「コーヒーをブラックで飲んでるの、大人っぽくてかっこいいなって」
「は~、もう疲れたぁ……休憩しようよぉ佳奈ちゃーん……」
力が抜けた声でそんなことを言いながら、私の対面に座っている美愛が机に突っ伏す。
その様子をちらり、と上目遣いで確認しつつ、私はため息交じりに、
「さっき休憩してから、まだ三十分しか経ってないでしょ」
「三十分も頑張ったんだよぉ」
勉強となると集中力が続かない美愛は、とにかく休憩したがる癖があった。
こうなった美愛が、もう勉強に身が入らないことは過去の経験から嫌と言うほど知っている。
仕方なく、私は持っていたシャーペンを置いた。
「十分だけね」と美愛に言って、スマホでタイマーを起動する。計っておかないとそのままダラダラしかねない。
「やった!」と喜ぶ美愛は立ち上がると「飲みもの取ってくるね」と部屋を出ていった。
私も休憩することにして、白くてひんやりするラグに手を突き姿勢を崩して、部屋の中を見回す。
ピンクと白色を基調にした家具や小物、それにぬいぐるみも多い美愛の部屋。しかもいい匂いもする。ものが少なくて無骨な私の部屋とは大違いだ。
そんな部屋の中央に置かれたローテーブルで、私と美愛はテスト勉強をしていた。
今日は土曜日なのでこのまま美愛の家にお泊りをして、明日の夕方までみっちり勉強する――予定。
一学期の期末テストのときは渋る美愛を甘やかしてしまって、赤点(うちの学校の場合はクラス平均点÷2だ)ギリギリというひどい点数だったので、今回は心を鬼にしなければ。
何をするでもなくぼーっとして頭を休めていると、美愛が戻ってきた。その手にはトレー、上にはストローが刺さった細長いグラスが二つ載っている。
「はい、佳奈ちゃん」
「ありがと」
私の前にコースターを敷いてグラスを置いてくれる。中身は氷と黒褐色の液体――コーヒーだ。
美愛の分は対面に置くと思いきや、私のグラスの隣に置いた。中に入っている液体の色は私のものと違って、白に近い茶色。カフェオレなんだろうけど、コーヒー成分がほとんどない。もはやミルク。
テーブルにグラスを置いた美愛は対面には座らずに、私のすぐ隣に腰を下ろした。
「ペットボトルのだから、いつも飲んでるのよりおいしくないかもだけど……ごめんね」
「ううん、気にしないで」
私がコーヒー好きということを知っている美愛が申し訳なさそうに言う。
確かに家ではお店で挽いてもらった豆でコーヒーを淹れているけど、それは私の唯一の趣味みたいなもので、別にペットボトルのコーヒーをダメだとか言うつもりはない。
グラスを手に取ってストローを吸う。口の中にコーヒー特有の苦く香ばしい風味が広がる。
十月に入ったとはいえ日中はまだ暑く、キンキンに冷えたアイスコーヒーは心地よかった。勉強で疲れた身体と頭が癒されていく。
もっとも暑いとはいえ、部屋に二面ある窓は開けられていて、そこから秋らしい涼しげな風は入ってきているので過ごしやすくはある。
「……佳奈ちゃんはブラック飲めていいなぁ」
グラスをテーブルに戻すと、隣の美愛がぽつりとそう漏らした。その手には私が飲んでいたものとは色が全く違う液体が入ったグラスがある。
羨ましそうなその呟きに、私は苦笑を返す。
「いきなりどうしたの?」
「コーヒーをブラックで飲んでるの、大人っぽくてかっこいいなって」
「……あの、別にかっこつけて飲んでるわけじゃないからね?」
「わ、わかってるよ。でも、あたしは砂糖とかミルクをいっぱい入れないと飲めないし……子供っぽいなーって」
「そんなことないって。コーヒーの飲み方なんて、自分がおいしく飲めるのが一番大事なんだから」
「……ほんと? こうやってコーヒー飲んでるの、子供っぽくて微笑ましいなーとかかわいいなーとか思ってない?」
「思ってない思ってない。むしろ美愛がブラック飲んでる方が、かっこつけてるみたいに見えてそう思うかも」
「えー、なんでー⁉」
私の返事を聞いて、美愛が不服そうに頬を膨らませた。
「ごめんごめん」となだめようとしてその頭をなでる。つやつやできれいな髪のさらさらとした感触が手に伝わってくると同時に、桃のような甘い香りが鼻をかすめた。
でも、そう思うのはしょうがないと思う。
小柄な美愛は、その幼めな顔つきも相まって年相応に見られることがほとんどない。
背が高めな私と一緒に出かけて手を繋いでいると、身長差も相まって姉妹に間違われるくらいだ。
個人的には服装もその一因だと思っているけれど、今日のような襟と袖に白いフリルがあしらわれた七分袖の黒いワンピースという、ガーリー系のファッションは美愛の好みだ。
だからそれを指摘するわけにもいかないし、そもそも美愛のそういったかわいい格好が私は好きだった。私には絶対に似合わない服装だから。
今日だって私は、デニムのショートパンツにシャツというラフな格好だし。
美愛は私のことをよく『大人っぽくてかっこいい』って言ってくれるけど、私からしたら美愛の方が『かわいい女の子』で羨ましく思う。
結局はないものねだりなんだろうけど、だからこそ、その相手に惹かれるのかもしれない。
しばらくなでて、もういいかな、と思ってなでるのをやめたら「……もっとしてほしい」とおねだりされる。その声にはもう不機嫌そうな色はなく、むしろ甘えてくるような声音だった。
返事をする代わりに続けてなでてあげたら「ん……」と、喉を鳴らした美愛が私に寄りかかってきた。
美愛の身体が触れている部分が、じんわりと温かくなる。美愛の髪のいい香りが近づいたことにより一層強くなる。
美愛がこうしたスキンシップを求めてくるようになったのは、高校に入ってからだった。
手を繋いだり、腕を組んだり、頭をなでたり、ハグしたり。
どうして求めてくるようになったのか、その理由はわからない。
でも、他でもない美愛からのおねだりなので、特に拒む理由もなかった私はそれに応えていた。もっとも、まだ言われたことはないけれど『キスして』なんて言われたらちょっと考えるかもしれない。
――そのとき、テーブルに置いてあったスマホが鳴った。
音が大きくてびっくりしたのか美愛が身体をビクッとさせて、そのことがなでている手や身体の触れている部分から伝わってくる。
そのアラームを合図に、私は美愛から手と身体を離した。
美愛とスキンシップを取るのは嫌じゃないし、普段なら美愛が満足するまで続けるけれど、今はテスト勉強中だ。メリハリはつけなきゃいけない。美愛の成績のためにも。
「はい、休憩終わり。勉強しよっか」
「……うん」
ぐずるかと思いきや、意外にも美愛は素直に言うことを聞いた。テーブルの対面へと移動して、シャーペンを手に取る。
先ほどまでのだらけた様子はどこへやら、姿勢はしゃんとしていて表情も真剣そのもの。こっちにもそのやる気が伝わってくるほどだ。
なにが美愛のスイッチを入れたのかわからないけれど、勉強のやる気が出たなら良かった。
そう安堵して、私もシャーペンを手に取った。
――その後、私が止めるまで美愛は勉強を続けたのだった。