第3集
社会不適格者暦45年、もはや第3世界の粋に突入か、
前世は隠れキリシタンか?平家の落人か?
浮遊レゲエマンの脳内妄想ワールド
=竹笛(1)=
竹笛は突然吹けるようになった。
最初に出会った竹笛は、ネパール製の竹笛で
お土産として友人から貰ったものだった。
それから気が向いた時には吹いていたが、
十年ぐらいは思うように吹けなかったと言うか、旋律にならなかった。
それは長崎の海辺の古民家で音楽茶房をオープンする前日のことで
たまたまスローライフ特集として長崎新聞が茶房オープンの記事を大きく掲載したので
オープンからお客が訪れることは確実に予想出来ていて
ギター・歌でレゲエ、パーカッション・シンセサイザーでリラックスミュージックと
オイラがやれる全ての音の表現をしてみようと、リハーサルをしているときに
ふと、(スローライフだし竹笛もハマるかもなぁ)って
竹笛なんてまだ人前でまともに吹けない現実を、完全に忘却の彼方にし
普通にあたり前にバンスリを手にとり、唇をあてて吹きだすと
いままでどうしても旋律にならず途中で止まってしまっていた竹の音色が
スラスラと築百五十年の大所帯古民家の隅々に流れ漂っていくのであった。
予想どうり翌日からお客は連日のように遠方からも訪れて来ていた。
お茶を出しながら、訪れた人の好みの音楽なんかを聞きだし
そのとき浮かんだ楽器を演奏する毎日が続いた。
訪れた人の中に
その人の住んでいる町でコンサートを企画するので
そこでオイラの演奏をしてほしいと依頼する複数の人達が現れだした。
その人達の共通の依頼内容は
「竹笛の演奏をしてほしい」だった。
(竹笛は仕事になる)
根がゲンキンなオイラは、その頃から猛烈に笛を吹きだした。
その邪まな猛烈さが災いしたのか
その一本しか持っていない繊細なネパールの竹笛に割れ目が生じた
幾つかの楽器店で探すものの、同じ竹笛は置いていないし
気に入った竹笛にも出会わなかった。
東京下北沢のエスニック雑貨店にあるという噂を聞き
オイラのバンスリをその店に持参して
「これと同じものがほしいんですが。。」と店の女性オーナーに懇願すると
この店にはないが、近くに住んでいるネパール人のミュージシャンが
何本か持っていて、その人がもうすぐこの店に来るので
ここで待つように薦められた。
程なくするとその男は現れた。
会ってみると、以前オイラもよくセッションしたネパール人バンドの知り合いで
色々と、そのバンドメンバーのことやネパールの話しをし始めて止まらず
一向に本来の用件である(このオイラが手にしている竹笛と同じDキーのバンスリを
おまえは持っているのか、いないのか?それがオイラにとってこれから竹笛演奏を
続けられるかどうかの切実な問題で、昔話、故郷話もいいが、
そこんとこは、どうなんだ?)と言う気持ちを抑えながらも
彼の話のタイミングを見計らって、再度用件を伝えると
家に帰って在庫の確認をしないとDキーのバンスリが有るかどうかわからない
と言うので、一緒にそのネパー人ミュージシャンの家に行くことになった。
家に着くと男は奥の部屋から何十本ものバンスリを引っ張り出してきて
一本一本、笛の講釈をしながら笛を吹きだし
別の笛を突き出してオイラにも吹けと言い,その男と一緒に
ドレミファソラシドを吹かされた。
彼は副業でこの家で竹笛教室もやっているらしい。
一緒にドレミファを吹き終わると
「ベリーグッド」などと教師っぽい音程でつぶやいたりしていた。
(もう分ったから、Dキーの笛があるかどうか早くさがしてくれよー!)
結局同じDキーの笛は出てこなかった。
男の家を後にして、
下北沢駅に向かって、黄昏の雑踏を歩くオイラの足は鉛のように重かった。
オレンジ色に染まっていく東京の空にポツリと告げた。
「自分で笛、創るしかないな」
=つづく=
=竹笛(2)=
その野生の竹林に遭遇したときの心境は
おとぎ噺の“かぐや姫”を竹の中に見つけた、おじいさんのそれだった。
日本の竹笛といえば尺八ですが、
全長一尺八寸(54.5cm)の竹笛に三箇所の節があるのが一般的です。
自分で竹笛を作り始めたオイラは、そこらの竹を切って来ては
幾本かの笛を作って吹いていましたが
どうも自分のイメージする音色の竹笛は作れなくて、
それらの笛は、やはり2~3箇所の節のある竹笛でした。
なんでだろうとバンスリやケーナを見ていて、
これらの笛には節が一箇所も無いことに気がついたのです。
節のない竹笛を作ってみたい。。という思いが日に日に大きくなり
しかも低音域もほしいので、節と節の間隔が60センチ程ある竹が必要で
時間が許す限りそのような竹を探し求めて、さ迷いましたが
探せど探せど節間がせいぜい30cm程のものばかりでした。
やっぱり日本でそんな種類の竹なんて無いんだろう。。と
半ば諦めかけていた、そんなある日にブラリ現れた
じげもん(長崎の方言で地元人のこと)でケーナ奏者のKさんが
その日本ではありもしないような種類の竹が、
この地域のある一角に生えていると言うのだ。
翌日、半信半疑でKさんが口頭で説明してくれた付近に車で行ってみると
本当にこんな場所にあるのかなぁってロケーションで
だいたいそんな珍しい野生植物なんて、
ひと気のない山奥とかに有りそうなものだけど、
ここらには中学校や民家も見えていて、人も歩いている
場所を聞き間違えたんじゃないかと訝りながらも
辺りを見渡しながら、ゆっくりと車を転がし集落を抜けて
最後の民家を過ぎると、急に道が狭くなり山あいの方向につづいていた。
その道を500mぐらい入り込んでみると
数々の竹林をくまなく観察してきたオイラの目に
見たこともない光景が飛び込んできた。
普通、竹林の竹は一箇所から一本の竹が天に向かって垂直に伸びていて
少し離れた場所に他の一本の竹が、同じ様に垂直に伸びている。
それらの竹が群れだって竹林の風景は構成されているものだが、
そこで目にした竹は、一つの集中した場所から
何十本という青々とした竹が、パイナップルの頭部のように
あらゆる方向に放物線を描くように伸びていて
その一角には同じようなパイナップル頭部状の竹群が
何箇所も生え揃っていた、こっ、ここはいったい何処なんだ?みたいな
映画の一場面のような竹林であった。
エンジンも切らずに車から飛び降り
吸い寄せられるようにその竹林に侵入して行くと
その竹群の中に、根元から節までが有に60cmはある
数本の竹を目撃した。
その長さといい、太さといい、手で触れてみた感触といい、
まさにこんな竹が有ればと願っていたイメージどうりの竹が
家から、わずか車で10分程の場所に生えていたのだった。
それは、決して大袈裟ではなく
自然からの、全存在からの、彼方からの恵みであると
確信した瞬間であった。
=つづく=
=竹笛(3)=
幼少の頃、時代劇映画の虚無僧の姿をみて不思議に思ったことを覚えている。
籠のようなものを頭から被り、竹笛を吹きながら歩いていたり
民家やお店の軒先で立ち止まって笛を吹いている。
「あのオッチャン、なにしてんねんやろ?」
武芸の稽古や派手な殺陣廻りの場面では、
その面白さや、その行為の目的を容易に理解できたが
虚無僧に到っては、何が面白くてあんなことをやっているのか?
なんの為にやっているのか?
子供心には、ちょっと理解するのに困難ではあったが
その妙な存在感だけは不思議なインパクトを与えられた。
理想の竹に出会って、自分で創った竹笛を道連れに
各地に竹笛ライブを敢行している旅の途上で、
この虚無僧達の真意、妙味、醍醐味を了得できた。
竹を吹きながら気ままに旅し
生きるために必要最低限の糧を、世俗での芸によって稼ぎ
また、笛吹き自然に還り“空中の竹”となる。
これこそ至高の道楽であり、悦楽の彼方にある真の贅沢である。
おそらく虚無僧に至ってしまったであろう人は
山に隠って、ひたすら座禅に打ち込む苦行タイプの僧ではなく
世俗の楽しみ、愚行、悲哀、因習などにも、
途方もない愛と許容をもって達観していた人達であったと想像できる。
世俗の喧騒の中いても山の静寂を携え
独り山の静寂の中にあっても、自然が奏でる音楽と共に
星に友情を語りあえる、月の姿に美の感動を受け取れる
聖界にいようが俗界に留まろうが何の違いもなくて
意識はブレることなく、その中心に注がれている。
一見、神妙そうに見える虚無僧達の編笠の中の顔は、笑いで溢れていて
その、至福から生まれる豊かな生気で輝いている筈だ。
世間のほどこしを受けながら、気ままに笛などを吹いている者が
幸福そうな表情をしていたら一般大衆に受けが悪いので
編笠で顔を隠しながら旅していたに違いない。
(竹笛は仕事になる)という、鼻先にぶら下がった人参を追い求める
馬のような動機で始まった、竹笛への道ではあったが
竹を吹くことで受け取った報酬は計り知れない。
それは世間の評価とか称賛などとは異質の贈り物であり
竹を吹くうちに広がっていく、晴れ渡った空のような無重力感、
その空から出でたる起因のない無垢な歓喜、湧き上がる新たな活力、
要は一笛吹くたびに、自己の内側がクリーンナップされて
生まれ変わったような新鮮な空間にシフトされてしまう。。
このような一瞥は
流行のヨガや禅などの修行でも同様に体得出来るものでしょうが
人それぞれ向き、不向きがあるもので
機会があるたびに、それらの方法も実践してみましたが
長続きしませんでした。
それらの感想を一言で述べさせていただくと
やっていて面白くないのです。
なんか敷居が高いっていうか
ヨガやってます、座禅やってます、スピリチャルやってますっていう
その流風してる雰囲気がちょっと鬱陶しいのもあるし
崇高な、特別なことをやっているんだって思いが埃になって
純粋にその技法に入っていけない場合もあるような。。
まぁ、オイラに向いていなかったことは、はっきり分ったので
それらもやってみて良かったとは思います。
竹笛は気楽に鼻歌みたいに、気が向いたときにやれて
知らず知らずのうちに、その空間に入って行けるわけで、肩が凝らなくていい。
なのでオイラみたいな怠け者にも続いたんでしょうね。
ありのままの自分で適している方法に出会うことが出来れば
その目的は、ほとんど達成されていると言える。
あとは、放って置いても根は深く大地に根づき
茎は天に向かって育ち、時が来れば実は実る。
竹笛を吹く目的、そのゴールは矛盾している。
その最終地点は
竹を吹こうが、吹くまいが同じ境地に在ることで
竹を吹く必要も無くなる為に
竹を吹き続けていく。
=沈黙=
“畑打つや うごかぬ雲も なくなりぬ”
ネットで調べものをしていたら、偶然この句が目に留まった。
与謝蕪村という人の句らしい。
この人のファンでもなんでものなく、始めて読んだ句で、
「お-っ、さすがやねぇ」
と、感銘を受けたのですが、その句の下に現代語訳として
“畑仕事をしているうちに、さっきまで動かないように見えた雲が
どこかへ消えちゃった”
と、付け加えられていて
訳を読んでしまうと、さっきまでの感銘がどこかえ消えちゃった。
そもそも俳句や詩は、言葉の余韻をそれぞれ楽しむもので
違う言葉で訳したり、解説したりするのは不粋な行為であるが
言論、表現の自由もあって
その訳した人は好きで訳しているのだろうし、だれにも責めることはできないが
オイラにも、その自由はあるわけで
このような句が浅々しく訳されているだけで、飽き足りない文献によって
ネット検索の上位に晒されている事実が
オイラの詩人魂にメラメラと反逆の炎を燃え上がらせてしまい
野暮を承知で、この句のオイラ的解説を付け加えてみたくなった。
この句解読のポイントは“うごかぬ雲”の語句にある。
まず俳人が句を詠むのは、その言葉を伝えたいのではない。
彼が真摯に生きて体得した境地、感慨、悟りを
日常の言葉では表現できない何かを
彼方から訪れたその活動力を“句”というツールを通して
その香りとして言い表されている。
従って、“うごかぬ雲”とは
“さっきまで動かないように見えていた雲”という
いわゆる雲のことでは無く、
背後にある,澄み切った青空(無垢で自由な意識)を曇らせていて
人が数々の生に渡り持ち運んでいる、
欲、羨望、怒り、悲しみ、嫉妬、などの人間の心を比喩している。
この心の雲は“さっきまで見えていた雲”では無く
幾たびの生に及び、長らく人の心に頑迷に巣食っていて
寝ても覚めてもなかなか動かない。
その雲は創造することによって、“畑打つ”ことで消えて行った。
食作るではなく“畑打つ”は大地を創る
地を創ることは、豊かな食が育ち、健やかな体を創る。
心の雲の背後にある、広大で大空のような純粋な意識の芽が育ちだし
“畑打つ”は自分自身を創る。
この俳人は、心という幻の自分を突破して
本来の意識である自分を創造していくことは
音楽を創ったり、絵を描いたり、家を建てるなどとは
比べ物にならないぐらいの喜びなんだよって、囁いているんだろう。
“畑打つや うごかぬ雲も なくなりぬ”
「 」(沈黙)
=悪運=
道は、日増しに細くなっている。
一歩踏み間違えれば、奈落の底に転げ落ちてしまいそうなぐらい
不安定、不透明、不確実でこの上もなく危険な道を歩き続けているようだ。
と言いながらも、のんきにブログなんか書いているわけだが。。
これでいいのだ!というよりも、こうにしかならないのです。
自由である!というよりも、誰からも頼られたり期待もされなくて
今日を生きよう!というよりも、明日の予定は未定であり、生きてることさえ定かでない。
新たな発見!としては、過去とは、何の意味も成さない信仰であり、不用なお荷物でしかない。
世直し運動!などと啓発することは、もう一つの団体(政治)を組織化しているに過ぎず
愛と平和!を、ふいに訪ねて来た、隣のネコに教えてもらい
生きる歓び!は、社会が推奨するスピード化、効率化、合理化の中には見出せず
自然に生きる!というよりも、不自然に生きることへの抵抗力が弱まり続け
流れのままに!というよりも、求め、選ぶ権利は消滅寸前で、なんであろうと有難い。
必要なものは与えられる!というのは、求めることを放棄した者への報酬である。
生きる力!を、昇る朝陽に励まされ
死にゆく安らぎ!を、沈む夕陽に思い起こされる。
花が咲いた!ことに、胸をときめかせ
花が枯れた!ことに、哀愁を抱く。
道は、歩くほどに細く、たどり着く確かな地図もなく
ちょっと、ヤバさも感じたりすることもありますが、
戻る気にも、安全で明確な他の誰かが歩いた道を旅する気にもなれず
自分の足で、この道なき道を進み続ける以外はないでしょう。
時代は、益々不透明で混沌としているようです。
夜は明けようとしているのか?それとも暗闇の中に迷い込んでしまうのか?
誰にも分らないのですが。。
一つ自分の個性として信頼していることは
“悪運が強い”ことです。
=還暦とは死ぬこととみつけたり=
60歳になってしまった、なんかスゴイと思う。
還暦っていうぐらいだから人生が一巡してしまって
また新しく始まるってことでしょうね。
そう言えば、満60歳になる一週間ぐらい前から全て止まってしまった、
何をするにも無意味に思えてしまい、何をやっても進まない。
ここまで可能な限り、自分の本来的な興味に従って生きてきたので
今日、死んだとしても、いい人生だったと思えるのですが
どうも、体はまだ大丈夫そうなので、もうしばらく生きていくのだろう。
だからと言って、ひと通り過去の人生は過ぎ去ったわけで
それと共にその興味自体も無くなっていくもので、
以前、あんなに情熱的な恋をして、その熱が過ぎ去ったあとに
『あの頃に戻りましょう!』なんて言われても無理なはなしで、
過去のことに興味や熱意を失ってしまうのは自然なことなんでしょう。
ところが興味や熱意を無くしてしまうと、生きる活力も沸いてこないので
他に興味そそるものに熱中し始めて、また生きていくのでしょうが
60年は、とりあえず思いつく限りのことに生きて
その全てを一巡り通り過ぎてしまう期間のようで
他に興味を抱けるものもなくなって、まるで死んでいくような感じがしてしまう。
いやっ、実際、死ぬんでしょう!
生まれ変わるために、死ななきゃならないのでしょう。
もう何も知らない人に戻るしかない。
ソクラテスだったと思うが“無知の知”だ!
過去の知識、偏見が死ねば全ては新鮮になるのだろう。
だからこの機会に死んでみようと思う。
過去の興味にしがみ付かず、この無活力の苦悩の中にとどまってみよう。
少なくとも、これはいままで経験したことの無い実験である。
“産みの苦しみ”と言われるが
新しい意識とは、二番目の生とは
深海に沈んで行く苦悩の中から生まれるものか。
『還暦とは死ぬこととみつけたり』
=新しい人間=
ふと“新しい人間”という選択肢もあるなぁと浮かんだ、
過ぎ去った過去に、何の興味も意味も見出せなくなってしまった
あわれな男の妄想である。
このところ不活動に徹してみた、
生きるための必要最低限の行い以外は何もしないでいた。
たしかに“何もしない”というのも一つの自由ではあった。
何かしたい衝動が起こるのは過去の記憶からであり、習慣とも言えるのですが
“何もしない”わけだから出来ることと言えば、
その衝動、欲求を距離をおいて見守るしかないのです。
見守っていると、その衝動や欲求は消えて行き、なんか軽くなって
場合によっては“何もしない”ことが、することよりもリフレッシュしたりして、
習慣から行為することの味気なさにダウンすることも無く
本来の自己の静寂に留まれた、ささやかな自由の達成感さえ覚えてしまう。
さらに、この必要最低限の行い以外“何もしない”自由は
必要な作業、例えばお茶を飲むというような、あたり前で日記にも書けないような作業に
新鮮な歓びと味わいをもたらしてくれたりもするのです。
なので、過去の記憶や習慣から行動しない人
何の期待も持たずに真っ新に生きる人
何者でもなく、誰でもない人
こういうひとにワタシはなりたいと思ってしまったのです。
しかし、このような人間になるって可能だろうか。。
いやっ、考えている場合ではない
もう過去の腐った常識や、頑固な信条にすがっている場合ではないのだ。
一瞬が過ぎ去るごとに死に、一瞬ごとに生まれる人
何の先入観もなく生に対応する人
若くもなく、いわゆる老いもない人
この行く先を思い煩わない人
満足を欲さないゆえ不満も不在、只ただ充足してる人
愛に悩まず、愛で在れる人
実際、このような人間は不可能であろう
もし、このような人が現れたなら
彼を“新しい人間”と呼ぶ以外はない。