狙われた浄化者
希空、倭、勝海の3人は、マンションの地下駐車場へと降り、倭の車へ向かった。
倭がキーを取り出し、車のドアを開けようとしたときだった。
この気配はっ!!希空たちの背後から放たれ、貫くように走り抜けた悪寒。
希空と倭が一斉に振り返り、いきなりの2人の行動に、勝海もつられて振り向いた。
「こんちわーっ!!」
上下スエット。ひどくラフな姿の20代前後の男が、笑顔で3人に挨拶をした。
「……小松健太郎……」
驚愕で目を見開き、ありえない光景に開いた口が塞がらないまま、勝海がつぶやいた。
希空が瞬時にトランス状態となり、男……小松健太郎に向かおうとすると、倭に力強く抱きとめられた。
「倭さんっ!!」
「希空さんは駄目です。今は黙って見ててください」
でも、と言いかけるが、口も倭の手で塞がれてしまった。
「うわぁ。仲がいいっすね。気持ち悪いぐらいにぃ」
小松の笑顔が崩れることはなく、それがあまりにも不快で不気味に感じた。
「ずいぶんと手の込んだことしてるじゃないか?お前たちは〔カズム〕か?」
「うーん。どうでしょう?どうなんでしょうねぇ?」
倭の問いに、小松は体を左右にわざとらしく振りながら、おどけて見せた。
〔カズム〕。
それは〔B〕ランク以上の〔浄化者〕が、〔ミュトス〕に取り込まれた存在のことを言う。
〔浄化者〕の〔生命エネルギー〕が高すぎるため、〔ミュトス〕は一度に吸収出来ず、本人を取り込み、序々にエネルギーを吸い取りながら、次に獲物を探しにその〔浄化者〕だった存在を利用し、しばらくは生かし続ける。
精神を〔ミュトス〕に蝕まれ、生ける屍となっている〔カズム〕は、今の小松のように、こんな形で出現することが多い。
〔ミュトス〕の出現は主に夜。
しかし〔カズム〕には出現時間は関係ない。もっとも恐れるべき「敵」と言えた。
利用する〔ミュトス〕も、その人間の知能をも貰い受け、人と変わらぬ策略で罠に嵌めようと暗躍するのである。
しかし小松健太郎は〔C〕ランクだったはず。
〔ミュトス〕がどんな理由で〔彼〕を生かしているのか?
と、倭は考えて、あえてあんな質問をしてみた。
「たしか千歳希空さんは、〔歪み〕のせいでまだ全力は無理なんですよねぇ。
ひとりはカスだし。さぁ、どうしましょ?茉莉倭さん……」
一歩、小松が踏み出した。
「お前みたいなやつに名前を呼ばれると、吐き気がするな……」
左手で希空を抱き、倭は右手を自分の顔の正面まで持っていった。
刹那。勝海が小松に対して、まるで銃を向けるように自身の右手を水平に差し出した。
「なんだよ、カスが……」
小松が言いかけて。
パン、パン。と、銃の発射音のような音が駐車場に響いた。
「……あれ?」
小松が自分の腹をみると、2cm程度の穴が2つ。淡い光に包まれて小松の腹に開いていた。
パン、パン、パン、パン。今度は4発。
勝海は躊躇することなく、拳銃を小松に向けていた。
が、警察官として所持している本当の銃ではない。
右手に握られているのは、光輝いた「銃」の形をしているものだった。
小松は額、心臓、首、右の腹、計4発。穴を追加していた。
-あれぇ……-
くぐもった声。「小松健太郎」だったものが序々に崩れ、6つの穴からは、黒い液体がどろどろと流れ出している。
パン、パン……。今度はどれほど勝海が撃ったのかわからないほど、音が何度も響いていた。
跡形もない。僅かな白い煙が数秒間上がっていたが、それも消滅した。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
勝海が肩で大きく息をしていた。
「……お前……」
倭が唖然と勝海を見た。希空も声を出すことが出来ず、勝海の行動を瞠目している。
「な……なにが起こったんですかね?今のは……?」
汗が噴出し、ひどく疲れた様子で勝海は倭たちに振り向いた。
倭はふっと笑顔を浮かべた。
「……お前は昔から、本当にいきなり何するかわからないやつだったけど。
よくわかったんじゃないか?お前が知りたがってた、それが〔浄化者〕だよ」
「……はいぃ?」
それも、〔結界〕外で能力を発現できる〔能力発現者〕。
今の能力じゃ〔B+〕を超えているかもしれない……。本当にこいつは。
倭は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「な、なんで?今、俺、水晶なんか……あ」
勝海は信じられない様子で言いかけたが、自分があの母親から預かった水晶を持っていたことを思い出した。
「……勝海。悪いがリリアガーデンに急ごう。ここに小松健太郎がいたとなれば、武藤隆がいることは間違いないだろう」
「りょ、了解です」
勝海は状況を受け入れられないままだったが、今は緊急時だったことを思い出し、素直に倭に頷いた。
「倭さん……」
倭はなにかを言いかけた希空をぎゅっと抱きしめ、そのまま助手席に押し込んだ。
そして運転席に乗り込むと、エンジンをかけ、車を急発進させた。
驚く希空と勝海を無視して、倭はタイヤが悲鳴をあげる中、スタントマンそのままのドライビングテクニックで、地下駐車場を走り抜けた。
田中は一人、リリアガーデンの中を走り回っていた。
桜梨から連絡を受け、会社を飛び出した田中は、リリアガーデンに向かった
その直後、希空から小松健太郎に襲われたという連絡をもらい、嫌な予感で押しつぶされそうな精神状態を振り払い、建物の中を人にぶつかりそうになりながら走っていた。
「そうかぁ。そんなことがあったんじゃ、普通、ヘコむな……」
隆が腕を組み、初菜の話のあと、うーんと考え込んでいた。
そのしぐさが初菜には嬉しかった。共感してくれる人もいるんだ。
希空を守ると言っておきながら、結局は逃げ出すことしか考えられなくなっていた、自分。
許されるものじゃないと思い込んでいたから。
隆は「全然、変じゃない。普通はそう思うよな」と、今まで初菜の知っている隆と変わることなく、初菜を安心させてくれた。
田中とは違う、隆の対応。これもまた、初菜にとっては安心と癒しをくれる、大事な仲間だった。
「なぁ、初菜ちゃん。……よかったら俺たちと一緒に来ないか?」
しばしの沈黙のあと。隆が口を開いた。
「……えっ?」
「組織からこんな目にあっている俺が、言える対場じゃないことはわかってるけど……。
初菜ちゃんをこのままにしておけないよ。
あいつらは初菜ちゃんを完全に「駒」としてしか見てないもんな。
希空ちゃんっていう親友は〔S〕ランクだろ?
そっちの方がはるかに大事に決まっているだろうし。
今の立場の違いだって……。君が希空ちゃんだったら、こんなところに放置なんかしてないぜ、きっと……」
「そんなこと……ないよ」
そこまで考えはしていなかった。が、隆は「初菜ちゃん、人良すぎ」と笑顔で呟いた。
「前にさ。初菜ちゃんに出会ったころ、コクったことあったじゃん。
まぁ、断られたけど。今でも、俺の気持ちは変わってないし。
いや。今の方が断然好きかも。……守るからさ。俺が……」
隆から急に真顔でそんなこと言われて。
初菜は戸惑いながら、頭の中では田中の顔が浮かんでいた。
たしかに隆や健太郎の真実は伝えて貰えなかったが、田中が自分をそこまで欺いているとは思えなかったし、思いたくもなかった。
「まだ……田中さんや片岡さんのこと信じたい?君の親友である希空ちゃんを信じたいかな?ま、それが初菜ちゃんのいいところなんだけど」
隆はにっこりと初菜に微笑んだ。
「……隆くんや健太郎くんがお世話になってるっていうのかな?その人はどういうことしてる人なの?」
初菜は訊くことを躊躇っていたが、思い切って尋ねてみた。
「〔浄化者〕だよ。以前は組織にいたけど、裏切られて抜けて、今の俺たちと同じような目にあって。 でも、そんな連中を集めて、小さいけどグループを作ってさ。
組織とは違う方法で〔浄化〕をしながら活動してる。
でも、その人の考えは、〔浄化者〕の活動がメインのような組織と違って、〔人〕としての本来の生活をしながら、その傍らで〔使命〕を果たしていくっていうことを、基本理念にしてる。だから、組織に利用されてボロボロになった人たちなんかは、ここで人としての生活を思い出して、活き活きやってるよ。
俺たちはけして〔地球〕の奴隷ではないからね」
初菜の疲れた心に染み透るような、隆の言葉だった。
「小さいけどさ。すっげぇアットホームなところで。
みんな組織からはじき出された連中ばっかだから。みんな、何が辛いかよくわかってるし。
俺もずいぶんよくしてもらった。だからこんなに明るくしてられるんだけど。
健太郎も今じゃすっかり馴染んでる。
初菜ちゃんだったらかわいいから、すぐ人気者になっちまうだろうなぁ」
笑顔のまましみじみと語る隆の横顔に、初菜はいつしか魅入られていた。
2ヶ月前とは大違いの隆の様子に、初菜はそこがどんなところか見てみたい気持ちが出てきた。
「私も……」
「おうっ。俺がそばにいるからさ。ずっといるから……。1人ぼっちなんてするわけないし。怖がる必要はない。
組織だけが選択肢ってわけじゃないだってことを、みんなが知るにもいい機会かもしれないぜ」
「……うん」
初菜が小さく返事をした。そのとき。
「初菜ちゃんっ!!そいつから離れるんだっ!!!」
田中の声が辺りに響いた。
当然、周りにいた客は何事かと田中を見ている。
間髪いれず、田中は〔結界〕を張り巡らし、周囲から遮断した。
「田中さんっ!!」
初菜はベンチから立ち上がった。隣の隆もゆっくりと立ち上がり、田中を睨みつけた。
「初菜ちゃん。隆も健太郎も、もうこの世にはいないんだ。そいつは〔ミュトス〕が作り上げた〔人形〕なんだよっ!!」
いつもの田中からは、想像も出来ないほどの真剣は顔だった。
初菜たちの方へ歩み寄りながら、説明を続けた。
「そいつの言うことは隆の言葉じゃない。〔ミュトス〕からの誘惑なんだ。聞かなくていいことなんだよ」
「なっ、初菜ちゃん。こうやってあいつらは、組織に縛りつけて利用することしか考えてないんだぜ」
隆が初菜に耳打ちをした。
初菜は田中と隆を交互に見ながら、混乱している様子を見せていた。
「隆モドキ。健太郎モドキは倭たちが倒したぞ。
ずいぶんと手の込んだことしてるな?誰の指示だ?」
「はぁ?よく言いますね。
俺たちを死んだことにしておいて、今度は〔ミュトス〕扱いかよ。
どこまで汚いんだかね」
呆れたように肩を竦めた隆に、数メートルあけて田中が対峙した。
「初菜ちゃんを返してもらおうか。俺の大事な人なんでね」
田中が冷静に隆に言い放つ。初菜は「えっ」と声を上げた。
「大事な人」って……。
「あのね。初菜ちゃんは、今、これから俺と一緒にいてくれるって約束したばっかなんですよ。何年越しに実らせたもんをあんたに渡すわけないだろうが……」
「……どうしても隆に成りきるわけか……。
そう言ってる中身は、あの化けもんかと思うと虫唾が走るぜ」
信じられないような田中の迫力に、初菜は視線を外すことが出来なかった。
それは自分のために、必死になっていてくれているということなのか。と。
「帰ろう、初菜ちゃん。1人にして悪かったね。
希空ちゃんも心配して今、ここに向かってる。
みんな君が大好きで、とっても大事なんだよ……。
ずっと希空ちゃんを心配してきた君と同じように、俺も希空ちゃんも、君がとっても大事なんだ」
「……娘ですもんね」
説得している田中に、初菜はぽつりとつぶやいた。
「あのね……こんなところで言うことか?」
「そ、そうですけど。なんか私を取り合いしてるみたいだし……」
みたいじゃないんだけど。田中は言いかけて、急におかしくなった。
そうだよ。これが初菜ちゃんなんだよな。そう思うと笑いが止まらなくなった。
「た……田中さん?」
「なにがおかしいんだよっ!!」
驚く初菜の後ろから、隆が苛立たしそうに叫んだ。
「なにって……。お前が本当の隆だったら、これが「春夏秋冬初菜」の魅力のひとつだと、すぐにわかるはずなんだがな。初菜ちゃんはこういう子なんだよ。
だから俺は初菜ちゃんが大好きなんだ。娘なんてもんじゃない。
一生をかけて支えていきたいと思える、大切な女性なんだ」
「田中さん……」
思いがけない田中からの告白だった。
田中を見つめていた初菜は、ふいに聞こえた「どん」という音で振り向き、隆が音とともに不自然に背中から突き上げられ、4回ほどリズミカルに揺れたのを見た。
「初菜さん、今だっ!!離れてっ!!」
隆の背後から、息を切らした神楽と尚哉が立っていた。
隆の瞳は白目を向き、小刻みにがくがくと震えながら、口からは血が滴り始めた。
その背中から、白い煙のようなものがふわりと立ち上り始める。
次の瞬間。初菜の中で、悪寒が駆け巡った。
これは〔ミュトス〕だ。本能が初菜に告げた。
2.3歩と隆から離れようとしたとき、腹部に激しい痛みが走り、初菜が下を見ると
隆の右手が初菜の腹にめり込んでいた。
-……逃がすかよ……-
形を辛うじて「武藤隆」の姿を留めたいたが、声はすでに隆のものではなかった。
ごふっと、初菜の口の中いっぱいに鉄の味が込み上げ、我慢しきれずに思わず吐き出した。
それは大量の、初菜の血そのものだった。
「初菜ぁっ!!」
初菜は遠のく意識の中、自分を呼ぶ田中の絶叫がかすかに聞こえていた。