置いた湯呑み茶碗からお茶が溢れ父にかかる。
(歩ちゃんのお母さん機嫌悪そうだけどどうしたの?)
(ん~、分からない。でもさっき脱衣所で怒られた。)
(でも歩ちゃんに対してじゃなくあの人に怒ってるみたいだよ。)
確かに絵梨の言う通りで母の怒りの矛先は父に向いているようだ。それより人の父親を『あの人』呼ばわりするとは男嫌いにも程がある感じだった。
父母はそれなりに夫婦喧嘩はするが、お客さん?(絵梨)の前でも怒りを露にするのは余程の事だと思い原因を聞いてみた。
「お母さんどうしたの?絵梨お姉ちゃんが見てる前で恥ずかしいよ。」
「歩ちゃん、絵梨お姉ちゃんだなんで余所余所しいから絵梨ねぇって呼んでいいんだよ!」
「分かったからちょっと黙ってて、絵梨ねぇ。」
「どうしたもこうしたもこの人には呆れちゃって。」
「俺が何したんだい?心当たりが無いけどな。」
「ホントに呆れた、さっき歩が脱衣所で倒れた時に無理矢理入って来ようとしたでしょ?」
「それは娘を心配しての事だろ?」
「そこまでは結構。問題はそこから先、扉の隙間から覗いてたでしょ!!」
父の行動を非難する母、それでも父は何が問題なのかさっぱり分かっていない様子だ。
歩は激怒し持っていた箸を父目掛け投げつける。
「くぉの変態オヤジィ!!」
「うわっ、ちょっと待て!悪気は無いんだよっ、ただ娘の成長度合いを確認しようと、ね!」
「ね!じゃねーよ!!」
「やっぱり男ってサイテー!」
「えっ、絵梨ちゃん迄!?」
「すいませんが名前で呼ばないでもらえますか?」
「俺、藤崎さんに何かした!?」
「あなた三対一よ、もっと立場が悪くなる前に皆に謝った方がいいんじゃない?」
「えっ、皆に?」
「「「当然!!」」」
女性陣の声がハモる、父は勢いに負けて謝ることにした。
『ガラッ』
「朝から騒々しいけど何したの?この分だと家の外まで聞こえてるよ。」
ようやく起きてきた武志が家中に響く騒音の原因をダイニングに入ってくるなり聞いてくる。
武志はダイニングで繰り広げられている光景に唖然とする。
女三人が父に土下座をさせていたのだ。
「武志助けてくれ、皆がよってたかって俺を悪者にするんだ!」
「はぁ、父さん何したの?」
「なっ、お前まで俺を疑うのか?」
「疑う所かあなたは真っ黒よ。」
「そうなんだ、父さん早く謝った方がいいよ。」
武志は騒音の原因にウンザリして静かに朝食を食べ始めた。息子が庇ってくれるものだと思い助けを求めたが完全に流され一人蹲る父。
「流石私の息子、ちゃんと善悪の判断が出来る子に育ったわ。」
「でも男だし。」
「武志はそこら辺の男とは違うわよ!絵梨ちゃんどう?」
「遠慮しておきます。それより朝食ご馳走様でした、今日も美味しかったです!」
「いえいえ、お粗末様でした。今朝は味噌汁にトマトケチャップを隠し味として入れてみたのよ!」
食後の食器を見ると絵梨は完食、歩と父は味噌汁以外完食だった。
歩は朝食を残した事を突っ込まれる前に部屋に戻って行き絵梨もそれに付いて行く、勿論父もコッソリとダイニングを出て行った。
「母さん勝手に売り込み止めてくれよ、そもそも何で絵梨が家に居るんだよ。」
「断られたからってそんなに邪険にしないの、見慣れた朝の光景でしょ?」
「あぁそうだったね。」
「歩も武志もどうしちゃったのよ?」
「気にしないで何でも無いから、ご馳走さま。」
武志も朝食を済ませダイニングを後にする。
「はぁー、朝から疲れた。ったくあのバカオヤジが、こっちでもバカオヤジだよ。」
「こっちって何?でも娘の裸見ようなんてやっぱり男って幾つになっても最低だよね。」
「あぁ、そうだね。」
(この人いつまで居るんだよ。親父もそうだけどあんたも似たような事しようとしたでしょうが…。)
「今日これからどうするの?もし予定無いなら一緒に買い物行かない?」
「予定?無いって言えば無いけど今月結構無駄遣いしちゃって。ごめん!」
「それなら大丈夫、今日お小遣い支給日でしょ。はいどうぞ、無駄遣いしちゃダメよ。」
丁度部屋に入ろうとした母が会話を聞いていて小遣いの入った封筒を渡してくる。
なんと言う間の悪い小遣い支給これで断る口実が無くなってしまった。
「これでバッチリだね、どこ行く?」
「いや、あのね、その。」
(あの時以来この人苦手なんだよな、女の子になったら尚更だし。俺って狙われてる?…まさかね。)
歩は昔絵梨にあらぬ疑いをかけられた事があり、無理矢理犯人に仕立てられてからとても苦手になっていた。
「どうしたの?そんなにモジモジして、もしかして私と出掛けるの緊張してる?歩ちゃんやっぱり可愛いね。」
「いや違うんだけど、違わないんだけど。」
絵梨の勘違いも甚だしく、しどろもどろしている姿が余計勘違いを加速させていく。
現状を打破する為の良い案が無いか模索していると、開けっ放しになっていた窓から声が聞こえてくる。
「おい姉貴朝から何やってんだよ!お袋カンカンだぞ!」
「げっ、ちょっと家に行って来るから、すぐ戻るから待っててね!」
「私の事は気にしなくていいからごゆっくり。」
絵梨は後ろ髪引かれる思いで窓から出ていく、その後すぐ藤崎家から怒号が聞こえてきた。
見ていなくても絵梨が怒られている様を容易に想像出来歩は一人手を合わせ合掌したーー。