ここにいる理由
翌日。
五式市全体が見渡せる最上階のホテルの廊下の窓から、片岡は朝日の光に照らされ始めた街並みを眺めていた。
「よう。早いな、哲也」
「おう、おはよう、こうやん。いやぁ、まさか俺までホテルに泊まらされるとは思ってないからさぁ。 こういう高級な雰囲気っての?俺、つくづく合わないわ。
昨日も眠れなくて困った、困った……」
「そうか?その割には、ずいぶんすっきりした顔してんじゃねぇか」
田中に声をかけられ、片岡は朝からいつもの調子でおどけていた。
田中はそんな片岡に呆れながら、片岡の隣に立ち、一緒になって外の街並みを眺めた。
「こうやんはお疲れのようだね。昨日あれだけ暴れたんだ。
そりゃ疲れるか。お互い歳だからねぇ……若いころと違って、昨日の疲れが翌日には取れないんだよねぇ」
片岡の言葉に、田中は、はぁとため息をつき、
「朝からブルーになるようなこと言うのやめてくれや。まじ落ち込むわ……」
「まぁ、仕方ない。嫌でも歳はとるもんだ……」
「ああ。本当にそう思うよ。俺も46歳だもんぁ。歳をとるわけだ」
「なのにあんな若い嫁さんか?いいねぇ、ほんと」
これには田中は片岡に何も言い返すことが出来ず、「いやぁ、うらやましいねぇ」と追い討ちをかけられた。
「うるせぇよ。お前のとこはどうなんだよ?」
「だからラブラブだって。でも、昨日こっちに泊まるって言ったら怒られた。
若い子の方がいいんでしょって。だから俺、こうやんじゃないって言っといた」
「だからうるせぇよって……」
途中まで言いかけてた田中が急に黙り込み、じっと片岡を見つめた。
「……なんだよ、こうやん……。俺、奥さんいる身だぞぉ」
「違うわ……」
苦笑いをしつつ、田中の瞳には若干の憂いの色が浮かんでいた。
「……ありがとうな。〔小早川〕さんよ……」
突然の田中の告白。片岡の目が一瞬見開かれ。すぐに寂しい微笑みを浮かべて
「なんだ。知ってたんだ……」とつぶやいた。
「俺もこの業界長いからな……。30年前の〔神々の消失<ラグナロク>〕の戦いで、本当の片岡が死んだのを、少ししてからだったが、知ったんだよ。
でもすぐに信じられなくて……な。あいつの遺体は見つからなかったというし、〔カズム〕になった様子もなかった。きっと生きてるんだって、淡い期待も持ち続けた。
それがある日突然元気な姿で、お前さんが俺の前に現れたんだ。
やっぱり生きてたんだって舞い上がったよ。
お前さんが〔公安6課〕の〔小早川修二〕さんだって知るまではな……」
田中の顔に笑みはなかった。が、片岡には苦渋の笑みが浮かんでいた。
「本当だったら、ここで種明かしって〔小早川〕の姿になるんだが……。
どうしてか、こうやんの前じゃ、嫌なんだよね。
だって、この体は〔片岡哲也〕のもんだからな……」
「どういう意味だ?」
険を帯びた田中の視線が、片岡に突き刺さった。それでも片岡の笑みは消えることがなかった。
「俺たち〔公安6課〕の正体は〔ヒトモドキ〕だよ、こうやん。
あんたも一度は聞いたことあるだろう?
臨終間際の遺体に、なんかの拍子で〔ミュトス〕の一部が入り込んじまう〔同化〕っていう現象をさ。普通は2~3日の間にその意識体は消滅する。
己じゃない肉体で、意識体としての存在エネルギーを無駄に使っちまうからな。
でも中には、その肉体との相性がいいらしく、ずっと居残っちまうやつが出てくる。
それを〔ヒトモドキ〕っていうのさ。
そういうやつらは、変な能力を持ち合わせててな。
他人の容姿、能力、記憶なんかをコピーして、その他人になりきっちまうことが出来るんだ。
ただし、俺の場合は男だけに限られる。すごいやつだと、性別が関係ないとか、人以外のものになるやつまでいるんだぜ。
ただし、一度でその人物になり切っていられる限界もある。
個人差だが、俺の場合は1週間ってところだ。
でも、〔片岡哲也〕に関しては、どういうわけか、ずっとでもいられるんだなこれが。
俺にとってはそうとう居心地がいいらしい……」
「片岡はどこで死んでいたんだ……?」
田中は落ち着いた口調で尋ねた。
「静岡本部の近くの山ん中だ。詳しいことは俺も覚えてない。
〔ヒトモドキ〕の特徴のひとつに、〔ミュトス〕だったときの記憶とか、その前はなんだったのかとい う記憶はほとんどないんだよ。残念ながら。
それに、〔同化〕直後もね。
ただし……その宿主である、肉体の持ち主だったやつが、死ぬ間際、なにを考えていたかなんてのは、鮮明に覚えてる。まぁ、〔残留思念〕ってやつだがね。
っていうか、俺はそれをあんたに伝えたくて、今、ここにいるんだし……。
でも居心地良くてさ。それにあんたとバカやってんのが楽しくて、つい本当のことを言いそびれて、 こんな歳になっちまったけど……ごめんな、こうやん」
片岡は深々と頭を下げた。
「そうか……じゃぁ、いつまでも言うな。哲也」
「はっ?」
田中のつぶやきに、信じられない様子で片岡が顔を上げた。
「言うなって言ったんだ。聞こえなかったか?それとも、とうとう耳まで遠くなったのか、お前は?」
「こ……」
「今はお前さんが〔片岡哲也〕なんだろ?んじゃ、それでいいじゃないか。
俺はあんまり細かいことがわからないから、お前が哲也ならそれでいいさ。
そう思わないか?てっちゃん……」
田中の笑み。中学……いや、子供のころからまるで変わらない、いたずらっ子のような笑顔。いつも見てきた悪友の、哲也が大好きで、何かを期待させる浩二の笑み。「片岡哲也」の記憶は、そう伝えてきている。
片岡は一度深く瞳を閉じて……ゆっくりと深呼吸をし、顔を上げ、目を開けた。
そして浩二を見つめると、いつもの哲也のおどけた笑みを称えた。
「そう……だな、こうやん」
初菜はホテルではなく、検査を兼ねて〔神奈備〕内に泊まっていた。
〔ミュトス〕に狙われたこともあり、念を入れての処置だった。
朝早くから、希空や田中が〔神奈備〕に訪れ、初菜の様子を見に来ていた。
初菜は元気な様子で仲間を出迎えた。
「おれがついてるんだぞ。元気に決まってんだろう」
と、綾香は朝から不機嫌そうに、悪態をついていたが。
「しっかし……田中もまぁ。若い娘に手を出して……」
にやにやと笑いつつ綾香に突っ込まれ、視線を合わせず、あははと田中は終始乾いた笑いで対応していた。
昨日の戦いは、新たな脅威となったことに間違いはなかった。
特定の〔浄化者〕を、〔カズム〕ではない〔ミュトス〕が、白昼堂々と襲うことなど、ほとんど記録がない出来事だった。
そしてそのために、狙った〔浄化者〕の身内が〔ミュトス〕に殺されたこと。
それも、〔地球〕の仕業に仕立て上げるような、手の込んだ策を講じてきていること。
今までのやり方ではない、〔ミュトス〕もまた、生き残るための手段を考えていることには間違いないと、証明されているようなものだった。
〔霊長意識集合体〕自体が、そのような〔知識〕を身につけている。と。
〔カタルシス〕もまた、新たな岐路に立たされている。そんな戦いとなった。
初菜はその戦いを自分なりによく考えてみた。
考えたが、答えは導き出せないままだった。
そうして今、自分が出来ることは……「精一杯生きる努力をする」ことだと思うようになっていた。それが〔浄化〕という「選択肢」だとしても。
そうした思いの変化の中で、初菜は仲間たちを迎えていた。
自分を心配し、様子を見に来てくれた希空に、初菜は近づきこう切り出した。
「希空にずっとお願いしたかったんだ……」
「なに?」
希空は少し首をかしげ、初菜の言葉を待った。
「私のことは「初菜」って呼んでよ。
私もずっと「希空」って呼んでるんだから。私たち親友でしょ?」
「うん……初菜」
希空は屈託のない笑みで、初菜を呼んだ。
「……やっと言えた……」
初菜は潤んだ瞳で、希空を見つめた。
ずっと気になっていた、本当に些細なこと。
でもそれが、とても重要で初菜にとっては気になっていたこと。
ようやくここで、叶えることが出来た。そんな安堵感があった。
「ねぇ、初菜。あたしからひとつ提案があるんだけど……」
希空も気になっていたことがあったようで、真剣な面持ちで初菜に話しかけた。
「うん?」
「田中さんとの結婚報告……一度栗里のお母さんのところに帰って、報告したらどうだろう?」
「……えっ?」
初菜の表情がみるみる変化した。
希空はそれでも初菜に続けた。
「あたしは結婚するとか、そんな報告をする人は、家族ではお姉ちゃんしかいないけど。
初菜は報告するべきお母さんがいるなら……するべきじゃないかって思うんだ」
初菜は不安げな顔で田中を見た。
「俺も希空ちゃんの言うとおりだと思う。会ってもらえなくてもいいじゃないか。
これはひとつのけじめだしな」
田中の笑顔も、初菜の勇気を後押しする。
「……うん。そうだね」
初菜はしっかりと頷いた。
「ねぇ、希空。私からもいい?」
「なに?」
「今度、五式の街を色々案内してよ。私、来たばかりでよくわからないから……」
「えぇ。あたしも来たばっかで、まだよくわからないよ」
「知ってるところだけでもいいよ。田中さんと新居構えるんだって、色々知っておかないと困るでしょ?」
「そうだけどぉ。もっと知ってる人の方がいいじゃん」
「私は希空がいいの。だって、希空もいつかは役立つでしょ?色々と……」
「なに?その色々とって?」
初菜と希空は惚気としか言えない会話を交わしていた。
が、その表情は昨日からは比べ物にならないほど、生き生きとし、とても楽しそうだった。
「いやぁ。奥さん同士。いいねぇ、こうやんに、倭くん」
ほとんど嫌味だろう片岡の言葉に、田中は「俺は別に」と答え、倭は「まぁ、仲がいいのは、いいことじゃないですか?」と相変わらず、涼しい顔をしていた。
初菜は希空との言い合いにひと段落つくと、〔神奈備〕の中を見回した。
満開の桜の下。
それは12月ではありえない風景。
ちらちらと舞う桜の花びらは、初菜にここが〔現世〕ではないことを告げていた。それでも。ここが〔日常〕ではない場所でも。
初菜が手にした「なにか」は、間違いなく「今」を生きる初菜のものだった。
なんかそれだけでいい気がしていた。
自分が存在することで、犠牲になった人たちがいた。
しかし自分が存在していることを、喜んでくれる人たちがいることも間違いない。
「今」を自分が精一杯生き抜くことが、その人たちへの恩返しになるように思うのは、自己満足なのだろうが……。
それでも。自分の意思で「ここ」にいることが、いつか答えをくれる気がしていた。
「今」はそれでいいと、初菜は思えるようになっていた……
了
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました!!
2ヶ月、ようやくここまでたどり着きました。
「ピュリファイア」のお話で、この物語は序章にあたります。
次回、もっと精進して、もっと面白い物語をお見せできればと思います。
本当にありがとうございました!!