「――ふぃ~、あっちぃ~……」
「――ふぃ~、あっちぃ~……」
なんて言いながら、お風呂に入っていた美愛が部屋に戻ってくる。
季節は秋、十月。陽が沈むと暑さも和らぐとはいえ、さすがにお風呂上がりはまだ暑く、美愛はショートパンツにキャミソールという格好だった。髪はまだ乾いておらず、肩にはタオルが掛かっている。
先にお風呂に入らせてもらった私はすでにパジャマを着ていた。特に可愛げもない、普通のパジャマ。
ローテーブルで勉強をしていた私の隣に、美愛はすとん、と腰を下ろした。
隣に来た時点で、何を言われるかは想像がついた。持っていたシャーペンを置く。
美愛はにへら、とやわらかい笑みを浮かべ甘えた声で、
「佳奈ちゃん佳奈ちゃん。今日もしてほしいな~……だめ?」
「ん、いいよ。持ってきて」
「わーい、ありがと! ……ごめんね、勉強してたのに」
「休憩したかったし、気にしないで」
私の許可を取った美愛がうれしそうに、部屋の隅にある棚からカゴを持ってくる。その中にはドライヤーやコーム、ブラシに、ヘアミルクやオイル――つまり、髪をケアするための道具が入っていた。
コンセントを挿したドライヤーを「はい!」と美愛が私に手渡して、背中を向けて座った。私がやりやすいように少し首を傾けてくれる。
美愛の髪を手に取る。タオルドライはしてあるみたいで半乾きだった。その髪をジャンボコームで優しくブラッシングしていく。くすぐったいのか、時たま美愛から声が漏れる。
乾かす前にヘアミルクを手に取って、髪に塗っていく。
塗りすぎないように気を付けながら塗り終え、ドライヤーのスイッチをオン。ジャンボコームで梳かしながら、髪の根本から先端へと温風を当てて乾かしていく。
その間、美愛は黙って私にされるがままだ。髪は女の命、というけれど、美愛ほどのよく手入れされている綺麗な髪を好きに触らせるなんて、信頼されてるなぁ、と思う。
――こうして、お泊りのときに、お風呂上がりの美愛の髪を乾かすのはいつものことだった。
どうしてだか、美愛は私にしてもらうとうれしいらしい。自分でした方が早いしうまいだろうに。
けれど私としても、美愛の長くて綺麗な髪に触れるのは楽しいので、美愛が頼んできたときに断ったことはない。
私の髪はちょっとくせっ毛で、伸ばしても美愛みたいに綺麗に伸びずに途中でハネてしまう。だから美愛の髪に憧れてるっていう気持ちもある。
大体乾いたかな、というところでロールブラシに持ち替えてブローしていく。
ブローのあと冷風で髪を少し冷まして、最後にヘアオイルを塗って完了。全てが終わった美愛の髪は羨ましくなるほどツヤツヤでサラサラ。
すでに何回もしているおかげで、我ながら手慣れたものだと思う。
もっとも、美愛の髪は長いので、手慣れていても単純に時間がかかるんだけど。これを毎日している美愛のことを尊敬する。私なら、途中でめんどくさくなって髪を短くしそう。美愛のような長くて綺麗な髪は羨ましいとは思うけれど、それはそれ。
「――はい、終わったよ」
「ありがとー、佳奈ちゃん」
振り向いてうれしそうに「えへへ」と笑みを浮かべる美愛。振り向いた拍子に髪がふわっと広がって、今塗ったばかりのヘアオイルのいい香りが漂ってくる。
美愛はヘアケア用の道具を片付けると、テーブルの対面に座った。隣に戻ってくると思っていたのに。しかもあろうことか、シャーぺンを手に持つと自発的に問題集を開いた。
テスト勉強のために美愛の家に泊まったとき、これまではお風呂に入ったらもう一切勉強をしなかったのに。まさかの行動に私が目を丸くしていると、
「佳奈ちゃん、どうしたの? 変な顔してるけど」
「……美愛が自分から勉強しようとしてるのに感動してた」
「もー、なにそれ。あたしだってやるときはやるんだよ? この中間テストが終わったらキャンプだし!」
なるほど、と私は思う。ご褒美が目の前にぶら下がっているからか。
これからはテストが終わったらご褒美をあげる方針にした方が良さそう。いつもはテストが終わったあと、普通に遊びに行くくらいしかしてなかったし。もうちょっと甘やかしてあげた方がいいのかもしれない。
「この辛く苦しいテスト勉強とテストを乗り越えればキャンプ……! そう思ったらやる気が湧いてくるんだよね」
「……いつもはあんなにやる気がないのに……この子ったら……成長したのね……!」
「ちょ、ちょっと、子供扱いやめてもらえます~?」
およよ、と目元に手をやって泣くふりをしてみると、美愛が頬を膨らませて怒る。
けれどそれも長く続かず――どちらからともなく、笑いがこぼれた。
「じゃあ寝る時間まで勉強しよっか」と、私も途中だった勉強を再開しようとテーブルの前に座ったそのとき、美愛がぽつりと。
「……それにね、やっぱり佳奈ちゃんと同じ大学に行きたいから」
いつになく真剣な声音だったので茶化すことはせず、私は「うん」と返事をするだけにした。
*****
「――佳奈ちゃん、起きてる……?」
暗い部屋の中、隣のベッドで寝ているはずの美愛から、確かめるような声が聞こえてきた。
「起きてるよ」と返事をしつつ、あれかな、と声をかけてきた見当をつける。
しかし、待てども美愛からの言葉はない。
それもいつものことだったので、私は美愛の言葉をそれ以上待たず、枕を持って床に敷かれた布団から美愛のベッドへと移った。
枕を並べてもぞもぞと、美愛と同じ布団に入る。私が来ることがわかっていたのか、美愛は私の分のスペースを開けて、自分はベッドがくっつている壁際へと寄っていた。
美愛の方をを向いて寝て、同じくこちらを向いて寝ている美愛の顔を見る。
真っ暗では寝れない美愛のために点いている常夜灯のおかげで、ぼんやりとだけどその表情を見ることができた。うれしそう。
「え、えへへ、ありがと」
「『一緒に寝よう』くらい、言ってくれたらいいのに」
「は、恥ずかしいんだよぉ……」
普段『手を繋ぎたい』だの『なでてほしい』だの『ぎゅーってしてほしい』だの言うくせに『一緒に寝たい』というおねだりだけは、美愛はなかなか言えなかった。
同性だし、別に何するでもなし、そんなに恥ずかしいことかな? と私は思う。もしかしたら一人で寝られない子供みたいで恥ずかしいのかもしれない。
美愛が身を寄せてくる。受け止めて、その背中に手を回す。
美愛の髪からいい香りがして、まるで私の方こそ包まれているような気分になる。
昼の暑さが和らぐ十月の夜。美愛の体温は心地良かった。
「……美愛ちゃん……いつもありがと……」
一緒に寝て早々、眠たそうな声になった美愛が囁く。
返事の代わりに背中をなでてあげると、少しして規則正しい寝息が聞こえてきた。寝つきがよくて羨ましい。
眠っている美愛の顔を見る。
まだあどけなさの残る、かわいい顔。
『ありがとう』と言いたいのは私の方だ。
今こうして穏やかな気持ちで高校生活を送れているのは、美愛がいてくれたから。
中学三年生のときにクラスで孤立していた私を、転校してきた美愛が救ってくれたからだ。
昔から一人でいることは苦ではなかったけれど、それでも、美愛がいなければきっと私は潰れていた。
「――私の方こそ、ありがとう。美愛」
美愛を抱きしめたまま、その温かさを感じながら、私も目を閉じた。