stage.03 少女皇帝、問題を認識する。
「あ、ぼくは冥王ね」
いきなり天空宮殿の謁見の間に現れた少年は、さらりと言った。
闇よりもなお暗い、青みを帯びた漆黒の髪と眼。
愛嬌たっぷりの仔犬のように愛らしい顔立ちをして、彩乃のものとよく似た漆黒のローブをまとっている。
身長はすこし彼の方が高いようだが、身体年齢も同じくらいだ。
「呼ぶ時はメイでいいよ。ぼくも君をシンちゃんて呼んでいいなら」
死者が眠る世界を統べる者というには不似合いに思える、ずいぶんとフレンドリーな冥王だった。
彼はその勢いに流された彩乃が困惑気味にうなずくのを見て、快活な口調で言葉を続ける。
「それじゃさっそく話そうか。君が実の中にいる間、人界が代理戦争で大騒ぎになって、もう冥界が満員状態なんだ。しかも誰だか知らないけど死霊召喚とかやっちゃってくれてるもんだから、喚ばれて飛び出しちゃった死者の魂の回収とかその世話とかでウチの子たちが大忙しで、まあとにかく大変なんだよ。
だからシンちゃん、どうしよう?」
いきなりそんなことを訊かれても、意味不明だ。
彩乃はさらに喋り続けようとする冥王を止めた。
「ちょっと待って。私はまだこの世界がどうなってるのか、よくわからないの。面倒だろうとは思うけど、最初から説明してもらえる?」
「ん? あ、そっか。シンちゃんまだ生まれたばっかりだもんねー。ぼく、あんまり説明とか向いてないから、記憶流すよ。ちょっとこの壁どけて、そっち行かせて」
冥王は彩乃が二人の青年を守るために作った透明な壁を、トントンと指先で叩いた。
彩乃はそれでようやく青年達の方に意識を向け、いつの間にか彼らが気絶して倒れているのに気づいて「ああ、しまった」と額に手をあてる。
世界の主が二人も揃った場にあっては、いかに神族の王、魔族の王といっても耐えきれるものではなかったらしい。
彩乃が神魔帝としての力を抑えられればまだ耐えられたかもしれないが、千年の統治者不在で力が枯渇しかけている天界を潤すためには、しばらく解放したままにしておかなければならない。
結果、二人を気絶させてしまったわけで、仕方がないとはいえ申し訳なく思いつつ、彩乃は彼らをそれぞれの居城へと転移させて壁を消した。
今はまだ玉座から動けない彩乃のところへ、少年の姿をした冥王が歩いてくる。
そして、世界の主にしか越えられない上座への三段をあっさりのぼると、ちいさな手を差しのべた。
「それじゃ、始めようか」
記憶を流す、というのがどういうものかはよくわからなかったが、にっこり笑う冥王を見ると警戒する気にもなれず、彩乃は彼の手に自分の手を重ねた。
すると“知識の水”を飲んだ時のように、彼の記憶が流れ込んでくる。
初代の神魔帝は最期の姿を誰にも見せることなく、静かに世界から去った。
そしてそれから千年もの間、敬愛する神魔帝がいないという状況に置かれ、天界は水面下で狂っていく。
『皇帝の大樹』に実はあれど、彼らの主は孵化しない。
何が悪いのか、どうすればいいのか何もわからず、統治者不在という初めての事態で、元から仲の良くない神族と魔族の対立が深刻化した。
しかし、天界は神魔帝のものだ。
もし『皇帝の大樹』の実が孵化した時にそこが焦土と化していたら、彼らの主は何と思うだろう?
神族も魔族も、どちらともなく本能的に天界での戦いは避けた。
そこで目を向けられたのが、王位を巡って長く戦乱が続く人界。
神族と魔族の王たちは止めたが、神魔帝の存在に餓えて狂った下位の者達はその命令を聞かなかった。
彼らは人界でそれぞれ気に入った者に力を貸し、戦いに身を投じる。
そうして天界では争えないがために、人界での代理戦争が始まった。
触れた手から記憶を流し終えた冥王は、彩乃の手を放すと玉座の前にぺたんと座った。
「おかげで人界の住人がぼろぼろ死ぬわ、天界の住人もころころ死ぬわ、冥界は満員になるわでもう大騒ぎだよ。
あ、いちおう説明しとくけど、冥界の満員っていうのは、僕の眷属が面倒みられる魂の数を超えてるって意味で、空間的な問題じゃないからね」
はー、とため息をつきながら言う。
「眷属増やせば面倒みられる魂の数は増えるけど、ねー。
寿命によらず死ぬ子が多いせいで、魂の傷がヒドくて。癒えるまで時間がかかるから、人界の戦争状態があんまり長く続くと冥界に魂がかたよる。
つまり力の均衡が崩れて世界が不安定になるってわけでさ。天界に君が生まれたことで今はもう安定してるけど、ちょっと前まで危なかったんだよ」
ふーむ、とうなずいて話を聞きながら、彩乃は冥王に訊く。
「今天界にいるのは“踏み止まれた”子たちだろうから大丈夫だと思うけど、問題は人界に行っちゃってる子だね。私が生まれたって気づいたら、自分で戻ってこないかな?」
「問題はそこなんだよねー。気づけば当然みんな戻るだろうけど、だいたい今まで人界にいるのって、戦いの楽しさを覚えちゃった子たちなわけでさ。たぶん君のために平和を保とうとする天界では、騒動の種になるよ」
「あー、戦闘狂な感じの。人界で戦いまくってた神族と魔族が天界で顔を合わせたら、「戦うな」っていうのは、まあ、従うだろうけど厳しいかなー」
「うんうん。シンちゃんにはそれをどうにかしてほしいんだ。天界の住人の魂は重たいし、傷を癒すのにも人界の住人より時間かかるから、面倒みるの大変なんだよ。まあ、苦労してるのはぼくじゃなくて眷属の子たちだけど」
ともかくこれ以上、寿命によらない死を迎えた天界の住人の魂を受け入れるのは困るんだ、と主張して冥王は説明を終えた。
彩乃はうなずいて答える。
「ありがとう、メイちゃん。とりあえず事情はわかったから、具体的にどうするか考えながら、今の天界の状況を神族と魔族の王に確認してみる。
できるだけ早めに対策を取るつもりではあるけど、その前に何かあったらまた教えてもらえる?」
「うん、いいよ。それじゃ、またねー」
冥王はひらりと手を振って、姿を消した。
少年の身に宿る巨大な力が深く、大地の底よりもなお暗いところへ沈んでいくのを感じて、彩乃はほっと息をつく。
終始フレンドリーで、それに流された彩乃もくだけた口調になって話をしていたが、彼は確かに冥王としての強大な力を持っている。
世界の主という点では同格の彩乃でさえ、冥王が去ったことに安堵の息をつくほどに。
彩乃はふと、あまり自覚はないが、他の者たちにとっては自分もそうなのだろうか、と思った。
“知識の水”が教えてくれたのは世界についての概要だけで、細かい部分は知らないままだ。
しかしそのことについて考えるのは後でいいだろう。
今はそれとは別に、大きな問題がある。
「戦いの楽しさを覚えちゃった子たちかー」
生まれたばかりというか、生まれ変わったばかりでこんな問題が降ってくるとは予想外だ。
けれど、今の彩乃にはそれに対応しなければならない義務がある。
天界の住人は、神魔帝となった彩乃にとって全員「ウチの子」であり、彼らの面倒を見るのが彼女の役目だから。
他の世界に迷惑をかけているとなれば見過ごせないし、天界に戻っても騒動の種になるのだとしたら、彼らにとって良い気晴らしとなる何かを与えなければならないだろう。
「気晴らし。ストレス発散になる何か。んー……」
天界に力を満たすため、食事も睡眠も必要ない神魔帝の体を玉座に置いたまま、彩乃はひとりつぶやきながら考えこんだ。