○○令嬢に憧れて
「ねえ。私って、なになに令嬢だと思う?」
唐突な主の問いに、侍女のアニーは「は?」と怪訝な顔をする。
使用人として決して褒められた態度ではないが、お互いいつもこんなふうだから何とも思わない。
アニーは私のお昼寝の準備を整えつつ、さらりと問い返した。
「なになに令嬢とは?」
「なになに令嬢はなになに令嬢よ。その令嬢を一言で表す特別な呼び名。語呂がいい四文字の言葉を、『令嬢』の前に付けるのが一般的かしらね」
「伯爵令嬢じゃダメなんですか? しゃを一音と考えれば語呂もいいですけど」
「それはただの身分でしょ? そうじゃなくて、私だけの特別な呼び方がほしいのよ。そうねえ。たとえば、家族に虐げられていた悲しい令嬢なら、その境遇を表したり。美しい令嬢なら、花や宝石にたとえたり」
「そんな小説でも読んだんですか?」
「ええ。前世でね」
「前世?」と訝しげに問われ、私ははっと口をつぐむ。
なぜなら、私は流行りの転生者だからだ。
恵まれない家庭環境で育った元日本人の私は、早くに自立しがむしゃらに働いた……末、二十代という若さで呆気なく過労死した。
そして驚くことに、前世でよく読んでいた、中世ヨーロッパふうの世界に転生したのだ。
十七年間この世界で生きてきて思うに、私は面倒くさそうな悪役令嬢でも、いい子ぶらなきゃいけないヒロインでもなさそうだ。ただ裕福な伯爵家の末娘として、家族に愛され平和に暮らしているのは、苦労した前世のご褒美なのかもしれない。
ひとつだけ不満があるとすれば、私を表す呼び名がないことだけだった。
せっかく中世ヨーロッパふうの世界に転生したのだから、ただの『エレノア伯爵令嬢』じゃなくて、大好きだったロマンス小説みたいに、○○令嬢と呼ばれてみたい。
ふとそんな願望を口にしてしまったというわけだ。
「ううん! ええとね……前世でも小説でもなくて……あっ、お芝居だったかしら? とにかく、なになに令嬢が素敵で、前からいいなあと思っていたの。だから、私にピッタリの素敵な呼び名を付けてくれない?」
「うーん、そうですねえ。お嬢様はご家族から鬱陶しいほど愛されていますから、虐げられ系のせつない呼び名は無理ですね」
「そう。では、容姿を表す呼び名は?」
「うーん、そうですねえ。お嬢様は特別美人でも不細工でもありませんし、いたって普通……あ、人並み令嬢なんていかがです? ちょうど四文字ですし」
「いやよそんなの。少しも面白くないわ」
「そうですか? 面白さを求めるのでしたら……爆睡令嬢なんていかがです? お嬢様、いつもあくびばかりしていて眠そうですし、お昼寝が大好きでしょう?」
「いやよ。○び太じゃあるまいし」
「ノビタ?」
「いえ、忘れて。うーん……じゃあね、お題をあげるわ。花! 花で何か考えてちょうだい」
「花ですか? ……あ、アロエ令嬢なんていかがです? お嬢様、アロエがお好きじゃありませんか。『前世のばあちゃん家を思い出す』って」
「そうねえ。確かにアロエは好きだけと、たとえられるのはなんかいやだわ。トゲトゲでぬめぬめだし、それに三文字じゃない」
「そんなに文字数にこだわります? 奇数が嫌なら、二文字か六文字は?」
「ダメ。四文字じゃないと、しっくりこないの。二文字じゃ短いし、六文字は長すぎる」
アニーは、面倒くさいから早く寝てしまえというように枕を叩くが、私は諦めない。
「とにかくねえ、文字数も大事だけど、そもそもなんか違うのよ。面白いってそういうことじゃなくて……ほら、ロマンチックでドラマチックな物語が始まるような! そんな唯一無二の呼び名がほしいの」
私は立ち上がり、アニーの前でくるりと回ってみせた。
「さあ! 何かない? 私にピッタリの素敵な呼び名が!」
アニーはじっと私を見て、右に左に首を傾げた後、ぽんと手を叩いた。
「そうですわ! 私なんかよりも、ラピス様に決めていただいては? 詩や小説もお好きですし、何より王宮勤めの文官長様でいらっしゃいますもの」
ラピス様──
そうね、そうだわ。どうして気付かなかったのかしら。
私は頷き、にっこりと笑った。
ラピス・オルドリッジ様は私の婚約者である。由緒ある侯爵家の次男で、文官として王宮に勤めている。大変ご優秀で人望も厚く、まだ二十四歳とお若いのに文官長に任命されたほどの方だ。
七つも歳の差があるが、決して私を子ども扱いすることはなく、どんなに忙しくても毎週必ず会いに来て想いを伝えてくださる紳士だ。
ラピス様なら、きっと素敵な呼び名を付けてくださるはず。ちょうど今日のお茶の時間に、会うお約束をしているし──
「さあ! そうと決まれば、早くお昼寝して早く起きて綺麗にお支度しませんと」
アニーは、わくわくする私をベッドに押し込み、赤ちゃんにするみたいにぽんぽんとお腹を叩いて寝かしつけた。
◇
「なになに令嬢か。僕の婚約者は、またずい分と可愛ら……楽しいことを思い付くんだね」
そう言いながら優しい笑みを浮かべるラピス様に、私はティーカップを持つ手も止めて、うっとりと見惚れてしまう。
「四文字でロマンチックでドラマチック。なかなか難問だな」
「そうなんです! アニーにも考えてもらったのですが、これという呼び名に出会えなくて」
「うーん、そうだなあ……」
ラピス様の美しい瞳に見つめられ、ドクリと胸が跳ねる。どんな素敵な呼び名を聴かせてもらえるのだろうかと、優雅な唇が開くのを待った。
やがて、破壊力抜群の呼び名が、麗しい微笑とともに放たれる。
「……『溺愛令嬢』じゃダメか? 四文字だし」
くうっ!
ダメじゃない!
──と叫ぶ寸前で、私は思い留まった。
「溺愛令嬢だと、どちらが溺愛しているのかわかりません。ヒーロー……いえ、ラピス様が私を溺愛してくださっているのか、それとも私がラピス様を溺愛しているのか」
するとラピス様は、ティーカップを軽やかに持ち上げこう言った。
「それは困ったな。愛を量る天秤なんてないし。互いが持ち得る溢れんばかりの愛で、互いの器を満たしている。それだけじゃダメか?」
くうっ!
ダメじゃない!
──と叫ぶ寸前で、私は理性を取り戻した。
「そうですね……仰るように、愛には重さも形もないので、呼び名にするには不安定で不確かだと思うのです」
「うん、そうだね。愛は奥深くて難解だからな。……では、ときめき令嬢なんてどうだろうか?」
「ときめき、ですか?」
「うん。ロマンチックでドラマチックな何かが期待できそうじゃないか? 明るくてハッピーエンドの香りもするし」
「はい、とっても素敵です! でも、何だか某ゲームや漫画っぽくて、目新しさを感じません」
「マンガ?」
「いえ、忘れてください。それではここで、ラピス様にもお題を一つ。……宝石! 宝石で呼び名を考えていただけませんか?」
「わかった。考えてみよう。では、僕によく顔を見せて」
ラピス様の美しい瞳が、私の人並みな瞳を覗き込む。
……わかったわ。きっと瞳の色から宝石にたとえてくださるおつもりね。茶色みたいな薄茶みたいな平凡な色だけど、どんな宝石になるのかしら……と、ドキドキしながら視線を受け止めていたけれど、恥ずかしくなってギュッと目を瞑ってしまった。
「ダメだよ、ちゃんと開けて」
甘い声でそう囁かれ、頬が熱くなってしまう。
──無理。こんなだらしのない顔を見られたくないわと、私は目を瞑ったまま、ぶんぶんと首を振る。
そんな私に、ラピス様はくすりと笑い、歌うように言った。
「そうだなあ。今のエレノアの顔色を宝石にたとえるなら、ルビー令嬢かな。三文字だけど」
瞳じゃなくてそっち!?
てか私、そんな赤い顔してるの!?
恥ずかしすぎて顔を手で覆うも、なめらかな手につっと剥がされてしまった。
わわっ! いつの間にこんな近くに!
すぐ傍に跪いているラピス様に気付き、私は動揺する。
彼は胸ポケットから光る何かを取り出すと、私の右手を取り、薬指にそっと嵌めた。
「わあ……綺麗」
「ブラウンダイヤモンド。君の瞳と同じ色の石を選んだんだ」
私の胸は激しく高鳴る。今までラピス様からはたくさんのアクセサリーをいただいてきたが、指輪は初めてだったからだ。
「私にくださるのですか?」
「うん、もちろん。婚約指輪だよ」
きゃああ!!
叫んで飛び跳ねたい気持ちをなんとか抑え、私は淑女らしく静かにラピス様と向かい合った。
「ありがとうございます。大切にいたします」
「私もエレノア嬢を生涯大切にいたします。結婚する日が楽しみですね」
幸せな私の薬指に、熱いキスを落とすラピス様は、尊すぎて王子様そのものだ。
私は息も絶え絶えに、声を振り絞った。
「もう、ブラウンダイヤモンド令嬢でいいです……私」
王子様な彼はどこへやら、ラピス様は突然、いたずらっ子のように噴き出した。
「ぶふっ! ふっ……ごめん。嬉しいけど、あんまり可愛くないかな。君には最高の呼び名を贈りたいから、じっくり考えてもいい?」
「はい。じっくりゆっくり考えてください。待つ時間も、なかなか楽しいものですもの」
午後の陽にキラキラと輝くブラウンダイヤに、婚礼の日を思い浮かべる。妄想に浸っているうちに、私はもう呼び名のことなどすっかり忘れてしまった。
◇◇◇
それから一年後、私たちは結婚し夫婦になった。
素敵すぎる旦那様にキャアキャアと悶える幸せな日々の中で、私はあることを思い出した。
──そういえば、私の呼び名はどうなったのかしら?
王宮から帰宅された旦那様にさっそく訊いてみると、こんな答えが返ってきた。
「困ったな。悩んでいる間に、君は『令嬢』ではなく『夫人』になってしまった」
「まあ! どうしましょう。なになに令嬢に憧れていたのに」
「なになに夫人ではダメか?」
「そうですねえ。『夫人』に合う、素敵な○○があればいいのですが」
「そのまま『オルドリッジ夫人』ではダメなのか? 」
くうっ!
ダメじゃない!
何度も呼ばれて、旦那様の妻だということを噛み締めたい!
──と叫ぶ寸前で、私は我に返った。
「大変光栄な呼び名ですが、そのまますぎて面白みがありませんわ」
「そうか。うーん、では『可愛い夫人』は?」
クラヴァットを外したばかりの、緩いシャツ姿の旦那様に抱き締められ、私の全身はじんと痺れる。
カッカと熱い顔で旦那様を見上げ、できるだけ『夫人』らしく上品に答えた。
「なんでしょう。あの……その……そちらも大変光栄な呼び名ですが、いまいちインパクトに欠ける気がして」
「そうかなあ。結婚してもずっと可愛い君には、ピッタリの呼び名だと思うが」
くうっ!
ダメ!
そんなこと言われたら蕩けちゃうってば!
──と叫ぶ寸前で、私は平静を装った。
「二人きりの時にいくらでも呼んでくださいな。他に何かありませんか?」
「そうだなあ……では『茹でダコ夫人』は? 『ルビー令嬢』より真っ赤っかだし」
熱い頬をふにっとつままれ、私は沸騰しそうになる。上品なオルドリッジ夫人であることをつい忘れて、令嬢時代のように声を荒らげてしまった。
「いやですわ! そんなの! ロマンチックでもドラマチックでもないじゃないですかあ! タコ、不細工だし!」
「そうかなあ。これ以上のインパクトはないと思うんだが」
「インパクトがありすぎです! それに、『夫人』には三文字の方が語呂がいいので、せめて『ルビー夫人』にしてください。……ねえ! 聞いてます? ちょっと!』
アハハと声を上げて笑い転げる旦那様を、私はふくれっ面でくすぐり続けた。
◆◆◆
「──そんなわけでね、呼び名が決まるまでには、まだ当分時間がかかりそうなの。そのうち『夫人』じゃなくて、『婆さん』になってしまうんじゃないかしら」
また唐突に可笑しなことを言い出すお嬢様……いえ、可愛い奥様に、私は笑いを堪える。
「呼び名ですか。そういえば以前そんなことを仰っていましたね。まだ決まっていなかったんですか?」
「ええ。そうなの。私ったら、旦那様にお願いしたくせに、今日まですっかり忘れていて」
「私もですよ。奥様は常に新鮮なネタを提供してくださるので、古いネタはすぐに忘れてしまって。……うーん、そうですねえ。いっそ『婆さん』になってしまえば、どんな呼び名でもしっくりくると思いますよ。『人並み婆さん』『爆睡婆さん』『アロエ婆さん』」
「あら、ほんと! どれも悪くないわ。『婆さん』が強いのね、きっと」
「はい。『ばばあ』ならさらに……いえ、忘れてください」
焦げ茶の髪を艶々になるまでとかして差し上げると、奥様は旦那様の待つ寝室へルンルンと向かった。
後片付けをしながら、私は考える。
侍女である自分にも、何かいい呼び名はないかしらと。
『氷の侍女』『白薔薇侍女』『真珠美女』……
てへっ! 間違えちゃった☆
主と使用人、それぞれの夜は、こうして今日も幸せに更けていくのだった。
ありがとうございました。




