いるべき場所
初菜はリリアガーデンの中庭にある、緑に囲まれた庭園のベンチに座っていた。
巨大なショッピングモール内に数箇所。外へ通ずるドアから、こうした憩いの場を目的とした庭園がいくつか設けられていた。
初菜の目の前にあるオープンカフェもパラソルを広げて、良いにおいを漂わせていた。
今日は比較的暖かい日で、日が差す昼間は例え冬場でも、こうしたパラソルの下で寛ぐ客の姿が目に付いた。
初菜はそんな場所から離れたベンチで、ひとり時間を持て余していた。
田中より、今日は休むようにと昨日連絡をもらい、仕事に出かけた桜梨の部屋にはいる事も出来ず、自身の家にも帰れずに、こうして時間を潰すしかなかった。
怖くて希空の家にも行かれなかった。
自分がいなくても、希空はいつの間にかパートナーと深い絆で結ばれて、恋人と呼べる相手と一緒に暮らし、家族のような仲間たちに囲まれて……。
今の自分は希空や田中がいなければ、知っている相手など皆無の土地である。
これからそんな場所で。昨日のような戦いの中で。
自分は過ごしていかなければならない。
「絶対、無理!!」と言いたい。でも言ったところで、栗里の家に戻っても、〔根源体〕のような化け物を呼び寄せてしまうらしい。
八方ふさがり。四面楚歌。国語は苦手な方だったが、そんな言葉が浮かんできた。
結構知ってるじゃん。自分。
そんな言い訳はただ空しいだけだった。
「そんなとこで、なにいじけてるの?らしくないじゃん……」
初菜が信じられないという表情で顔を上げた。
「……隆くん?」
死んだと伝えられていた。その武藤隆が今、初菜の目の前に笑顔で立っていた。
「あ。まさか、俺、死んだことにされてる?
昨日、高校んときの友達にもそんな顔されたよ。そうか。俺、〔カタルシス〕から、完全に抹殺されてるわけね」
初菜の知っている隆だった。苦笑いをしながら、今の状況を戸惑いつつ受け入れてるようにも感じられた。
「どうして?」
「んっ。組織を抜けたいって言い張ったら、この「扱い」だよ。
そういうとこさ。〔カタルシス〕ってとこはね。
俺と健太郎をこういう目に合わせて、組織に逆らわないように当てつけされたのさ。
組織を抜けたっていう人から話は聞いていたけど、本当にここまでされると思わなかった」
「〔地球〕に……」
「あぁ。組織を抜けても、〔浄化〕の仕事さえやれば〔咎〕を受けることはないさ。
ひどいのは組織の方だよ。組織からすれば、俺たちなんていう存在は簡単に抹殺出来るわけ。俺たちはある人から、そんなことを教えてもらっていたんだ。
それを組織に話したらこういう目にあった……」
「……そんな」
初菜は体の振るえが止まらなかった。
昨日、田中は隆と健太郎は〔地球〕からの〔罰〕を受けて、死んだと言っていた。
それが嘘だったなんて……。
「……初菜ちゃん。田中さんと片岡さんも「組織」の人間だ。
信じないほうがいい。信じれば信じるほど、利用されるだけなんだ。
今の俺がいい例でしょ?」
隆が初菜の隣に腰掛けた。
「なにがあったんだよ?初菜ちゃんがそんな顔してるときは、絶対なんか失敗したときだよね。話聞くぜ。俺に話してみな」
隆の優しい笑顔。初菜は思い切って、昨日の出来事を話し始めた。
勝海は五式駅に着くと、もう一度倭の携帯に連絡をとってみた。が、かからない。
今度は視点を変えて、大学時代に散々かけていた、馴染みの倭の携帯番号へ数年ぶりに連絡を試みた。
{もしもし?}
出たっ!!おいおい。俺の考えすぎだったのかっ!?
「倭先輩、お久しぶりです。小林です」
{……勝海だろ。知ってるよ}
相変わらず、人の気持ちを逆なでするのがうまい人だ……。
勝海は気をとりなおして、話し始めた。
「至急の用事なんです。さき程遠野先輩に会ってきました。
先輩に訊きたいことがありまして……」
{……わかった。今、どこだ?}
勝海の話を遮って、倭が尋ねてきた。
「今、五式駅の西口です」
{今すぐ行く。車で迎えにいくから、そのまま待ってろ}
「わかりました。お待ちして……」
すでに電話は切れていた。
本当にこの人は……。自分の中に沸き立つ黒い感情を抑えつつ、勝海は駅前で待つことにした。
「誰からなんです?」
ともに家にいた希空が倭に尋ねた。
いつもの倭の口調ではなかった。驚くほど乱暴で。しかし、親しい友人との会話のようにも聞こえた。
「……希空さん。これか俺の知り合いを駅まで迎えに、一緒に行きましょう」
「いいんですか?あたしは家で待って……」
倭は希空の手を取ると、玄関へと歩き出した。
「弱っている愛しい人を1人で置いていけるほど……俺はそこまで無責任な男じゃないですよ」
「俺」なんて言い方は久しぶりに聞いた。そういえば携帯でもそんな言い方をしていた。
希空は自分の頬が熱くなることを感じながら、倭に手を引かれ、玄関へと向かった。
「そりゃ、驚きますよ……」
倭の自宅に着き、もてなしの茶を用意され、愕然とした表情で勝海は一言つぶやいた。
高校時代、陸上部に所属していた勝海は、2年下の……100m競技中学女子の日本記録保持者として名をはせ、おまけにとびきりの美少女と噂の高かった後輩に一目ぼれをし、自分の卒業前に告白したことがあった。
何人もの連中が告白したが、誰一人付き合うまでに至らなかった。
特定の彼氏でもいるのかと言えば、そういうわけでもない。
勝海もまた、インターハイで同じ100m競技で優勝という経歴を持つ。
けしてもてないわけではなかった。
が、これほど自分の心を動かした女子はいなかった。
告白の結果はみごと惨敗。
理由は、「あたしには将来約束した人がいるんです」という信じられないものだった。
その本人が「千歳希空」であり、その「将来約束した人」が茉莉倭という事実だった。
「でも、小林先輩が、倭さんの大学の後輩だったなんて……」
驚く希空を、勝海はちらりと見た。
あのころから比べて、千歳は余計に綺麗になった。一層女らしさだけじゃない、魅力もさらに増している。
あーあ。なんかすげぇ悔しい。と、勝海は思った。
「ま、事実だ。あきらめろ」
だから……。人の気持ちを逆なですることが本当に上手なお人だ。先輩は。
希空はそんな倭を驚いた表情で見ていた。
「本当に倭さんがそんな話し方するなんて……」
「こいつにだけです。こいつは大学時代からの俺の「下僕」ですからね」
押さえ込んでいた黒い感情が、巨大化していく。
が、自分は今25歳だ。大人になったんだ。と、勝海は感情を無理やり押さえ込んだ。
「〔カタルシス〕のことは遠野先輩からお伺いしました。
俺としては俄かに信じがたいことですが……。まず、遠野先輩の話が事実かどうかを教えてください」
「あぁ。事実だ」
あっさりと。倭は認めた。
脱力感に苛まれながら、勝海は次の質問をした。
「次に。一昨日、東京都足立区アヤセ管内で「一酸化炭素中毒」をおこしたとして、3人の男性が亡くなっています。俺は最初、この事件の担当となりました。
今は〔公安6課〕がこの事件を事故として発表しました。
ですが今の事実から、この3人の男性は〔地球〕に〔罰〕を受けて死んだということなんですね?」
「……よく調べたな。その通りだ」
今度は倭が目を見開き、感心したように答えた。
「ですが、武藤隆、小松健太郎の2名は水晶を持っていた。が、高幡茂に関しては、彼の部屋から、水晶はまったく見つかっていないんです……」
がたぁ。倭は座っていたソファから立ち上がり、希空は驚愕の表情で勝海を見た。
「もうひとつ確認です。
昨日、実はこの近くのリリアガーデンで、武藤隆の目撃情報があるんです。
本人の高校の友人という人物からの連絡だったので、単なる嘘とは思えない……」
ここで、倭がひどく狼狽した。右手で額を押さえ「しまった」と呟いた。
ウーウーウー。
突然、希空の携帯のバイブが鳴った。
相手は「竹森桜梨」と表示されていた。
「桜梨さん?」
{希空ちゃん?
悪いけど、私の家に行って、初菜ちゃんがいるかどうか見てきてもらえないかな?
何度、初菜ちゃんの携帯や家にかけても出ないのよ……}
返す言葉もなく、希空が携帯を持ったまま動きを止めた。
倭が慌てて希空の携帯を奪い取った。
「桜梨。どうしたんですか?」
しばしやりとりをしていた倭が携帯を切った。
「倭さん……。これって……」
悪い予感。そんな思いを抱き、希空は顔いっぱいに不安を訴えていた。
倭は「借ります」と希空の携帯から、あるところへ連絡をした。
「はい?」
休み時間最中に、尚哉の携帯に、希空から珍しく連絡が入った。
尚哉は一瞬驚いた表情をみせたが、みるみるその顔は険を帯び、真剣なものへと変化した。
「尚哉……」
普通の連絡ではないことは、近くにいた神楽にもわかった。
「倭さんからだ。
初菜さんが行方不明らしい。それに昨日、死んだはずの武藤隆がリリアガーデンで目撃されたそうだ……」
「……じゃ、今すぐ……」
経緯を聞いていた神楽が、すぐに反応した。
「和にはあとで連絡するそうだ。俺たちはとにかくリリアガーデンに向かう」
「うんっ!!」
2人は「具合が悪い」とクラスメイトに声をかけ、全力疾走であっという間に校舎から消えていた。
「俺たちもとりあえずリリアガーデンに向かいましょう」
倭が希空に声をかけた。
「はいっ」
不安に支配されていたが、希空は振り払うように倭に返事をした。
「俺も……」
「あぁ、お前も頼むっ」
「了解っ」
倭は勝海にも言葉短く促すと、勝海はまるでなれた行為のように、笑顔で頷いた。