「持ち上げてから落とすなんて、ひどいよ佳奈ちゃん!」
「う~ん、なんか手はないのかな……」
夜。
自室に戻った私は、椅子に深く腰掛けてそうひとりごちた。
さっきまで来週から始まる中間テストの勉強をしていて、集中力が切れたから休憩しようとコーヒーを淹れてきたところだった。嗅ぎ慣れた、コーヒーの香ばしい香りでホッと落ち着く。
ズズッ、と熱いコーヒーを啜って、スマホを手に取りキャンプについて調べてみる。
美愛がしてみたいという『キャンプ』をどうにかさせてあげたかった。
そう強く思うのは、美愛に恩返しがしたいからだ。美愛に私は救われたから。
それに、私も少しキャンプに興味が沸いてきた。美愛と一緒にならキャンプをしてみたいとさえ思う。
しかし、今の私にはキャンプに対する知識が足りない。
なにか手を考えるにせよ、情報収集が必要だった。
キャンプに関するサイトを開いてはざっと流し読みをしていく。
私と美愛がキャンプをするにあたって。ネックの一つはキャンプ道具の価格の高さだった。
今日のホームセンターでの金額を見る限り、道具を揃えるお金は私にも美愛にもない。
もっとも、今日一緒に入ったテントのように二人で共用できるものもあるはず。それに今ざっと調べてみた限りではフリマアプリに中古品が出品されていたりするので、それを買えば費用は抑えられるかもしれない。
もう一つのネックは――というかこれが最大のネックなのだけど――美愛の外泊が難しいことだ。
私の家に泊まることすら許可をもらえるのにだいぶ時間がかかったらしいし、泊まるときにもその日に私のお母さんと話さなければならない、なんていう条件まである。
外泊を快く思っていないことは明らかで、何度か来ている私の家ならともかくキャンプ場に泊まることを許してくれるとは到底思えない。
ただ不思議なのは、私が美愛の家に泊まりに行くのはむしろ歓迎されることだ。
美愛の親はあくまでも外泊に対してだけ厳しいらしい。
以前に一度、どうしてなのか美愛に訊いてみたことはあるけれど答えを濁された。
美愛にしては珍しい態度だったので踏み込んではいけない気がして、それからは尋ねていない。過保護なんだな、と思うことにしている。
うちの家族か、もしくは美愛の家族と一緒にキャンプをする。という手もある。
それなら大丈夫じゃないかな、と思わなくもない。
けれど、美愛がしたいのはそういう家族キャンプではない気がする。
「うーん……何かいい手は……デイキャンプは違う、って言ってたしなぁ……」
デイキャンプでは『夜空の下でごはんを食べる』『朝日が昇るのを眺める』という美愛の願いを叶えられない。
前者ならどうにかならないかな、と思ってキャンプ場を調べてみるも、デイキャンプの利用時間は夕方や日没までといったところばかりだった。
それでも、諦めきれず調べていると――
「――ん? なにこれ。ベランピング……?」
『キャンプ』のことを調べていたはずが『ベランピング』という謎の単語が出てきた。
気になってそのサイトを開いてみると。
「――これだ!」
そのサイトには、今私が求めていることが書かれていた。
これならキャンプできるかもしれない。
思いついた妙案が実行できるかどうか確認するため、私はリビングにいる家族の元へ駆けこんだ。
*****
「バルコニーでキャンプ? なにそれ!」
昼休み。
クラスメイトの談笑する声で騒がしい教室、その隅に陣取っている私と美愛は今日も今日とて一緒にお弁当を食べていた。
昨夜の閃きを美愛に伝えたところ、美愛はお弁当を食べる手と口を止め、立ち上がってこちらに身を乗り出してきた。
あまりの勢いに美愛が座っていた椅子が倒れて大きな音が立ち、クラス中の視線が集まってしまう。
「お、落ち着いて美愛」
「ごめん……」
恥ずかしそうに顔を赤らめた美愛が椅子を直す。
視線が散ったところで「ほら、これ見て」と、昨日見つけたサイトを表示したスマホを美愛に手渡した。
ふんふん、と興奮した様子の美愛がお弁当そっちのけで読み始める。
私が昨日見つけたサイトには『ベランピング』というものが載っていた。
『ベランダ』と豪華なキャンプという意味の『グランピング』を合体させた言葉らしい。単純に『キャンプ』と合わせて『ベラキャン』と呼ばれることもあるらしいけど。
『ベランピング』はその名が示すようにベランダでキャンプをするというものだった。
実際にキャンプをするよりも手軽に、かつテントや寝袋などの必須な道具が揃ってなくてもできるらしい。
読み終えた美愛からスマホを返してもらって、私は話を続ける。
「うちの家にはベランダ……っていうか、バルコニーがあるんだよね。そこでキャンプできないかな、ってそのサイト見て思いついてさ」
三階建てである私の家の三階部分には広めのバルコニーが存在していた。
そこで小学生の頃に何度かバーベーキューをした記憶もある。今となっては布団や大きい洗濯物を干すときくらいでしか使っていないけれど。
「うちの親の許可は取ったから。私の家なら、美愛のお母さんも泊まっていいって言ってくれるでしょ?」
「うん、大丈夫だと思う」
「だからさ、美愛が思ってたキャンプとは違うかもしれないけど、私の家のバルコニーでキャンプしない?」
「すっ、する!」
私の提案に美愛が興奮した様子で前のめりになって返事をしてくる。
その顔には満面の笑みが浮かんでいて、その笑顔に私も自然と口元が緩む。
ただ、そんな美愛にこれから残酷なことを告げなければならないと思うと、胸が痛んだ。
「よしっ、それじゃあ早速キャンプの準備を――」
「待った」
テンションが上がって張り切った美愛には申し訳ないのだけど、そこでストップをかける。
私の『待った』にキョトン、とした顔になった美愛が首を傾げた。
「来週からテストでしょ? それが終わるまでキャンプのことはお預け」
「そ、そんなっ⁉」
あんぐりと口を開け、今度は愕然とした顔になる美愛。予想した通り、ショックを受けている。
しかし、これは美愛にとって大事なことだ。心を鬼にして勉強させなければならない。
一学期の期末テスト、赤点ギリギリで補習になりかけた悲劇を繰り返してはいけない。
「持ち上げてから落とすなんて、ひどいよ佳奈ちゃん!」
「ごめんね美愛。でも美愛のためなの、わかって」
「うぅぅ~……」
唸りつつ、美愛が私をその大きな瞳でじーっと見つめてくる。勉強したくない、と訴えてくる。
けれど、そうはいかない。美愛には勉強してもらわないと困る。一緒の大学に行けなくなってしまうから。今ですら私と美愛の成績にはそれなりに隔たりがあるのに。
……まぁ、最悪の場合は、志望の大学のランクを下げるつもりだけど。
「……一緒の大学に行きたいって言ってもらえてうれしかったのになぁ」
「うっ」
ぽつり、とそう呟くと、美愛が怯んだ。
そもそも『一緒の大学に行きたい』と言ったのは美愛だ。頑張ってもらわなくちゃ。
「大学受験は高校受験のときのようにはいかないんだからね?」
「わ、わかってるよー……」
高校受験――つまりこの学校を受験すると美愛が決めたときも大変だった。
転校してきた美愛と知り合ったのが中学三年生の秋、それから仲良くなって美愛が『佳奈ちゃんと同じ高校に行きたい』と言い出したのが十二月。
私が志望していたこの学校は県内ではそれなりのレベルの進学校で、美愛の学力的にはかなり厳しい学校だった。
でも私も美愛と同じ高校がよかったから、それからつきっきりで勉強を教えた。受験まで暇さえあればとにかく勉強。ひたすら勉強。その結果、美愛はこうして今でも私の目の前にいる。
正直、美愛が合格したのは奇跡だったと今でも思っている。合格発表で美愛よりも私の方が感極まって泣いてしまったほどだ。
大学受験はさすがにそのときのようにはいかない。たった数ヶ月で受験に合格できるほど甘くはない……と思う。
だから美愛には勉強してもらわないと困る。
「私も一緒に勉強するからさ、がんばろ?」
「……また泊まりに来てくれる?」
「もちろん。今回もお邪魔するよ」
一学期のときもテスト直前の土日は美愛の家に泊まりこんで勉強を教えていたし、受験勉強のときも何度かそうしたことがあった。だから今回ももちろんそのつもりだった。
そうしないと時間が足りないし、監視しないと美愛はすぐサボるし――とは口に出さない。
「テスト終わったらキャンプできるんだから、がんばろうね」
「はぁーい……」
私の言葉に、不貞腐れたように頬を膨らませている美愛は渋々と頷くのだった。