stage.06 少女皇帝、ダンジョンを造る。
小指の先をほんのすこし切ると、赤い血がちいさな玉となり、雫となってしたたり落ちた。
ぽたり、ぽた、……ぽたり。
木と石の精霊が混じったものへ、神魔帝の血が三滴。
天界の主の濃密な力をじかに浴び、ただの古びた岩と一本の木だったものが、血の滴り落ちたところからじわじわと変異していく。
彩乃は小指の切り傷を口に含んでなめると、それがすぐに癒えてふさがったのを確認し、ダンジョンになることに同意した木と石の混合精霊を呼んだ。
「おいで」
神魔帝の力でふわりと浮き上がった岩と木が、地響きのような音を立てて空中で巨大化していく。
緑の葉をいくつか付けていただけの細い木が、天を貫かんとするような巨木となり、その根に絡みつかれていた岩は巨木の周りをおおう灰色の塔へと成長する。
巨木を中心にしてそびえ立つ、灰色の岩の塔。
荒削りな塔の石組の所々からいくつもの枝が伸びていて、頂で大きくひろがった枝に生い茂る緑の葉は、まるで塔の傘のようだった。
「いいね! すごくダンジョンっぽい!」
彩乃がはしゃいでいると、喜ぶように巨木の塔が輝き、それがひとつに集まってふよふよと降りてきた。
「しんまてー、さま」
舌足らずに言うのは、頭から緑の葉っぱをはやした三歳くらいの子どもだ。
どうも木と石の混合精霊が、神魔帝の血を浴びたことで昇格して実体を得たらしい。
彩乃はおいでおいでと笑顔で両手をひろげ、降りてきたその子を抱きとめた。
羽根のように軽いがあたたかい、灰色の髪のちいさな体。
「私のダンジョンになってくれて、ありがとう!
いきなり体が変化して疲れたでしょう。あなたは私が守っているから、ゆっくり眠っていいよ」
混合精霊は眠たそうな顔をしていたが、彩乃の腕の中から主張した。
「なまえ、ほしー。しんまてー、さま。なまえ」
一瞬迷ったが、この子はこれから造るダンジョンそのものだ。
彩乃のそばに長くいることになるだろうから、銘を与えてもいいだろう。
すでに神竜王とヴァンパイア王に与えていたこともあり、彩乃は「いいよ」とうなずいた。
「汝、銘を“グレイ”と刻む」
神竜王は太陽みたいな黄金の髪をしているから「太陽=ソール」。
ヴァンパイア王は血のように紅い眼をしているから「血=ブラッド」。
木と石の混合精霊は灰色の塔になったから「灰色=グレイ」。
どれもじつに安直な名前の付け方だったが、前の二人と同じように、混合精霊もただ純粋に喜んでくれた。
「グレイ。なまえ、うれしい。グレイ、うれしい」
あまりにも無邪気な笑顔で喜ばれるので、もうちょっと深く考えるべきだったのではないかと、彩乃はすこし後悔した。
しかし深く考える性格でもないので、名前はわかりやすくて覚えやすいのが一番! と開き直り、「気に入ってもらえて良かった」とにっこり笑った。
グレイは彩乃の笑顔を見て満足そうに息をつくと、ふぁ、とあくびをこぼしてまぶたを閉じた。
そのまま穏やかな眠りに沈む。
思いがけず愛らしい寝顔を見てなごんだ彩乃は、唇に微笑みを残して巨木の塔へ向き直った。
ダンジョンとしては個人的に満足な外観だが、そのそばに準備や休憩ができる場所があると、もっと良いだろうと思う。
そこで空中に浮かんでいるダンジョンの一番下にある平らな岩を、ちいさな街ができるくらいにひろげ、彩乃は「これでよし」とうなずいた。
後は巨木の塔とその前の広場を神魔帝の力で包みこみ、下の大地に触れないよう浮遊する高度を上げて、太陽の光が透過するようにする。
(あ、完成するまでは誰も入れないようにしとかないと)
彩乃は巨木の塔をおおう力を固定し、それに“侵入不可”の機能を組み込む。
誰も入れず陽射しを透過する、幻の塔の完成だ。
けれど当初の目的を達成したというのにすぐ居所へ戻ろうとはせず、眠るグレイを腕に抱いたまま、しばし幻の塔の前にたたずんだ。
(「ダンジョンを造るのがいいと思うんです」なんて一言で、二人とも反対せずにあっさり賛成してくれて、私もグレイを塔にしちゃったわけだけど。
もしあれを言った相手が鹿島先輩だったら、また「この春頭のゆとりが!」って叱られて、頭はたかれてただろうなー)
とても今更なことだったが、彩乃は勢いで造ってしまった実物を見て、いささか反省していた。
鹿島先輩はきっと頭をはたいた後、材料や費用の問題はともかく、「それを造る目的は?」とか「内部構成にあたっての攻略対象モデルは?」とか「どうやって継続的に神族や魔族の興味をひくのか?」とか。
その計画の成功に必要な確固たる目的意識があるのか、懸案事項がクリアされているのか、あるいはそれが懸案事項であるとちゃんと認識されているのかどうかを確認し、答えきれない彩乃をサックリと撃沈させただろう。
自分では良い考えだと思ったのだが、先輩の顔が脳裏に浮かぶと「申し訳アリマセン! すぐに書類作りなおします!」という言葉しか出てこない。
そして「それはもちろん叱られることから逃げるためでなく、適切な代替案があって言ってるんだろうな?」とグサリ刺されるわけである。
細部のツメも甘いが、全体を見る目も足りない、とよく叱られたのを一緒に思い出して、彩乃は「はー」と深いため息をついた。
可能なら元の世界から鹿島先輩を呼んで相談したい、と思う。
先輩は確かに厳しかったが、新人を毒舌で叱れるだけの実力を持ったひとだったから。
残念ながら彩乃に他の世界への干渉能力はないので、なんとか自分で考えるしかないのだが。
(私はあんまり頭良い方じゃないし、うっかりいろいろ忘れるし。それでもみんなでダンジョンを造ろうっていうなら、まずアレが要るよな)
あれこれと考えて、次に必要な物を思いつく。
「紙とペン!」
彩乃はグレイを腕に抱いて、天空宮殿へ戻った。