「よーし、準備しよー!」
「あっ! 佳奈ちゃん、写真撮ろー!」
「ん、いいよ」
いよいよ迎えたキャンプ当日。
『はじめよっか、バルコニーでキャンプ!』と高らかに宣言した美愛は、隣にいる私と頬がくっつきそうなほど身体を寄せ合うと、スマホを高く掲げた。
私の肩に回された手がピースしていたので、私も合わせて胸の前でピースしておく。
「よーし、準備しよー!」
写真を撮った美愛は張り切った様子で、バルコニーに面した部屋へと靴を脱いで掃き出し窓から入っていく。
普段客間として使われているその部屋には、今日のキャンプで使う予定の道具を固めて置いてあった。
バルコニーがある三階にはその部屋と廊下を挟んでもう一部屋あって、そのどちらもがバルコニーに通じている。
南向きなので日当たりが抜群に良く、そこそこの広さがある長方形のバルコニー。
その際に設置されている手すりは柵になっているから、その隙間から外の景色も見れて開放感もある。
そんなバルコニーは小学生のときに家族でのバーべキューで何度か使ったくらいで、高校生になった今、私が普段立ち入ることはなかった。
けれど、こうしてバルコニーに出てみると居心地が良かった。季節が秋で過ごしやすい、っていうこともあるかもしれないけど。周囲に遮るものがないので、いい風も吹いているし。
「佳奈ちゃーん! あたしテント張るから、そっちはよろしくねー!」
「はいはい、気を付けてね」
やたらテンションの高い美愛が、コンパクトに収納されたテントを手にもう一つの部屋の前へ移動していく。
長袖のシャツにサロペットスカート、長い髪を一つにまとめて垂らし、頭にはキャップ――というアウトドア仕様の服装(対して私は、半袖シャツにジーンズというラフな格好だ)をした美愛の後ろ姿を不安げに見る。
一人でちゃんとテントが張れるんだろうかと心配になるけど、買ったテントは設営が簡単なタイプ(ポップアップテントというらしい)なので、たぶん大丈夫。
「えーっと、シートは敷いたから、次はテントを袋から取り出して、広げて……」
美愛が『かわいい!』と言っていた白い三角テントは買わなかった――いや、買えなかった。
そのテントを買うと予算がオーバーしてしまうから。リサイクルショップに同じものはなく、形が似通ったものはあったけれど美愛的にそれは『かわいくなかった』らしい。
結局、そのテントは美愛がちゃんとしたキャンプができるようになるまで買わないでおくことになった。
「わわっ、勝手に広がった……! こ、これでいいんだよね……?」
代わりに買ったのが、美愛が今設営しようとしているドーム形のテントだった。広さは二人で寝られる程度はあるけど、高さはあの三角のテントよりは低く、中で立つことはできない。
設営が簡単で簡素な造りになっていて、テントの壁にあたる部分のシートは少し薄い。
その分、価格は安くなっていて――たぶん、美愛がこのテントにしたのはそれが決め手だった。
私も一緒にキャンプをすると決めた以上、二人が一緒に使うもの、特にテントには私もお金を出すつもりだった。
でも、美愛は私にあまりお金を出させたくなかったみたいで、なるべく安いものにしようとした。
最初は今広げているテントよりもっと安いテントにしようとしていたのだけど、さすがにシートがスケスケすぎて止めた。
「あとは手でちゃんと広げて……あっ、テントの向き決めなきゃだ。どっちがいいかな……」
独り言を言いながら作業する美愛に心の中でエールを送って、こっちはこっちでやることをしよう、と部屋に入る。
私に任されたのは椅子とテーブルを並べるだけだから、そんなに難しいことじゃない。
ただ、その前に――私はバルコニーに敷くためのシートを手に取った。
バルコニーは父曰くメンテナンスはしているし老朽化もしてないらしいけれど、屋根がなく吹きさらしのため、汚れだけはどうしようもなかった。
そのままだとせっかくのキャンプ道具が汚れてしまうし、それに常に何か履いてないといけない。せっかくの家でできるキャンプなんだから、もうちょっと楽に過ごしたい。
そう思ったから何か敷くことは決めていて、当初はレジャーシートを敷くつもりだった。
けれど、今私が手にしたシート――人工芝のシート、これなら足も汚れないし、クッション性もあるし、何より見た目がキャンプっぽい。ホームセンターで見つけたときは「これだ!」と閃きが走ったくらいだ。
人工芝のシートを敷いて、靴を脱いでその上にあがる。
それから、リサイクルショップで散々座って選び抜いた椅子を収納袋から取り出す。
あの女店員さんに教わったことを思い出して組み立ててみる。椅子の脚となるパイプを繋ぎ(パイプ同士が繋がっているので簡単だ)、あとは座面となるシートにあるポケットに、パイプを突っ込んでいくだけ。
できあがったものに試しに座ってみる。座面が低く、身体を包み込むような座り心地の椅子。変ながたつきもなく、安定感がある。うん、ちゃんと組み立てられてる。
同じものをもう一つ組み立て(私がこれに決めたら、美愛が「お揃いにする!」と言って同じものにした)、間を空けて並べる。向きは当然、バルコニーからの景色を眺められる方へ。
そして椅子と椅子の間に、椅子と高さを合わせた折り畳みのコンパクトなテーブルを置いて、私の仕事は終わり。
美愛の方はどうなったかな、と見れば――
「……あとはこの……っ……ロープを手すりに……ぐぎぎっ……!」
私がいる方へとテントの入り口を向けて、バルコニーの幅とほぼ同じサイズのテントができあがっていた。ギリギリだ。ちゃんとバルコニーのサイズを測ってからテント買いに行ってよかった。
美愛はテントを固定するためのロープを手すりに結ぼうとしているところだった。ピン、とロープを張らないと危ないから、がんばって力をこめてロープを引っ張っているみたいだけど、力のない美愛には結構しんどそうだった。
いつもなら手伝うところだけど、テントを一人で張ってみたい、と言ったのは美愛だ。もうちょっとがんばってもらうことにする。どうしても無理そうなら手伝うけど。
まだお昼ご飯を食べていなくてお腹が空いているけど、お昼ご飯は美愛が作ってくれるらしいので、テントを張り終えるまで待っていなくちゃいけない。
先に飲み物でも準備しようとテーブルの上にカセットコンロを置き、銀色のケトルにミネラルウォーターを注ぎ入れて火にかける。
湯が沸くまでに、と私は銀色の筒を取り出した。てっぺんにハンドルがあるそれは、アウトドア用の手挽きコーヒーミルだ。
美愛と一緒にテントを見にホームセンターへ行ったあの日見つけたこのコーヒーミル。私がキャンプをやってみてもいいかな、と思ったのはこれが理由の一つでもあった。
コーヒー好きの私は普段、コーヒーショップで買った豆をその場で挽いてもらっている。それはそれでおいしいのだけど、自分で豆を挽いて淹れることにも憧れがあった。
ただ、そこまで行ってしまったら、今よりもっとコーヒー沼に嵌ってしまうかもしれない、と自重していた。今ですら、私のお小遣いのほとんどはコーヒーに消えているのに。
けれど、アウトドア用のコーヒーミルを見たとき、こう思ってしまった――自分で豆を挽いて外で飲むコーヒーは絶対においしい、って。
キャンプだけ、キャンプのときだけ。
そう心に誓って、私はそのコーヒーミルを買ってしまった。
コーヒーミルのハンドルとフタを外して、筒にコーヒー豆を入れる。豆は私のお気に入りのマンデリン。酸味が抑えめで苦味が強いコーヒー。
そうしたらハンドルを戻して、ゴリゴリと挽いていく。コーヒーミルには豆の挽き具合を調整するツマミがあるけど、美愛が飲むことも考えて中挽きにしておく。
ハンドルを一定速度でゆっくりと回していると、コーヒーのいい香りがしてきた。コーヒー好きには気分が落ち着く香り。
やがて、ハンドルを回す感触が軽くなり、音も変わってきた。
最後まで挽ききるとダメらしいので、これくらいでいいのかな、とミルからフィルターをセットしたドリッパーへコーヒーを移す――おぉ、ちゃんと粉になってる。
カップの上にドリッパーを載せて、そしてそこへ、沸いたお湯を少しだけ注ぐ。お湯がかかったコーヒー粉が膨らむ。
そうやって蒸らしたら、あとは『の』の字を書くようにゆっくりと少しずつお湯を注いでいって――あとは抽出を待てばできあがりだ。
ドリッパーを外してカップを手に持ち、まずは湯気立つコーヒーの香りを嗅ぐ。挽いていたときよりも濃厚な香り。この香りだけでカフェインが摂取できてる気がする。
カップに口をつけてずずっ、と啜る。熱い。けれど――口の中に広がる重厚な苦味がおいしい。
挽きたてはやはり、いつもと違う味がした。外で飲んでいる、というシチュエーションのせいもあるかもしれないけど。
コーヒーカップを手に椅子に深く座って、バルコニーからの景色を眺める。
見えるのは畑と田んぼと住宅。決してきれいな景色ではないけれど、見慣れたそれらがバルコニーから見るとまた違って見えた。なんかいい。
「あー! 佳奈ちゃん一人でなんか飲んでるー!」
そうやって一人でまったりしていると、ようやくテント設営を終えたのか、美愛がこっちにやってきた。
その身体越しにテントを見れば、ロープでの固定もちゃんとできて、テントが完成していた。あとは寝る前に布団を運び入れるだけだ。
一人でテント設営はさすがに疲れたのか、美愛は椅子に座って足を投げ出す。
「テント、お疲れさま。美愛も飲む? コーヒーだけど」
「……牛乳と砂糖いっぱい入れてくれるなら」
「アイスとホット、どっちがいい?」
「アイス!」
コーヒーが苦手な美愛の予想通りの答えに、私は苦笑を漏らす。
美愛の分のコーヒーを抽出して、カップを手に私は立ち上がった。
家でのキャンプなので冷蔵庫は使えるからクーラーボックスは用意しておらず、冷たいものが必要なときは一階にあるキッチンまで行かなくちゃならない。
美愛の分の飲み物を作るために、私はキッチンへと向かった。