stage.04 少女皇帝、銘を与える。
神魔帝の居所である天空宮殿は、時間によってその色を変える。
昼は白く、夜は黒く、夜明けと夕焼けの時はあざやかな緋色、夜の帳が降りるにつれておだやかな藍色へ。
戦いの楽しさを覚えてしまった「ウチの子」たちをどうしたものかと考えながら、彩乃は玉座からその色の変化を眺めた。
そしてそのまま三日が経過すると、何の制限もなく天界に注ぎ続けていた力を身の内に抑えこむ。
天界の大地はみずみずしく蘇り、主の力に餓えていた住人達は満たされた。
過剰に力を注げば悪影響を与えてしまうため、そろそろ抑制が必要だ。
「神魔帝陛下」
力を抑制するとすぐ、神竜の王とヴァンパイアの王が謁見の間に現れ、玉座の前へと歩いてきてひざまずいた。
冥王の来訪によって気絶した彼らは、その後目覚めるとすぐに主の元へ戻ろうとしたのだが、無制限な解放状態で力を放出していた神魔帝には近づくことができず、今までずっと力が抑制されるのを待っていたのだ。
ちなみに今は昼で、天空宮殿は白くほのかに輝いているが、ヴァンパイアの王たる青年は平然としていた。
この世界の神族と魔族は、本来の力が解放されるのが神族は昼、魔族は夜というだけで、昼夜の時間は彼らの生活を縛るものではない。
「二人とも、大丈夫そうで良かった」
三日前に気絶した姿を見たのが最後だったので、彩乃は二人の元気そうな様子にほっとした。
そしてさっそく、冥王が知らせてくれた問題について切り出す。
「神魔帝不在の間に問題が起きていたようですので、今日からそれに対応していきたいと思います。すこし忙しくなるでしょうけれど、よろしくお願いしますね」
ようやく顔を見ることができた二人の王は、どちらもかなりの美形だったので、彩乃は(おおー、眼福)と心のなかで感嘆しながら話した。
そして、どちらか一方に片寄ったりしないよう、気をつけて微笑みかける。
神族と魔族は神魔帝に仕えるという一点で共存しているが、神魔帝の寵愛を得ようと争うこともある、と“知識の水”によって教えられていたからだ。
「陛下にお仕えすることこそ我らが喜び。どうぞ、何なりとご下命を」
鋭い声で即座に答えた神竜の王は、黄金の髪に青い眼、彫りの深い精悍な顔立ちをしている。
鍛え上げられたたくましい長身の体躯に、よく似合う黄金の鎧をまとって剣を帯び、白いマントをなびかせているその姿は神話のなかの騎士のようだ。
“知識の水”によれば見た目通り生粋の戦士で、ケンカする時は口を開くより先に拳をにぎるタイプ。
神竜は基本的に武力を信望している。
「陛下のお力を浴び、我々は千年のまどろみから目覚めました。我が眷属はすべて陛下の忠実なる手足にございます。どうぞ、御心のままお使いください」
低い声でゆったりと、まるで愛撫するかのような口調で答えたヴァンパイアの王は漆黒の髪に紅い眼、端正で繊細な美貌だが、すこしも女性的な印象はなく、むしろどこか気だるげな男の色香を漂わせている。
神竜の王よりは細身な長身の体躯に、こちらもよく似合う黒一色の衣服をまとい、黄金とルビーを使った美しい飾りで漆黒のマントを留めていた。
“知識の水”によれば魔術の研究や快楽の追求を好む天性の魔術師で、ケンカする前に策謀を巡らせて、自分の手は汚さずに敵を潰すタイプ。
ヴァンパイアは基本的に魔力を信望している。
どちらも人間だった時にはテレビの向こうにしかいないような美形だったので、確かに眼福ではあったが、こうして真っ向から言葉を交わしてみると迫力がありすぎて、彩乃はちょっと怖いと思った。
それに、「神魔帝の寵愛がどうのこうの」という話にならないよう、どちらともあまり個人的な関わりは持たないようにしようと思っていたので、さっさと対応策の相談に入ろうとした。
のだが。
「陛下、どうかほんのすこしだけ、わたしに時間をいただけませんか?」
と願い出たヴァンパイア王が、「我が真名を捧げさせていただきたい」とのたまった。
神族だの魔族だのがいるこの世界で、真名はその存在のすべてをあらわすものであり、伴侶にしか与えない重要なものだ。
ようするに真名を捧げたいというのは求婚なわけで、とたんに神竜王が「抜け駆けする気か!」と怒って自分も真名を捧げたいと言いだし、(しょっぱなから来たか)とおだやかに微笑んでいた彩乃の口元がひきつった。
天界に政略結婚は存在しないので、普通、求婚というのは成熟した男女の間で行われる。
彩乃の目の前にいるのは神族と魔族の王であるはずだが、彼らは自分が求婚している相手が生まれたばかりな上に、外見年齢八歳だということを、ちゃんと認識しているのだろうか。
「騙されてはなりません、陛下。この男は陛下がまだ生まれたばかりであるのをいいことに、他の者を見る前に自分を選ばせておこうとしているのです」
「そんなことは考えてもいなかったが、神竜の。そのように汚らわしい考えを陛下のお耳に入れるとは、なんという不敬な。神魔帝陛下。わたしはただ、あなたのお傍にいたいという一心で真名を捧げることを望んでいるのです」
幸か不幸か、彼らの幼い主の中身は、甘い言葉ばかりを信じたがる子どもではなかった。
二人が言い合う声を聞きながら、(生まれたばかりっていう条件も込みで、初手に押し流しとこうという作戦か)と理解する。
しかし不思議と嫌悪はなく、彩乃は彼らの求婚を微笑ましいものであると感じた。
徹底的に実力主義な天界において、皇帝の伴侶の座はただ他より多く神魔帝に愛され、「うらやましー」と言われるだけの地位である。
とてつもなく低い確率で子が生まれることもあるが、伴侶の種族のいくらか強い子どもとしてごく普通に生まれるだけで、特別な力を継いでいたりはしない。
次代の神魔帝は『皇帝の大樹』に実ると決まっているし、伴侶になったからといって、他の者たちが服従するようになるわけでもない。
ゆえに伴侶とは「神魔帝から特別に愛される者」という、本当にただそれだけの地位。
となると、彼らのこれはちいさい子どもが「ぼく、おかーさんとけっこんする!」と言うようなものだ、と彩乃は思う。
年齢は逆転しているが、その盲目的な愛情は外の世界を知らない子どもが母親に向けるものによく似ている。
先代の神魔帝は神族と魔族の両方から、同じ数だけ何度か真名を受け取ってこの天空宮殿に住まわせたらしいが、それは彼が成長した後でのこと。
今のところ伴侶を求める気のない彩乃は、ひとまず年齢を楯として断ることにした。
「私は生まれたばかりです。あなた方の真名を受け取るには、まだ未熟すぎます」
「心配なさることは何もございません、神魔帝陛下」
ヴァンパイア王はゆったりとした口調で言った。
「わたしがお育ていたします」
「いえ、できれば時間に育ててもらいたいです」
ぞくりと腰にくるような声で言われるのに、内心(ひー!)と悲鳴をあげながら彩乃は即答で断った。
求婚してくる動機は微笑ましいが、彼の存在には微笑ましいところなどかけらもなく、闇の中で耳元にささやきかけるように甘いその声はけっこうな凶器だ。
「さすがは神魔帝陛下! 正しいご判断です。この男は他者のことに気を配るには向きません。やはりここは私が適任かと」
「そうではなく。私はまだ伴侶を必要とする年齢ではないということです」
神竜王が嬉々として言うのも即答で断り、こちらには主人に叱られた大型犬のようにしゅんとした顔をされて良心が痛んだ。
(でもだからって、伴侶なんてムリだし)
運が悪かったのか他の何かが悪かったのか、女子高育ちで女子大卒でゲーマーな彩乃は、年齢=彼氏いない歴の人だった。
正直なところ、家族以外の男性と個人的に話すのも緊張する。
会社に就職してからはそれどころではない勢いで仕事を叩きこまれ、失敗するたび「この春頭のゆとりが!」と教育係の鹿島先輩に書類で頭をはたかれ、男性がどうのという前に今日という日をしのぐことで必死で、最近はすっかり忘れていたが。
ここにきて(そういえば男のひと苦手だった)と、思い出してしまった。
現実逃避したい頭が、声には出さず(鹿島先輩も私より五歳上なだけの、ゆとり世代だったのにな……)とつぶやく。
一方現実では、神魔帝がはっきりと断っているのに神竜王もヴァンパイア王も納得しようとせず、妥協案が出されていた。
「ではどうか、銘をお与えください」
普段使われる通り名とも、存在そのものをあらわす真名とも違う“銘”を与えるというのは、通常の天界住人で考えれば婚約に当たる。
けれど神魔帝からは、何かの功績を讃えたり、深い信頼を示すために与えられる場合もあるので、婚約とみなすかどうかは微妙なところだ。
彩乃はなんとか避けようとしたものの、二人ともがんとして譲らないので話が進まず、やがて説得に疲れると(このくらいのことは必要なのかも)と考えてうなずいた。
彼らは声高に自分の成したことを言いはしないが、どちらも神魔帝不在の千年を耐え、狂いかける眷属を抑え続けて天界を守った功労者だ。
その功績を讃えて銘を与えるということであれば、確かに必要な報奨であるし、婚約には当たらないだろう。
そうして二代目神魔帝、彩乃は黄金の髪を持つ神竜王に「ソール」、真紅の眼を持つヴァンパイア王に「ブラッド」という銘を与え、心の中で(はやく彼らにぴったりの恋人を見つけなければ)と決意した。