stage.02 少女皇帝、世界を知る。
天界、人界、冥界。
この三層から成る世界で、神魔帝は天界を統べる者として『皇帝の大樹』から生まれる。
彩乃は二代目で、先代は千年ほど前に世界を去った。
天界の住人は光属性の神族と、闇属性の魔族。
神族を統べるのは神竜の王で、魔族を統べるのはヴァンパイアの王。
彼らは基本的に仲が良くないのだが、ひとりの神魔帝に仕える、という一点をもって共存している。
人界の住人は獣と人の姿を合わせ持つ獣人たちで、いくつもの種族があるが、統べる王がいない。
昔は王たる証があり、それを受け継ぐことで獅子の一族が統治者として君臨していたのだが、ある時その証が破壊され、五つの破片となってしまった。
以降、破片を得た五つの種族が「我らこそ王である」と主張、現在まで続く戦乱の世となっている。
冥界の住人は天界と人界で死した魂で、統べるのは冥王。
死者の魂は静かに眠り、生きていた頃に受けた傷が完全に癒されると、またしかるべきところへ生まれる。
しかし世界の主が冥界に降りることはなく、先代の神魔帝も、かつて人界を統べた何人かの人王も、ここにはいない。
ちなみに善く生きた魂は善きところへ生まれ、邪に生きた魂は苦難のところへ生まれるが、その巡りから脱するほどの偉業を成し遂げた魂は神魔帝の一部となり、すべての苦しみから解放されると言われている。
しかし現在、すべての苦しみから解放されているはずの神魔帝二代目、彩乃は頭をかかえてうなっていた。
「死んだはずが死んでなくて、日本じゃないところに生まれ変わって、私が神と魔を統べる神魔帝? 意味わかんないし。なんでこんなことに?」
ほっぺたをつねったら普通に痛かったが、つねる手がいつもの自分のものではなく、白くちいさい綺麗な手だと気づいてますます混乱する。
黄金の杯を満たしていた甘く香るもの、“知識の水”を飲みほすことでこの世界については頭に入ったが、残念ながらそれは「なぜこうなったのか?」という疑問に答えてくれるものではなかったから。
しかも、ひとつの世界の主であり、神族と魔族の統治者として強大な力を手に入れたというのに、前世の世界への干渉については制限がかかっていてできない。
この世界の崩壊を防ぐため、神魔帝が他の世界へ干渉できないよう枷がはめられているのだ。
それは前世での家族に「私はここで生きてるよ」と伝えられないという意味で、彩乃は混乱すると同時に落ち込んだ。
けれどしばらく落ち込んで、悩んで、考えた後に結論する。
「考えてもわかんないことは、まあ、しょーがない」
もとから太平楽なのんびり屋なので、状況に流されるのはわりと得意な方である。
悲劇のヒロイン風に泣き叫ぶより、とりあえずは現状を受け入れて、まずはこの身に定められた義務を果たそうと考えたのだ。
彩乃は空になった黄金の杯を「ごちそーさまでした」と小机に戻し、起きあがって扉へと歩いていく。
白い葉の降り積もった浮島にぽつりとたたずむその扉は、ほんのわずかな凹凸もない完璧な鏡面で、とことこ歩いてきた少女の姿をひとすじの揺らぎもなく映した。
腰までとどく艶やかな髪は漆黒、切れ長の眼は黄金。
肌は透き通るように白くなめらかで、唇はふっくらとして紅い。
小柄で華奢な体つきに、飾り気のないローブのような丈の長いドレスをまとっている。
彩乃の真正面にある扉に映っているのは、八歳くらいの極上の美少女だった。
(うはー。美少女だ。未来の美人さん確実な美少女だ。……それなのに、なんでこの子の中身が私。残念すぎる。どなたか入れる魂の選択をお間違えじゃないですか)
彩乃は心の中で泣き、ひとしきり誰だかわからない相手に「ものすごく間違えてますよー」と話しかけ、返事のないそれに疲れるとため息をついて扉に触れる。
すると鏡面のような扉はその一瞬で消えて枠だけになり、向こう側には白亜の宮殿の、謁見の間が現れた。
枠のみの扉をくぐり抜け、彩乃は謁見の間の上座に立つ。
その三段下では、黄金の髪の青年と、漆黒の髪の青年がふかく頭を垂れてひざまずいていた。
「我らが主、天界のいと高き座の御方」
頭を垂れたまま黄金の髪の青年が言い、漆黒の髪の青年が続ける。
「心より、御生誕のお慶びを申し上げます」
黄金の髪の青年が神族の王たる神竜で、漆黒の髪の青年が魔族の王たるヴァンパイアだろう。
顔は見えずとも、二人が本気で歓喜していることが彩乃には伝わった。
世界の理の一部として神魔帝に仕える神族や魔族に、「上辺だけの敬意」や「反逆」などという言葉は存在しない。
彼らは呼吸することと等しく自然に神魔帝を敬愛し、従う。
(中身が私で申し訳ありません……)
声には出さずにしょんぼりつぶやいたが、この体で生きているからには自分が応じなければならないのだと理解している。
彩乃はうなずいて答えた。
「ありがとう」
二人の青年はより深く頭を垂れる。
彩乃は会ったばかりの相手をひざまずかせているという状況に罪悪感を覚えながら、はやく彼らを解放しようと後ろを振り向いた。
そこにはもう『皇帝の大樹』のところへ通じる扉はなく、ただひとつ玉座だけがある。
八歳くらいの子どもにちょうど良いサイズのそれへ彩乃が座れば、神魔帝の即位は完了だ。
『皇帝の大樹』があった浮島の真下にある、空飛ぶ宮殿の玉座から神魔帝の力があふれて世界に降りそそぎ、千年の統治者不在で力が枯渇しかけていた天界を満たして癒す。
彩乃は玉座の背にゆっくりと体を預けてまぶたを閉じ、神魔帝の力を浴びた天界の大地が歓喜し、神族と魔族の餓えが満たされていくのを感じて微笑んだ。
遠く、彼らの叫ぶ声が聞こえる。
―――――― 我らが主。偉大なる神魔帝陛下の御代に祝福を!
同時に、大地の底よりなお深いところから、何か巨大な力が動くのを感じた。
それが自分の方へ向かってくることに気づいて、微笑みが消える。
ぱちりとまぶたを開き、彩乃はいまだひざまずいたまま動かない青年達に言った。
「二人とも、下がって」
そこで初めて彼らが“動かない”のではなく、無制限解放状態な神魔帝の力のせいで“動けない”のだと気づいたが、遅かった。
何かが来る。
彩乃は硬直している臣下の二人を守るように透明な壁を作り、その向こうにいきなり現れた少年を見る。
彼は無邪気な笑顔で言った。
「やあ、神魔帝。千年前に成った実からようやく孵化しておめでとう! と挨拶をすませたところで、とりあえず問題発生してるから話聞いてくれる?」